旧暦5月16日は、鹿児島県出身で旧薩摩藩士を親に持つ地震学者「今村明恒」の誕生日でもあります。
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生涯 [編集]
1870年、鹿児島県鹿児島市に薩摩藩士・今村明清の三男として生まれた。
鹿児島高等中学造士館予科を経て第一高等中学校を卒業後、1891年に東京帝国大学理科大学(現・東京大学)物理学科に進学、大学院では地震学講座に入り、そのまま講座助教授となる。1896年からは陸軍教授を兼任し、陸地測量部で数学を教えた。明治三陸地震発生を期に、1899年に津波は海底の地殻変動を原因とする説を提唱した[1]。現在では広く受け入れられている説であるが、発表当時はほとんど受け入れられなかった。
明恒は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想し、1905年に、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告し、震災対策を迫る記事「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」を、雑誌『太陽』に寄稿した。この記事は新聞にセンセーショナルに取り上げられて社会問題になってしまった。そして上司であった大森房吉らから世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された[2][3]。しかし1923年に関東地震(関東大震災)が発生し、明恒の警告が現実のものとなった。その後、関東大震災の地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになった。