決勝の仏伊戦は、双方の持ち味を出し尽くした、実にいい試合だった。これはサッカーに限った話ではないが、チームが、そして試合が最も活気付くのは自分たちのプレイができたときである。すなわち、フランスはドリブル、そしてイタリアは言うまでもなくカテナチオ――オールコートのゾーンプレスだ。
フランスという国はヨーロッパの中では珍しく、伝統的に個人技主体、ドリブル中心のサッカーだ。プラティニのキラーパスは有名だが、何より彼は「持てる」選手だった。芸術の国、というのが関係あるかどうかはわからないが、フランスはサッカーでもラグビーでも、芸術的な個人技が随所に見られる。そして、決して無理はしない。ハードタックルを喰らってもパワーで持ちこたえるような真似はせず、華麗なパスワークでかわし去ってしまうのである。以前書いたように1次リーグではそのパスワークが単調になってしまい、まるで冴えない試合を繰り返していたが、大会が進むにつれて調子を上げ、この決勝では本来のドリブル主体のサッカーを存分に発揮していた。前半7分のPKは、正にその所産と言える。攻撃陣が果敢に切り込み、アンリのパスを受けたマルダが左からドリブルで持ち込んで、マテラッツィのファウルを誘った。PKはジダンのループ。ボールはゴール右上吸い込まれ、フランスが先制。
そんなサッカーを続けるフランスだから、勢い、試合は圧倒的にフランスが支配しているように見える。だが、そこがイタリアなのだ。要所を締め、決定機を作らせない。逆にいったんボールを奪うや、サイドに展開したり、トニに預けて組み立てたりと多彩な展開を図る。深い守りと鋭いカウンターアタック。結果、ボール支配率は55:45でイタリアが勝っているのだ。そして前半19分、CKからピルロが中央へ放り込み、それを先ほどPKを与えたマテラッツィが汚名挽回とばかりヘッドで叩き込んだ。1−1! 試合は早くも、まったくわからなくなった。その後も両チーム積極的に攻めあうも、1−1のまま前半終了。
後半、フランスはさらに攻め立てた。後半のシュート数7−2(前半3−3)、CK4−1(前半2−4)が、後半のフランスの圧倒的な攻勢を示す。それでも耐えるイタリア。カテナチオの本領発揮だ。そして、後半はスコアレス!
延長戦のジダンの退場については、既にかなりのことが明らかになっている。そしてマテラッツィが、人種差別的な要素は含まないものの、再三ジダンに対し侮蔑的なことばを吐いたこと、これは両者が認めている。FIFAはそれを重視し、両者に対し罰金と出場停止の措置をとった。
私はこの措置については、正しいと思う。ただし、許しがたいのはマテラッツィの方だ。いかに試合に勝つためとはいえ「ことばの暴力」が許されていいはずはない。ジダンは「世界中の子供たちに謝罪したい」と言ったが、謝罪しなければならないのはマテラッツィの方だ。輝く優勝に泥を塗る行為と言わざるを得ない。イタリアの世論やメディアは総じて彼に好意的だそうだが、だとすれば、イタリア人というのは民度の低い、せこい連中だということにもなるだろう。
一方のジダン。この日の彼は、見るからに普通ではなかった。試合前の国歌吹奏の時からそうだ。緊張しているのとも気合が入っているのとも違う、いつもの彼にはない、恐ろしい表情をしていた。PKを決めた時もニコリともしなかった。明らかに、普段の彼とは違う。最後の試合ということもあるだろうが、特別な精神状態にあったのかもしれない。それがあの頭突きをもたらしたのだとすれば、やはり決勝のフィールドには魔物が住むと言うしかないだろう。
ただ、この退場が勝敗に影響を与えたという見方については、私は否定的だ。既に延長後半。それまでの戦いぶりからして、ジダンがいても、数的不利がなくても、残り10分でフランスが得点できたとは考え難い。逆に、独伊戦でロスタイムに立て続けに2ゴールを上げたイタリア攻撃陣を最後までよく押さえたと言うべきではないか。
PK戦もそうだ。仮にジダンがいても、ブッフォンがいる限り最後はイタリアが勝ったはずだ。それほど彼の働きは素晴らしかった。この期に及んではもはやイタリアのPK戦のジンクスなど、神様だって忘れていたに違いない。
それにしても改めて感じるのは、自分たちのサッカーを遺憾なく発揮したチームだけが決勝に勝ち残り、そこでも自分たちのサッカーを貫いてすばらしい試合をしたということだ。プロがいい試合をした――それは単に技術やコンディションだけの問題ではない。自分たちのアイデンティティを、存在意義をかけて自分たちのサッカーで勝負したということである。
唐突なようだが、私は同じドイツでのある光景を思い出す。72年のミュンヘン。バレーボールの男子日本代表が1度だけ世界を制した、オリンピックの開催地である。
当時の松平監督は「パワーのソビエト、技術のチェコ、高さの東ドイツにパワー、技術、高さで対抗しても絶対に勝てない。日本人に合ったオリジナルの武器を持たねばならない」と言って「速攻とコンビネーションの日本」を完成させた。日本人独特の奉仕・犠牲の精神、器用さ、スピードを生かした戦術は、形こそ違え「変化とスピード」として現在の柳本監督の女子日本代表に継承されているように思う。
サッカーでもそうだ。「フランスB」や「ブラジルB」をいくら作っても、「A」には絶対勝てないのである。それはつい先日の、対ブラジル1−4という結果が、何よりも雄弁に物語っている。
折しもオシム新監督は「日本代表チームを日本化させる」「日本らしいサッカーをする」「日本はだれのまねもしない方がいい」として、日本の特徴として「素晴らしい敏しょう性、スピード、そして積極性」を挙げた。賛成だ。かつて世界を制したバレーボールの「速攻とコンビネーション」に通じるものがあるではないか。これに彼独特の「考えながら走る」サッカーを加味し、熟成させた時、それは今回のフランスやイタリア同様、日本のオリジナルのサッカーとして諸外国に通用するものになるに違いない。その時は4年後、舞台は南アフリカである。私ももちろん、多くのサッカーに魂売り渡した諸君と共に、現地でそれを見届けたいと思っている。(この項終了)