2007/12/31 14:05
対訳 ディキンソン詩集 アメリカ詩人選(3) 読書

「対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選(3)」 エミリー・ディキンソン著,亀井俊介編(岩波文庫)。
エミリー・ディキンソンを知ったのは,マルコ・ベロッキオ監督の映画「夜よ,こんにちは」が,ディキンソンの同名の詩からとられているということを知ったとき。本書には,「夜よ,こんにちは」は収録されていないけれど,ディキンソンの詩50篇が原文と翻訳の対訳形式で収録されている。ちなみに,「夜よ,こんにちは」の原文は,こちらで読めます。
名前で分かるとおり,ディキンソンは女性詩人(1830−86年)。生前,わずか10篇の詩が発表されただけで無名のまま生涯を終えました。そんな彼女ですが,死後詩の発見と共に再評価を受けます。
基本的にはコンパクトで短い詩が多いので,親しみやすいといえるでしょう。
孤独の世界を独特の感性で磨いていくその手法は鮮やかです。
「水は,のどの渇きが教えてくれる」(51頁)では,「歓喜は−苦痛が−」(教えてくれる)と表現していますが,こういう逆説的な表現も彼女の特徴です。
67頁の,「わたしは苦悶の表情が好き,真実なのだと分かるから」なんかもそういう部分がよく現れています。
希望を鳥にあつらえた,「「希望」は羽根をつけた生き物」(75頁)も印象的です。 「わたしは誰でもない人!あなたは誰?」(85頁)では,「まっぴらね−誰かである−なんてこと!」と自己顕示の手段としての詩というスタンスとは全く正反対のスタンスを表白しています。
そして,静かな生活は卓越した観察眼を生み出します。「小鳥が道をやって来た」(91頁)では,小鳥を活き活きと描写し,時には,草をも描写し(「草はなすべきことがあんまりない」(95頁)),「わたしは乾草になれたらいいのに」と結ぶ。
信仰もディキンソンの特徴の一つ。「分かっている,あの方がちゃんといらっしゃることは」(99頁)では,神の存在を予感するものの現れないその姿に対し,かくれんぼという空想を加える。
「この世界で終わりではない」(127頁)の最後の部分は力強くて気に入っています。
Narcotics cannot still the Tooth
That nibbles at the soul -
だが麻酔剤では鎮められぬ
魂を食い破る歯を
(129頁)
死についての詩としてコレクションに追加しておいてもいいなと思うのは,次の詩
That Such have died enable Us
The tranquiller to die -
That Such have lived,
Certificate for Immoratality.
あのような方たちが死んだということは
わたしたちをいっそう安らかに死なせてくれる−
あのような方たちが生きたということは,
「不滅の生」を証明してくれる。
(151頁)
彼女の真実に対するアプローチも興味深いです。「真実をそっくり語りなさい,しかし斜めに語りなさい−」(159頁)
そんなディキンソンですが,別に暗い訳ではありません。最後はそんな詩を
A word id dead
When it is said,
Some say.
I say it just
Begins to live
That day.
ことばは死んだ
口にされた時,
という人がいる。
わたしはいう
ことばは生き始める
まさにその日に。
(161頁)
2007/12/30 21:59
太陽の都 読書

「太陽の都」 カンパネッラ著,近藤恒一訳(岩波文庫)。
トマス・モアの「ユートピア」と同じ形式の,理想の国家を論じたユートピア論。カンパネッラは,イタリアの人で哲学者,ガリレオを擁護し,25歳から60歳まで獄中にあった。モアのユートピアが書かれたのは,1516年で,本書は,1602年,いずれも教会が絶大な権力を振るっていた時期ですね。
カンパネッラの場合は,占星術の影響が強いあたりが一つの特徴か。モアもそうですが,プラトンの影響が色濃いです。
共有制を基本にし,統治者にジェネラリストたる哲学者を据え,4人の中心人物を置く。一種のエリート支配ですね。
国制の中身としては個人的に魅力を感じませんでしたね。というか,こんな国制は実現して欲しくないと思いました。このころの理想社会って,ちょっと極端だと思います。やはり個人の自由が確立された現代の眼からだと随分色合いが違うんでしょうね。
とはいえ,本書はそういう視点ではなく,当時カンパネッラが置かれていた社会状況に対するアンチテーゼとして読むべきなんでしょうね。
文中,日本人が黒い色を好むとして,やや特殊な文化を持つ国として引用されていました(47頁)が,日本ってそういう風に思われていたんですね。
2007/12/29 17:54
啄木詩集 読書
「啄木詩集」 石川啄木著,大岡信編(岩波文庫)。詩論の「食ふべき詩」を初めにレビューしましたが,詩集は,まさにその詩論を裏付けるものとなっています。
19歳で刊行した文語体の詩集「あこがれ」でデビューした啄木。本書は,このあこがれからスタート。その文語体の世界に圧倒されるけれど,やはりどこか根がない感じを受けます(とはいえ,マカロフ提督追悼の詩は異色ですよね)。
あこがれ以後は,また独自の世界が広がる。散文詩や口語自由詩の世界になって,我々にとっては馴染みやすくなります。
こっけいな若い男の習性を描いた「二人連」,「書を読んでも何が書いてあるやら解らず。これや不可(いかん)と思って,声を立てて読むと,何時(いつ)しか御経の真似をしたくなったり,薩摩琵琶の声色になったりする」(84頁)
あー,何か分かるなその気持ち。この詩自体が一つのコメディーになっています。
心の姿の研究(114頁以下)は,鮮やかな啄木の技が楽しめます。「夏の街の恐怖」は,「焼けつくような夏の日の下に おびえてぎらつく軌条(レール)のこころ。」で始まりますが,いきなりぎくっと来ますね。
有名な呼子と口笛の「ココアのひと匙」の最後の部分は抜き書きしておきましょう。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて,
そのうすにがき舌触りに,
われは知る,テロリストの
かなしき,かなしき心を。 (138頁)
啄木は,短歌だけではない。
2007/12/28 21:54
自民党で選挙と議員をやりました 読書

「自民党で選挙と議員をやりました」 山内和彦著(角川SSC新書)。
ドキュメンタリー映画「選挙」で取り上げられた,川崎市議選の補選を戦った山内氏の新書。「選挙」についての情報を補完してくれるので,ドキュメンタリーと一緒に読むと役立ちそうですね。
選挙活動がどんな感じで行われるのかについて全く知識のない著者が郵政民営化の落下傘候補旋風の時に体感した選挙運動。
内容的には,少し薄い感じで,もう少し深いところまで要求したかったですが,三バン(地盤,看板,カバン)なしでチャレンジした若者の手記として入りやすいのは事実です。
しかし,本書を読んでもなんで彼が自民党からという違和感がぬぐえない。なんで彼は自民党から出たのか?
この補選が参院の補選と一緒だったというのも知らない話でした。だから小泉首相だし,だからこその追い風だった訳ですね。彼的には,かなり楽観視していたんだなーと納得。そのゆるさが,のほほん選挙観察日記みたいになった訳ですね。
ドキュメンタリーとプライバシーについても少し書いていますが,これは気にするかどうかでしょうね。個人的には,編集の問題はあるだろうけれど,悪意のある編集がなされない限りはやむを得ないのかなと。
そういえば,従軍慰安婦問題ドキュメンタリー改変訴訟で,最高裁が弁論を開いたというニュースが載っていましたね。一種の期待権を認めNHKに賠償を命じた高裁判決の見直しの可能性が論じられています。こちらも注視する必要がありますね。
後半の議員生活編も,同じく少し薄い。もう少し基本的なことについても勉強しておくべきだろうなーと思いましたが,まあ玄人ばかりが選挙に出るというのも確かに問題かもしれないね,と強引に整理。
議会がセレモニーという指摘も何を今さらという感じがしますが,それを乗りこえていく試みが必要なんだろうと思います。しかし,自民党から出馬していたらそれも無理。そういう意味で全身縛られたままベルトコンベアー式に選挙と議員を経験しましたという感じを受けてしまいます。
辛口批評ですが,本書からは嫌みな感じは伝わってきません。そういう意味では選挙を市民のものにするための違った角度からの第一歩なのかもしれません。
2007/12/27 16:51
私は逃げない ある女性弁護士のイスラム革命 読書

「私は逃げない ある女性弁護士のイスラム革命」 シリン・エバディ著,竹林卓訳(ランダムハウス講談社)。
ノーベル平和賞を受賞したイランの女性弁護士の手記。イランの歴史を知るのにも役立つ貴重な一冊。
エバディさんは,イランで裁判官をしていたが,イスラム革命に伴い女性であるということだけを理由に事務方に転じられる。その後,弁護士に転身し,主に女性の権利の確立のために精力的に動き回る。自身逮捕も経験するなど,その半生には驚かされる。
タイトルの「私は逃げない」ですが,文字通りエバディさんは国の体制の変節にも関わらず国を出ませんでした。イラン・イラク戦争の時には多くのイラン人が国外に流出しましたが,それでもイランの外には出ませんでした。
「誰かがイランを去ると,私にとってその人は亡くなったのも同然だった。同じ世界を共有していたからこそ,同じ希望が互いの人生を照らし,同じ不安が夜を眠らなくさせていたから友人だったのだ。」(127頁)
この頑固ともいえる姿勢は,イランを愛すればこそ。この姿勢があるからこそイランの現状に対する批判の声は重みがあるんですよね。
現在エバディさんの取り組む,コーランをベースにしても男女平等と民主主義は成り立つはずであるというアプローチは非常に重要なアプローチだと思います。
本書では家庭の中での男女平等という点でも鋭い指摘がなされています。特に子育てに対する取り組みの覚悟という意味では男性はまだまだ女性には及びません。そういうことを意識することがまずは大事なんだろうと思います。また,子どもとの関係という意味では,教育書ともとれる深い悩みを見ることができます。
イランの政府の対応については,ひどいなーという一言でまとめるのは止めましょう。そこには考えなければならない様々な問題があります。国がああいう状態に置かれた時に日本はどうなるだろうかと考えると,他人事ではいられません。
アメリカとイランとの敵対関係についても,アメリカによるモサデク政権の転覆とイラン・イラク戦争まで振り返ってみるならば,その遠因がよく分かってきます。
敵対視されるイランのような国からの発信が今求められていますね。
PS 254頁に誤植があります。「乗ってない」となっている部分が「乗っている」となるのでしょうが,こういう全く正反対の誤植というのも珍しいですね。