情報と棺
24・5・10
今朝のメッセージの映像は、天皇陵の様な感じの施設が現れて、其処に甲虫である米搗き虫の様な形をした大きな棺・ひつぎが置かれていた。
そして、大勢の人が集まっている、御陵前の広場の右側の高殿から、演説をする声が聞こえるので、其方を見ると、野田佳彦総理が広場の参加者に向かって、マイクで話をしているのである。其の野田佳彦総理は、何故か、私の存在に付いても話していた。
其れは、御陵に置かれているミイラが納められている様な棺が、人間の死体を入れる物ではなく、大量の情報が納められているかららしい。そして、同じ様な棺は他にも幾つか有ったが、其の棺の中に納められている情報が、最も優秀で量が多い事から、選ばれたというのが判った。
そして、其の棺が、甲虫の体の様な形だったのは、虫類は澤山の生命情報を抱えて生きている理・ことを示していた。
其れから、自分の意識と言うか、目線を引いて行くと、目の前に黒く大きな大蛇の胴体か、大きなリンガ・男根の様な物が、右下から左上方に伸びているのが見えた。其れから、更に目線を引いて行くと、白黒の斑模様と成り、更に目線を引いて行くと、何も無い暗黒の世界と成り、其処は無の世界である理・ことが解った。
今朝のメッセージの映像は、一言で謂えば「天津日嗣・あまつひつぎ」の世界を意味しているのではないだろうか。其れは、昨日のメッセージの帝国主義と関係が有るのだろう。
何故なら、今朝のメッセージの映像は、帝の葬式と、政治が一体化しているからである。
国の総理大臣が葬儀に参加して、挨拶と言うか、演説をするのは、国内では第一級の葬儀である。其の総理大臣の演説の中に、私の存在が取り上げられるのは、私の行動か、私の考えが、其の葬儀の内容に関係が有るからだろう。
其の理由を考えると、人間の死と宇宙の関係、輪廻転生、アカシックレコードの存在と人間の御霊の関係、大嘗祭で示される神霊移譲などが関係有り、日本語の「身罷る・みまかる」の言葉が、再認識される事に成るとのことではないだろうか。
日本語の「ひと」とは、「霊魂が 肉体に止まる・宿る」との意味で「霊留・ひと」である。そして、霊魂が宿っていない肉体は「からだ・空だ」である。其れを考えると、今朝の映像の場面は、神霊の働きの良し悪しは、情報量の量や質に拠って決められるとの理・ことに成り、私の持つ情報が最もレベルが高い棺であると言う理・ことに成るのではないだろうか。
そして、其の理由を考えると、私の意識の本は、暗黒宇宙に在り、其処から白黒・陰陽・表裏の斑模様の中を潜り抜けて、地上の政・まつりごとに携わっているからである。
其れは、私の意識が、昨日の現実世界で、「無庵」から「無工房」に移動した事と関係が有り、其の2つの建物が「悠紀殿・ゆきでん」と「主基殿・すきでん」の役割を果たしているのかも知れない。其れに、忰山 伸さんの茶室「無庵」の名前は、私の師である「無庵」と同じ名前でもある。
其れを考えると、昨日無庵師匠の息子の声が「おじちゃん」と聞こえた事の意味も、理解できそうな気がする。其の無庵師匠の息子の名前は「利休」で、茶道の世界を創り上げた「利休」から取ったものであり、茶室とは深い関係が有る。
そして、其の4歳の息子さんが、私に「ふにゃ」と云うと、私は何をしていても、其の「ふにゃ」の一言で肉体から力が抜けて、座り込んでしまったのである。其の現象を考えると、利休君の「おじちゃん」との言葉が聞こえて来たのは、私に、肉体の力を抜けと謂う事なのかも知れない。
今朝のメッセージの映像の意味は、此の三次元の人間社会と、宇宙意識の間に、葬式の場が、繋ぎとして存在する理・ことを示して来ている。
其の世界が在るからこそ、エジプトではピラミッドが築かれ、王の遺体が花崗岩の墓室や棺に入れられたのであろう。そして、霊魂は、其の棺の存在を通して、此の三次元世界に影響を与えられるのである。
先日のニュースでは、平成天皇が「自分の遺体は火葬にして 夫婦同じ墓に埋葬して欲しい」との意志を示した事が報道されていた。其れは、確かに国民の負担を軽くする事に成るが、今朝のメッセージの世界を考えていないと言う事になる。
今朝の、メッセージの映像には、人間社会の上に「黒い大蛇(スサノオの化身)」か、リンガの様な物が在る事が示されて来た。其れは、記憶テープ(情報伝達のシステム)の様な物であり、情報を記憶する物が存在して、情報の管理がされている理・ことを示しているのであろう。
今朝の愉伽さんのビジョンでは、様々な動物が現れて、子が母親の乳房から乳を飲んでいたとの事である。そして、自分の乳房がとても巨大に成っていたとの事である。其れは、動物の乳房は、生命を育てる働きをしている理・ことを示しているのであろう。
今朝の、私のビジョンと、愉伽さんのビジョンを合わせて考えると、男性の役割は宇宙に情報を記録する事であり、女性の役割は此の大地に生命体と謂うか、肉体・ボディを創り出す理・ことにあると言う事に成るのではないだろうか。
其の様に考えると、男性の魂しいは死後宇宙に帰り、女性の魂しいは大地に帰って行くと言う理・ことに成るのではないだろうか。其の様に考えると、イエス・キリストが謂う様に、天に「父・ファーザー」が存在するとの考えは当たっている事に成り、大地の神は女性神「ガイヤ」であると考えるのは、正しいと言う事に成る。
其の様に考えると、平成天皇が望む「遺体を火葬にする」との考えは間違っている事になり、天皇と皇后が、死後の世界でも一緒に居たいと謂うのは、余りにも人間的であり、「帝・みかど」の役割が何であるかを、無視している事になる。
天皇家や神社庁、其れに伊勢神宮などが、正しい「祭祀・まつりごと」を行っていれば、私に天智天皇や昭和天皇の御霊が関わって来る必要も無かったし、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きる事も無かったのである。
其れを考えると、確かに新しい情報が詰まった「棺・ひつぎ」を完成させる必要が有るだろう。其の事が求められているのが、神輿の行列であり、御陵の整備なのである。三次元の行事だけは続けられていても、肝心な御魂の情報が確立されていなければ、其れ等の行事や祭り事は、無意味な物であると言う事に成る。
其の事を、神官に対して批判攻撃し、磔にされて殺されたのがイエス・キリストなのである。
ユダヤの伝統である、棺が、日本に伝えられて、代々儀式として伝えられて来た事には、大きな意味が有るのである。其の事を、日本から復活する事が日本人の役割であり、日本から起きる神一厘の仕組みなのであろう。
其処に、茶の世界が関係する事が、聖徳太子が平成元年9月3日の夜半午前3時33分に「臨済から始める」と告げて来た事と関係が有るのかも知れない。
そして、其の事が、1昨日茶室「無庵」から、豆腐料理「無工房」と移動する現象を生み出したのであろう。何故なら、茶道の世界も、豆腐料理の世界も、臨済宗に繋がるからである。
今朝のメッセージは、私が「自適」の名を持って地上に降りて来た目的が果たされた事を意味し、是から先、私が大往生を迎える為の生き方を、示して来たモノ・現象なのかも知れない。其の様に考えると、私の生きて来た道程は、今の処、正しいと言う事に成るのではないだろうか。
やはり、娘の舞光と会った事は、大きな意味が有ったと言う事に成る。
平成24年5月10日
礒邉自適

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