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とりあえず書き始めた。思いつくことがあったらどんどん行間に入れていってしまうつもり**
9.4 待望の
「輝ける青春」を岩波ホールで見る。
6時間6分の長編であるが、「
ベッピーノの百歩」の
マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督、ルイジ・ロ・カーショ主演であり、大きな期待があった。
ベッピーノの遺志をついで反マフィアのデモに皆が立ち上がるラストシーンは今でも忘れられない。
ただ、9.4はなんと、防衛庁を「人間の鎖」で囲むイベントと重なってしまった。もう9/17まで見る時間がつくれないので、涙を飲んで「人間の鎖」は勘弁してもらう。
この映画ではニコラ、マッテオの兄弟を軸に1966年から2003年にいたるカラーティ家37年の歴史が描かれる。
この一家にイタリアの歴史が凝縮されている。それがRealityがあるとかないとかいうのは枝葉末節なこと。
この映画、随所に「はっ」とさせられるところがある。きわめて個人的な体験で一般的ではないのだが、そのために自分にとってはより映画がRealityをもってくる。 だから、ここに書いたことは他人が見ても参考になる映画評にはなっていない。
とにかく見てみられたらいい。それぞれ自分の身に引き寄せて感ずるところが沢山あるのではないだろうか・・・。
映画の最初、タイトルが出るや否やアニマルズの「
朝日のあたる家」が流れる。
もうそれだけで自分の高校時代が蘇った。皆はアニマルズなのだろうが、私はジョーン・バエズのアルバムで聞いた。
同じ時、イタリアで人々は何を考え、どういう暮らしを送っていたのだろうか?
あっというまに映画に吸い込まれた。
「There is a house in New Olreans, they call "The Rising Sun"・・・」
ふっと、思う。 今 大洪水で混乱の極みとなっているのが奇しくもNew Olreans、未だに虐げられた人々が棄てられているところ・・・。
それにしても音楽の使い方が見事。
もともとTVの為につくっていて、音楽はもっと当時のものを色々使っていたらしいが、映画化にあたって整理したという。
最初は、ニコラとマッティオの兄弟が精神病院で虐待されているジョルジアに出会う。ボランティアで介助をしているマッテオが虐待に気づき、病院から逃そうとするのだ。
それが試験がおわって休暇で旅にでる日と重なる。
そうだ、このころだったか日本でも精神病院での虐待が問題になった。 朝日新聞の大熊記者が患者に化けて入院してルポを書いた。たしか「精神病棟」という題だった。
良く考えてみれば、イタリアでこの時代に大学へ行った若者はボランティアを当然の如くやっていたのだ。
少なくも、日本にはそれはなかった。 戦前にはセツルメント活動があったかもしれないが・・・。
ちらっと「モーターサイクルダイアリーズ」の映画のことが頭をよぎる。 そういえば、あれもゲバラが友と一緒にバイクで旅に出る。その途中でハンセン病の患者に出会い、それがその後の人生を決める大きな要素になるのだった。
そして、ジョルジアが途中で警官に捕まり、それを助けられない二人。
ニコラはこれがもとで、後年精神病の医師になったのだろう。 無力感でどうしようもなくなったマッテオはあろうことか軍隊に入ってしまう。
そして違う道をすすんだ二人は1966年のフィレンツェの大洪水で再開する。
フィレンツェの大洪水(1966)のボランティアでニコラがジュリアと出会うシーン。
ドゥオモが見えるダビデの像があるあの道、あそこにあんなに泥がたまったのか・・・。
と、ボランティアの休憩中にモーツアルトのピアノソナタ第8番 K310 がながれる。 ジュリアが激しく弾いているのだ。
彼女の専攻が数学、後々「赤い旅団」に入り込んでしまうジュリアは、善悪理非をはっきりさせてしまう理系のある面を見事に体現している。
自分の性向とも多少重なるところがあるなあ。
トリノで同棲する二人、
シューマンの「こどもの情景」から「知らない国々」が流れる。
そしてラベル。
物事をつきつめるジュリア、とうとう「赤い旅団」に入ってしまう。
自滅一歩手前で、逮捕され入獄する。ニコラに告げて自ら獄にはいる道を選んだのだろう。
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後半にはピアソラのバンドネオンが流れる。
服役しているジュリアの元にニコラから小包が届く。
あふれ出る楽譜。「君にしか読めない言葉」とかいてある。
瞬間、ジュリアの頭の中に流れるカンタータ。
楽譜はうちにもころがっているEulenburg Miniatureの Score。
バロック音楽に凝っていた若い頃は本郷のアカデミア、新宿の村松楽器や渋谷のギタルラで良く買ったものだ。
考古学の修復を専攻したサラがジュリアに説明をしている。
「(好きなのは)聖母子が多いのね」、サラが求めていた姿なのだろう。
フィレンツェのなじみある教会がでてくる。そうそう、あそこ・・・。
とうとう、最後はオルガンが響く。
「司祭の許可がないと・・・」
「もういいわ。娘のたった一つの願いも聞いてくれないの?
世界を転覆しようとしたあなたが・・・」
サラの求めに応じて教会で弾くバッハのインベンションとシンフォニア。
この映画に出てくるバロックの音楽、かみさんはピアノでよく弾く。土日ゆったりとしたとき、響いてくるのだ。
小市民的なれどそこはかとない幸せを感じる時である。
マッテオはシチリアのパレルモでミレッラというほんとに明るい女性と出会う。
トリノでミレッラに再開したマッテオは一夜を共にし、一子アンドレアをもうけていたことが後でわかる。
ミレッラの出身地が「ストロンボリ」と聞いて、これまたびっくり。

イングリッド・バーグマンがイタリア、ネオリアリズモの元祖ロベルト・ロッセリーニに惚れ込んで、懇願して出来上がった第一作目の映画が「ストロンボリ/神の土地」(1949)である。 火山島に移り住んだバーグマンが徹底的に排斥されて受け入れられないという厳しい映画であった。白黒の映画で見たときはなんとも陰鬱な印象で、荒涼とした火山島だとばっかり思っていた。 ところが、今回ミレッラとともに出てくるのは太陽の光がまぶしく、緑が豊かなストロンボリ島である。ただ島に船が着いたときの桟橋の様子、それは1949年の映画と同じだった。
マッテオは結局ミレッラを受け入れられず、自死してしまう。
嘆き悲しむニコラと母アドリアーナ。
友人カルロがさらっとニコラに言う言葉がいい。
「あんまりマッテオのことを考え過ぎないほうがほうがいい。最後は憎むようになってしまうよ」
そして心が落ち着いたニコラは、最後にミレッラとが結ばれる。
未来へ希望を託すかのように。
そして実際に未来をになうのはサラであり、アンドレア達だ。
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映画を見られたら、是非パンフレットを買われたらいいと思う。
そうそうたるメンバーが書かれている。
塩野七生さん:
・・・あの時のフィレンツェがなかったら歴史作家である今の私もなかったと言ったら、監督はのジョルダーナは愉しそうに笑った後で言った。
「ならばお互いに、当時のマスコミが名づけた「泥の天使」仲間でもあったわけだ。青春には国境はないということですが、その後の40年が、この映画の主題でもあるのです」
矢島翠さん:
・・・しかしあの時代の若者たちがすでに親の世代となり、彼ら自身の子どもたちさえ青春期を終えようとしている今、その間に流れた40年近い歳月を広い社会展望のなかに置いて語りきった映画は、これがはじめてである。・・・
鎌田慧さん:
・・・学生運動、労働運動、三里塚(成田空港)闘争、あるいは、よど号ハイジャック事や爆弾闘争の被告など、わたしはひとつのシーンのなかに、さまざまな友人や知人の顔を重ね合わせていた。この映画の背景をささえている、運動の昂揚と苦い自省は、日本にも共通するものなのだ。
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映画を見た後、何日かたっても 食事時によく話す。昔の時代のことも有れば、マッテオの心理の話も。
「ベルトリッチもジョルダーノもいってみればインテリの一族、ほんとうの労働者が主人公の映画は作りにくいのかな・・・」
「アンゲロプロスはそうでもないけど、彼の場合はギリシャの歴史の悲劇が、どんな立場の人たちにも共通した大きな影をのこしている、という視点で撮っていると思う・・・」
「輝ける青春は社会の問題が個人の選択という問題に引き戻されすぎているかもしれないけど、それはそれでより自分の今と照応させるにはいいとも言えるね・・」
「僕はジョーンバエズの歌で知ったんだが・・・」
「あの歌はなんといってもアニマルズ。私は中学生だった。歌の巧拙ではなくて、あの絞るような唸りでうたっていた。深夜放送でもよくやっていたよ。」