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ブラタモリ「江戸の運河」の続き

2012/2/23 | 投稿者: 斉藤@IRV

今夜の「ブラタモリ」は江東区の続き。

今回は運河から物流のシステムを見るという話。


まずは深川。
深川といえば富岡八幡宮。時代劇に出る深川とはここの周囲。

まず境内に「もんじゃまん」というのが。
それから伊能忠敬像。タモリさんも神と仰ぐお方、さすがですね。

この富岡八幡宮、運河と深い関わりがあります。
江戸初期には海にせり出した神社が、埋立地が広がるに連れ深川の中心になりました。

狛犬は海辺大工町の寄贈。海辺大工とは船大工のことです。

富岡の脇には木置き場という場所がありました。これがいまの木場になります。
ここの丸太がかつて鳥居だったそうです。

さらに55貫目という石が。力比べ大会もあったそうな。
江戸一番の力持ちの絵がありました。そこには足で船を持ち上げてる(しかも船に侍を乗せた馬が…)


深川は江戸時代運河が集中していましたが、その中でも佐賀町へ。
佐賀の港に似ているから佐賀町と呼ばれるようになったそうです。

佐賀町には格子状の運河と木場がありました。
その後堀割を活かして倉庫業なども江戸時代からはじまってました。

そんな江戸時代の運河、クランクの堀割がしっかりと残っています(が、一部は埋め立てられ公園に)。さらに護岸の名残も…

公園から護岸を見つけたタモリさん。護岸がカーブしています。
さらに公園の出口にも護岸がありました。石がメインで、かさ上げしてコンクリートが…という仮説。
昔は石とコンクリートを竹や木で突いて作ったという説明も。

対岸の公園にも護岸はありました。しかもそれが人家を越えて隅田川へ。
隅田川には蔵屋敷があり、対岸は日本橋。すごく計算的に作られたのですね。

また、佐賀町の失われた運河を求めて…

昔油堀と呼ばれたところ。昭和50年に埋め立てられ、首都高速深川線に。
首都高速が曲がっていたのは堀のせいなんですね。
江東区の運河は高速道路の下にあるんですね。まるで都会を走る車が日本橋に向かう船に見えてきます。


江東区は今でも物流の拠点。

佐川・ヤマト・西濃・新潟…トラックの倉庫が密集する新船。

ここで日本最大の郵便局・日本郵便新東京支社へ。
敷地はドームの2倍、日に3000便のトラックが!ここからSさんのメールなどが僕の家に届くんですね。

まずは窓口。トラックでDMやカタログなど都内の郵便物の25%が集まるそう。
それから重量もしっかりはかります。

日2000万通の郵便が届くここでは、仕分けもロボットが…
するとロボットが突然停止。スタッフの照明のせい!?しかしすぐ直り一安心。

また、自転車(三輪車)で社員がいろいろ、というのも。

定形外郵便エリアは機械で仕分けができないため、およそ50名が働いています。
見ているとできそうな…

郵便局の中で「人が渡ります」という標識を発見。しかしそれは子供が消えた歩行者道路の標識…怖い!

次は小包を運ぶエリア。
届いた荷物を最速30分で運ぶことができます。物流はスピードです。

センサーで情報を元にあて先別に(都内とか東北とか)仕分け。
コンベアも早い早い。アイスホッケーのGKみたいだとタモリさん。

区分けされた小包は人の手で集配されますが、そこでの指令を出すコントロールセンターがあります。
モニターを見て、シュートの状態から集配員を動かすんですよ。
新潟方面のシュートが満杯なので、手伝えという指令も…

決して止まることのない物流最前線だった。


江東区、それは江戸時代の都市計画から心臓部だった場所。
ここがあって岩手の僕のものが東京に届くという、ホットライン。


さて、次回の「ブラタモリ」では・・・
放送局の枠を超えた久保田祐子の暴挙が!?


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タグ: NHK



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