2008/4/21
言葉を洗浄する
20・4・21
本日21日は、弘法大師空海の月命日である。其の所為も有るのだろうが、今朝のメッセージは言葉や文章に関する物だった。
先ず最初に「生」の漢字が映されて来た。生は、生命の単語に使われており、成り立ちは、地面に生えて枝を広げて伸び上がる植物の姿の象形である。其れは、生命が伸び上がる姿を象徴的に現したものである。そして、生活の「活」は堰を切って勢い良く流れるの意味であるので、「生活」とは勢い良く地上に伸びて広がって行く生命力を意味しており、人間が其の様に生きて行く事の描写に使っている言葉である。
だから、今朝のメッセージの内容は、人間が「生き生き活きる為」の指針に付いて指示して来ている物である。
次の映像は、文字や言葉が表記されている画面をクリックすると、行き成り汚れた画面が視界一面に拡大された。是ではいけないと想い、文字や言葉を洗うと真っ黒な水が流れ出して来た。此の映像の意味は、現在、人間社会で使われている言葉が全部汚れてしまっていて、新しい世の中に其の儘使用すると、新しい世の中も真っ黒に成ってしまう事を意味している。
其れ等の事から考えられることは、文字や、言葉を、本来の純粋なものに、返さなければ成らない事を意味している。其れは、是まで人間に使用されて来た言葉を一度クリーニングして、本来のものに立ち返えらせなければならないと言う事である。其の為には、過去の概念を一度外す必要が有るのだ。
考えて見れば、言葉に意味付けをしているのは殆んど宗教の世界である。日本国の通常の会話に使われている言葉には、仏教用語や儒教の言葉が多い。そして、宗教の言葉や概念は、人間の生活の在り方に付いて述べているものである。モーゼの「十戒」や、釈迦牟尼佛の「八正道」や、聖徳太子の「十七条の憲法」や、其れに老子の「道徳経」・孔子の「儒教」・マホメットの「コーラン」等、皆、人間の生き方の則・訓に付いて説いているものである。
其れに、ソクラテスやプラトンの哲学、マルクスのイデオロギーなども似た様なものであり、日本独自の新しい学問体系を創設した廣池千九朗の「モラロジー」や丸山敏雄の「倫理研究所」等(宗教法人ではなく財団法人)も、人間の生き方に付いて述べているものである。
今朝のメッセージは、其れ等のどれ1つも採用するのではなく、新しい言葉の世界を整えろとの事であろう。今朝の映像には、最後に靴紐が付いていない靴が現れた。其の意味する処は、人間が人生を勢い良く歩くためには、靴紐がシッカリ締められていなければ成らないとの理ではないだろうか。靴紐が、強く締められていければ成らない靴は、登山靴や陸上競技など、激しい動きか、生命の危険が掛かっている靴である。
そして、其の靴紐が意味している理・ことは、人間が生き生き活きて行く為には、人生を歩く為の靴が、シッカリとした物でなければ成らないとのことであり、逞しく遠く迄歩き通す為には、生き方と成る考え方(靴紐)がなければ成らないと謂うことである。
其れが、観音様が孫悟空の頭に着けた頭を締め付ける輪ではなく、足元を締める靴紐であるのは、人間の暮らし向きの処に、大事の意味が下ろされて来た事を意味している。老子の言葉には「千里の道も 足下から。」と有り、先ず歩き出す為に立つ地面が必要である理を説いている。其の最初の立場が無ければ、どちらに向かって歩き出せば良いのかの方向さえ決められないのである。其のことを考えれば、今朝のメッセージは非常に大事な理を告げて来ている事になる。
其の一番大事な靴紐と成る則を、私に考えろとの事であろうか。そうであれば、何故、大学を卒業して「法律」や「哲学」「心理学」「経済学」「医学」等の、専門的分野のプロに其の事を直接伝えないのであろうか。其れは、頭の中に理論が詰まっている人の脳には隙間が無いので、神の知らせが入り込め無いからであろう。
だから日本の神社では、其の頭を空にする為に禊ぎ祓いの儀式が有るのである。しかし現在の神社の神主や宮司に成る人には、国学院大学などの大学出が多い。そして、毎日儀式や作法の訓練に忙しいので、神様の事にかまっている暇が無いのである。
だからと言って、中学校しか出ていない私に、其の様な事を頼んで来ても、私は困るだけである。しかし、私に此の様な事を告げて来るのは、他に其の事を頼める相手が居ないからであろう。では、其の神の願いを、どうしたら実行出来るかを考えなければならない。今朝の映像に、靴が出て来たからと言って靴屋に相談に行ける分けでもないし、大学の教授に会いに行っても門前払いであろうし、神社に行っても「悪霊が依り憑いている。」と云われて、お祓いはしてくれても、私の話を真剣には聞いてくれないであろう。
是は、やっかいな事である。私に出来る事と言えば、自然と生物の関係性に付いて話す事ぐらいである。其れに、言葉や、文字を、考古学的に研究する事である。私に出来る事と言えば、こうして毎日送られて来るビジョンを、言葉に変換してPCに打ち込む事である。此の作業を続けながら、理解出来て来た事は、食べ物に拠ってビジョンが変化すると言う事である。
私は此処1年間ほど、体調が思わしくなかった。其の原因が、毎日10時間以上PCの前に座り続けているので、運動不足に因って内臓の働きのパワーが落ちて来ているのだと考えていた。処が其の原因が、刺身等の生物の食べ過ぎに有る事が判って来たので、今月に入ってから生魚を食べる事を止めたら、胃腸の状態が回復して来た。そして食べるオカズが無くなって来たので、4日前から、他人に貰って冷凍していた鹿肉を煮て食べ始めた。すると、是までは山に登って行くビジョンが多かったのに、数日前から山から町へ下りて行くビジョンが映り始めたのである。
其の意味は良くは解からないが、私なりに考えると、山に住む鹿は餌が植物なので塩化カリウムが身体に溜まって来る。其処で、定期的に塩化ナトリウムを摂ってバランスを計る事が必要であり、其の為に海水を飲みに海に下るのである。
反対に海の魚の場合は、山岳の森林の落ち葉から生産されるフルボ酸鉄の栄養分で植物プランクトンが発生し、其れが動物プランクトンの餌と成り、小魚や小エビ(アミ)等が発生し、其れを餌として魚は活きているので、鮎や鮭の様に川を遡る意識に成るのではないだろうか。其の生物の本能的情報が、細胞のDNAに記憶されているので、鹿肉を食べた私の意識が其の情報に反応して、是までとは違い山から川を下り始めたのかもしれない。
其の事を良く考えれば、天皇家の神が「台所の神・御饌殿・荒神様」であり、日本の伝統的な「政治・政(まつりごと)」が「食国(おすくに)のまつりごと」と言って、食べる事の儀式と、政治が一体である事の理由も解けて来るのである。
其れが、中国の漢字の「謂・イう」の字義「言+米+肉月」の、「人間の意識は 胃袋の中の穀物から発生する。」と同じ概念である理・ことが解かる。
其れは、日本語の「いのち(生命)」が「胃の霊(血)・いのち」であり「飯の霊・イイ(米)のチ」であり、外宮の神「豊受け」の祭神である、「ウカノミタマ・稲荷(稲俵の事)・保食神・御氣つ神」と、概念の出所が同じである事を示している。
其れは、言葉こそが政治にとって一番大事である理を示している。だからこそ、中国では皇帝が「朕想うに」と謂い、日本では天皇陛下の挨拶が流される事を「玉音放送」と呼び、政治的発言を「治ろしめす」と言うのであろう。其れに、古代エジプトでも言葉を扱うトト神の書記長が1番王に近い立場にある。其れは、日本の古事記を作った持統天皇と、稗田阿礼(ひえだのあれい) と太安万侶(おおのやすまろ)の関係でも同じである。
其の概念と言うか、儀式の世界を、私はいま実際に生きている事に成る。そして私は運動不足には成っているが、此の人生を正しく歩く為の靴紐である真言・マントラは、強く正しく結んでいるのではないだろうか。
今朝のメッセージは、神社の鳥居や、玄関の上に飾られている結びを意味する注連縄が、頭の上から、地表を歩く為の靴紐として足元に降ろされて示されたのであろう。其れこそが、「神の降臨」の言葉を、如実に示して来ている事に成る。
日本の履物は、昔からワラジか下駄であり、神社の神官は外来文化である木靴で、どちらも靴紐は付いてはいない。今朝のメッセージは、靴を昔から履いている外国の人間にも向けられたモノであり、人間の意識を醸し出している、言葉の存在の大事さが、世界中の人々にも理解される様に示して来たのかもしれない。
そうであれば、私はこうして毎日、生命現象として映されて来るビジョンを、言葉に変換して居れば、自ずから新しい則が示される事に成るのではないだろうか。
其のぐらいの事であれば、何とか私にも出来るであろう。そうして居れば、其の内に、誰か其の道の専門家が現れて、正しく纏めてくれる様に成るのかもしれない。
現在、屋久島で私の回りに起きている事は、屋久島に生命研究所を設立し、世界自然遺産に登録されている屋久島から世界に向けて情報を発信する動きである。もし其れが実現すれば、私の此の長年の作業も、世界人類の未来に役立つ事に成るのではないだろうか。
今朝は「生」の漢字が出て来たので、「屋久島生命研究所」のブログをもう1つ作って、其の情報をアップして行きたいと思う。http://green.ap.teacup.com/20090421/
屋久島町南側の古くから有る主な集落の名前は、誰が付けたのかは判らないが、西の方から「栗生・くりお」「生(尾)の間・おのあいだ」「はるお(春生)・原(春の菜の意味)」「麦生・むぎお」「粟穂・あわほ(あわ・安房・あんぼう)」で食べ物に関して付いている。其れも、何かの因縁が有るのだろうか。
私に告げられて来るメッセージには、或る流れが有り、テーマに沿って聖霊・神霊の働きが有るようである。其の流れの中心に、弘法大師空海の力が強く働いている事は確かである。其れは、弘法大師空海の存在が、多くの天皇霊や王に支持されているからであろう。だから空海の命日である21日には、いつも大事な事が知らされて来るのだろう。其の、霊魂と人間の関係性が解かっていたからこそ、神社の大祭は、其の祭神の命日に行われるのであろう。
私の祖父の命日は9月23日で、父親は10月23日である。そして其の23日は、月信仰の23夜祭りの日でもある。其の因縁を考えると、私の霊魂が調読界に近いのも当然の事なのかもしれない。
平成20年4月21日
礒 邉 自 適
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