2006/12/15
シンクタンク・トップ
18・12・15
まだまだ、此の世界の奥は深い。昨日の「ファイナル‐ファンタジー」は、昨日で旅が終ったとの意味かと考えていたら、是から「ファイナル‐ファンタジー」が始まるとの意味だったらしい。だから、エネルギーの配管を回すパイプレンチを持たされたのだ。
今朝は、丑三つ時に、何も映像が無いまま目が覚めたので、ベッドの上で瞑想を始めた。すると「シンク・タンク‐トップ」の言葉が出て来た。そして、其れが何のことか考えて居ると、昨日観た映像で、未だ文章化していなかった映像が現れて来た。
昨日来ていた映像を、忘れてしまい文章化していなかったので、其れが消化されないと次の映像を映し出す事が出来ないらしい。どうやら、パソコンの「ペイント機能」と同じソフトに成っているのではないだろうか。神は、完全に人間の脳とパソコン機能・ITを霊界に組み込む事に成功したようである。
昨日の分で、忘れていたのは谷口雅春氏が始めた「生長の家」の活動に付いてである。映って来た建物の部屋には、年寄りや病人が集まって居て、生長の家には未来が何も無いことが示された。そして次ぎに、そんな状態が嫌な人達が集まって分派し、新しい活動拠点を建設している場面が現れた。其の現場とは、山の高台が敷地で、其の山の上に建物を建てる作業が始まり、今、道路をとり着ける為に山の中腹を重機で削り取っている処だった。私は其の分派の代表に、「大事な山を削って 建物を建てるのは もう古いパターンだから止めなさい」と説得をしている処で、其の映像は終わったのである。
其れは、霊界の谷口雅春氏が、自分の興した世界が違う方向に進んでいるので、私に救いを求めて来たものかも知れない。「生長の家」に集う人々が、何も生長しないのであれば、生長の家も、絵に書いた餅と同じで、社会の為には何の足しにも成らないのである。
今朝の「シンク・タンク‐トップ」とは、総ての宗教を集めて、価値観を入れ替えろとの意味だろうか。今朝の明け方の映像は、私が広い体育館の様な建物の中に居て、大勢の人達に座禅か瞑想を教えて居た。そして次の映像は、刃物を手にしフランス‐パンをオカズの食べ物の違いによって、切り分ける指導をしている場面だった。其れは、食事の指導が、日本の米食だけのパターンではなく、国際的に食生活の指導をしろとの意味であろう。
シンクタンクのトップと言っても、経済や戦争の作戦ではなく、人間の暮らし向きに直接関わる用件に、私の意識が是から使われるとのことではないだろうか。やはり、私が最初に作った「ライフスタイル‐コンサルタント」の名刺は、的を得ていた事に成る。
今朝は、昨日の「すみる」の言葉が、違う意味に解釈されて来た。其れは「済みる」と漢字が使われていなかったので、そう解釈したのだが、「すみる」は「巣見る・素見る」とも書けるのである。昨日は、私が実家に帰る場面だったので、小鳥で言えば、産まれた巣に帰るとの意味に成るし、山姥を生命プログラムの原点と考えれば、素・もとを見るとの意味にも成る。
其れは、昨日の映像が幾つもの意味を含んでいた事も解るし、漢字の便利さも理解出来てくるものである。日本語の平仮名だと、意味が漠然と成って、どのイメージを浮かべれば良いのか戸惑うが、「かき」を「柿・牡蠣・垣」と書けば、其々の現物を最初から頭に浮かべる事が出来る。
「たすける」の漢字も介・右・左・丞・佐・佑・助・扶・侑・相・祐・将・將・幇・弼・援・資・輔・賛・翼・贊と、21字も漢語林に載っていて、其々が違う意味を有している。他にも「よろこぶ」の漢字は喜・歓・悦・等20文字も有る。其れ等の事から解ることは、漢字は全部、現場の映像を象形化したものだから、写真に撮る事が出来るものであると言うことだ。
今朝の場面の、座禅や台所の様子は、全部映像に撮る事が出来るし、写真やアニメに置き換える事も出来る、現場其のモノである。
是から始まる私の役割は、人間の生活文化の構築を図る為の、シンクタンクの頭を務める事であろうか。
其れは、私が1992年8月25日に、今ではスローフードで時の人に成った、佐賀県の武富勝彦氏に案内されて、初めて東京の日本CI協会に行き、桜沢如一氏の御影が飾られている応接間に入った時に「此処が お前の仕事場だ」と声が聞こえた事が有る。桜沢如一氏の霊魂は、私に起きた4311体の神霊の思頼・みたまのふゆでも、1番始めに存在を現した霊である。だから、今回の神のプログラムでは、1番大事である霊魂だと言うことに成る。現在、世界に日本の自然食が拡がったのは、此の桜沢如一氏の功績に拠るものであると云っても過言ではない。
昨日出て来た、生長の家の谷口雅春氏と、桜沢如一氏は生前に面会し、桜沢如一は1度だけ生長の家で講演もした事が有る。谷口雅春氏の著作に有る「食べ物が人相を創る」との価値観は、此の桜沢如一からの影響が大きいのだろう。
私の師も、桜沢如一の学問の中から、桜沢如一が勉強した古人の著作を探して、其の内容をモノにして居た。だから、私が今の世界に入ったのは、日本の古代からの叡智が働いていての出来事なのである。私が東京で、其の前日24日に泊めて貰った橋本政憲氏の自宅には、桜沢如一のデスマスク(死に顔を石膏で形取った物)が保存されていた。
私の、是までの旅で起きた事を考えると、総てが是から始まる事の為の下準備の様である。其れが、何処からどんな形で始まるのかは解らないが、配管をコントロールする道具を手に取らされたのであるから、私の腕前に何かの現象が委ねられている事は間違いないのだろう。
昨日は、私の右手を引いて、私を育てて来たらしい母性の存在は、山に帰ってしまった様なので、其の代りに千手観音菩薩でも守護に付くのだろうか。
今朝のメッセージで理解出来た事は、是からの私は、其の母性の長男として、弟妹を導いて行かなければ成らないらしいとのことのようである。其れは、目に見えない母性の代りを務める事でもある。
しかし、其れが如何に大変な事に成るのかは自覚している。だからこそ、其の事の為に23年間もの修行が必要だったのであろう。其の事を考えれば、老子や釈迦やイエスの行なった事は、ホンの入り口である事が理解出来て来る。是だけ、昔と違い情報が氾濫した社会で、60億を超える人口をコントロールして行く事は並大抵の事ではない。取り敢えず、神の準備が出来る迄は、こうしてパソコンに向かっているしかないだろう。
今朝は、此の文章を書いて居る途中に、岡山のKさんより電話が有り、「ここ数日 漢字の『圭』の文字が出て来るのだけど 何だろうか」と聞いて来た。私が「圭」を漢語林で調べると、「圭」は、皇帝から認められた諸侯が、其の証明として持ち歩く、薄くて頭が△に尖った金属の符・タマであるとのこと。だから、Kさんには誰かに「仕えろ・認められろ」との指示で、神の働きを助けろとの意味だと想われる。
Kさんに、其のように話すとKさんは納得して電話を切った。
此の事からも、確かに新しいプログラムが動き出している事は間違いない様である。
平成18年12月15日
礒 邉 自 適
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