約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
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2008/12/30
「物部に戻す」
未来創造
物部に戻す
20・12・30
今年も 残り明日1日と成った。今日は、午後2時から、神事を遣っている中野さんと言う女性の家を、初めて訪ねる事に成っている。それで、何が変化するのかは分からないが、今朝のメッセージには、是から私が為すべき事が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、人間が生活して行く上で、何をどうしたら良いかを、私が認識して行く場面で、最後に「饒速日命・にぎはやひのみこと」の役割の人物を、王座に座らせる映像が現れた。其れは、物部の価値観に世界の文化を戻す事である。
其れは、釈迦牟尼佛の悟りや、イエスキリストの奇跡に目を向ける事ではなく、物部の生活重視の「惟神の道・かんながらのみち」に人間の意識を返す事である。
物部とは、奈良県の石上神宮の物部族の事であり、初代は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」が始まりで、其の長男は、島根県大田市にある物部神社の祭神「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」である。そして石上神宮は、其の物部代々の御霊を斎祈する神社である。
今朝のメッセージは、其の物部初代の「饒速日命・にぎはやひのみこと」を「上座・王座・父座」に据える為に、私が様々な現場を回り、物の管理の方法に付いて、検討して答えを出して行く場面であった。私は2001年6月15日に、初めて大田市の物部神社に参詣し、神社の裏山に有る御陵にお参りすると、両足の足裏から強いエネルギーが突き上げて来て、「此処が お前の墓である」と告げられた事が有る。其の出来事から考えると、神事が此処に来て大詰めに成っている様である。
「大田に下車しろ」
http://star.ap.teacup.com/170606/437.html
今朝のメッセージで、伝えられて来た大事な要点は「どうしたいか・何を食べたいか」ではなく、「どうしたら良いか・何を食べたら良いか」との、意識の使い方である。
「どうしたいか・何を食べたいか」は、自分の自我意識と謂うか、自分の欲望追求そのままの言葉使いである。しかし、「どうしたら良いか・何を食べたら良いか」とは、自分の欲望の赴く侭の行動意欲ではなく、様々な条件を加味し、最も良い結果を求める意識が働いている言葉使いである。
其れは、実に簡単な言葉使いであるが、其の言葉の違いは大きい。「何を食べたいか」は、本能其の侭であるので、食べたい物を追求して行くと、際限無く食欲は暴走して行き、其の行き着く先は、病気や、経済破綻や、環境破壊を起してしまう事に成る。
しかし「何を食べたら良いか」は、自分の身体の事や、経済や、環境等の事に気を配る事であり、冷静沈着な意識が必要であることに成る。そして「どうしたら良いか」の言葉も、自分の身の振り方・仕種を客観的に見詰める心境を表わしている。
其の意識の持ち方が、物部の価値観と謂うか習慣・風俗なのであろう。だからこそ、其の伝統が、天皇家に家風として伝わっているのである。物部とは、スメラノミコトの側に居て、神事の儀式を司り、国の食料や兵隊や武器など全ての物を管理する部族である。
其の物部の価値観が薄らいだのは、蘇我馬子と聖徳太子が佛教を導入する為に、其れまで国の伝統を守り伝えていた物部の守屋を殺してしまったからである。
今朝のメッセージは、佛教が導入される前迄、生活習慣と謂うか、暮らしの価値観を戻せとの事ではないだろうか。佛教とは、釈迦の教えの事であり、佛教は蝋燭や線香を立ててお経を唱えたり、佛像を拝んだりする。しかし物部の価値観は、自分の生活に関係の有る「クサグサ・種種・品々」を、神の道具として大事にし、食べ物を神とし、先祖の霊魂の働きを労いながら直合をすることである。
其れは、自分の血筋に関係の無い「釈迦」や「イエス」等を、神佛(対象)として斎祈する事ではない。物部の価値観は、自分の血筋である霊魂を大事にし、其の霊系を守る為に自分の血筋や生命を守り、其れを継続させる環境を維持する事に有るのである。
だから、釈迦やイエスの様に、自分の子孫を残さず、環境の事にも触れず、精神論だけ謂っている人間は、物部の考えとは異なるのである。其の点で謂えば、弘法大師空海は筆の達人で、建築土木・薬・医療・鉱物などの分野に、多面的に能力を発揮しているので、釈迦佛教とは違っている。
今朝私が感じた事は、私に其れ等の事柄を映像として見せて来る存在が何者であり、其のシステムがどうなっているかである。解かる事は、私の身体を其の神霊が使用し、自分の代りに、私に筆の替りにPCを与えて、此の様に文章を記録させている事である。そして、其の私の意識は、此の世に存在する物を素材として夢を見て居る。
其れを考えると、弘法大師空海が興した真言宗の訓えは、釈迦牟尼佛の教えと物部の価値観が合わさっているとも言えない事ではない。
昨夜は、テレビ番組で地球環境に付いての取り組みや、APバンクの紹介が為されていた。私は其の番組を観て、自分が想って来た事が、既に現実として動き出している事を自覚した。
・・12月29日(月)、NHKの年末特別番組として、ap bank特集が放送されます。この番組は、ap bankがこれまで融資をした方々がどんな取り組みをしているのか、その環境への想いや、現実に直面する問題などを追いかけたドキュメントとなっています。また、ap bank融資審査のようすや、ap bank fesの裏側、ap bankの今がレポートされています。・・・「APバンク」
http://www.apbank.jp/
私は、25年前に師に捜し出され、「自適さんは 想った事が 全て 現実に成るでしょう。」と云われ、考えて見たら、良い事も悪い事も想った通りに成っている事を自覚した。そして、旅に出てから出会った数人の賢者に、「貴方は 何もしてはいけません。貴方が存在するだけで 神が貴方の身体を使い未来を創るのだから 貴方は 自分の身の安全を図るだけで良いのです。」と、師と同じ事を云われたのである。其の人達は皆、既に此の世の住人ではない。しかし彼等は、皆、私の存在を知っているので、霊界で私の為に働いている様である。
其の私の有り様がトランス体であり、「御陵威・みいつ」の働きであると謂う事になるのだろう。
今朝のメッセージの映像では、私が王座に座るのではなく、王座に「饒速日命・にぎはやひのみこと」を据える為に、方々を動き回り、生活風習を整えて居たのである。其れは、私が地球環境を整えながら、人類の未来社会を安定させる役目を担っている事に成る。其れは、大自然の中で、第一次産業である農林漁業に関わって来た私にしか、出来ない事なのかも知れない。出来ないと謂うか、其の為に私は此の世界自然遺産に登録された屋久島で、生まれ育って来たのであろう。其れも、私の両親の考えで始まった事ではなく、神の計画として其の様に為された事なのであろう。
良く考えて見れば、私がいま在る現状は、私の予想外の状況である。其れは、人智を超えた、何者かの意思の中である事は間違い無い。其れが、「神の世界」なのであろう。私には、1994年3月22日に「風 麦東 陶・ふうれんとう」との言葉が告げられ、2000年7月22日には「讜 逓 聖・とうていせい」の言葉が告げられて来ている。其れは、今朝のメッセージに有った、人間の新しい暮らし向きを、建て直す事に関する言葉である。
「風 麦東 陶・ふうれんとう」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/5.html
「讜 逓 聖・とうていせい」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/6.html
今朝のメッセージは、其の事が、是から本格的に始まるとの事ではないだろうか。今朝のメッセージで、来年の行動指針が明らかに成って来た様な気がする。神が願っている方向さえ見えれば、後は一気に事を押し進めるだけである。日本の政(まつりごと)の本体である「饒速日命・にぎはやひのみこと」が其れを望んでいるのであれば、天下無敵で物事は進展するであろう。
平成20年12月30日12時30分 ピッタリの数字
礒 邉 自 適
投稿者: 礒 邉 自 適
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