5月31日、国民投票問題で新潟の平和運動センター、護憲フォーラム、社民党のみなさんと一緒に街宣をおこないました。
社民党系とはちょっと違った視点・論点に、彼らからも評判よかった演説でした。言い足りなかった点を大幅に加筆し、君島東彦氏の論文や近藤正道・参院議員の通信、GPPACの報告などを参考にして全体を再構成して、整理して主張として掲載しておきたいと思います。

↑平和センター・護憲フォーラム・社民党のメンバーと協力して街宣。
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去る5月26日、与党は憲法の改正手続きに関するいわゆる「国民投票法案」を衆議院に提出、この6月1日から審議入りとなっている。
私たちは憲法を絶対不変のものとは考えていないし、国民投票制度そのものを否定するわけではない。しかし、与党案が衆議院に提案される前日、自民党憲法調査会会長は憲法9条1項で定めた戦争放棄の「見直し」を表明している。そのあからさまな流れから見ても、この投票法案が、憲法9条をはじめとした戦後の日本社会の平和や民主主義や基本的人権といった理念に狙いが定められていることは明らかだ。
しかもこの間、国会では教育基本法の「改正」、共謀罪の成立が企てられ、また、日米政府による米軍再編への「合意」など、憲法の外堀を埋めようという試みが矢継ぎ早に重ねられている。また、地方自治体においては、有事法制の一環たる国民保護法に基づく保護計画が、国主導でさしたる議論や問題意識もなく策定され、国や自治体全体の有事に向けた体制が整えられようとしている。これらに続けて、今回の与党による法案提出は、ついに憲法本体に迫る正門にまで手を掛けた、ということだ。国民的関心が決して高いとはいえない中で、事態は緊急そして深刻である。
焦点となっている最大の課題である憲法9条については、いまや現実と大きく乖離しているという意見がある。
確かに世界各地で紛争は絶えず、日本も、予算額で言えば世界第2位の自衛隊という巨大な軍隊を持ち、海外に派遣し、憲法と現実とは大きく乖離している。しかし、毎日のように殺人や凶悪犯罪が起きている現実があるからといってもっと犯罪を起こしやすくしようというのが暴論であるのと同様、世界で戦争が起こり自衛隊が海外に行っているから、今よりもっと軍備を増強しもっと自由に海外へ派兵できるようにしようというのは、逆立ちした大暴論だ。現実に憲法をあわせるのではなく、憲法に現実を近づける努力を、私たちは重ねる必要がある。
自衛隊はイラクで活動し、米軍の軍事活動を側面から支援している。その意味で、私たちは「憲法9条があるから平和であり続けた」などという楽観論には立たない。自衛隊を派遣している日本は、イラクで毎日のように続く悲劇に大きな責任を有していると言わなければならない。しかし現在、自衛隊は米軍のような直接戦闘行動に関わることはなく、先日明るみに出たイラクでの米軍による住民虐殺事件のような行為も、結果として起こすことなく今日に至っている。自衛隊の兵士たちをそのような行為や危険や残虐行為への関与から、かろうじてぎりぎりのところで守っているのが、他ならぬ憲法9条だ。憲法9条があるからこそ、自衛隊の活動が軍事行動ではないことを、たとえそれが詭弁であったとしても、政府は国会で、国民に対して説明する義務があった。そしてそれは国会だけでなく、世論の中でも、不十分とはいえ検証され続けてきた。しかし9条という制約がはずされれば、そうした説明や検証なしに、戦闘・軍事行動のフリーハンドが、政府と自衛隊の前線部隊に与えられることになってしまうだろう。
また、憲法は押し付けだという議論もある。
確かに、日本人だけで今の憲法をつくったわけではない。しかし日本国憲法は、2つの大戦での多くの市民の犠牲という人類の悲痛な経験から、その当時の世界の、とりわけアジア地域の人々の、理想や夢が託されていると見るべきだし、平和な社会を創っていくための、1945年時点での人類の理念の到達点が反映されていると見るべきだ。
先般開催された、国連とパートナーシップを持つ世界各国の平和NGOが集まって開催された会議でも、東北アジア地域の代表者からは、9条の存在そのものがこの地域の平和と安定、そして国家を超えた市民間の信頼醸成に寄与しているという事実が指摘された上で、「日本は憲法9条を変えて、これからいったい何をしようとしているのか」といった旨の危惧が次々表明されたと聞いている。日本の戦前の反省という意味以上に、世界の多くの人たちの平和へ向けた想いや理念が託された憲法を、この社会の現実にあわせるのではなく、この憲法に、少しでも日本や世界の現実を近づけるための努力をすべきだということを繰り返し訴えたい。
私たちの国の若者たちを紛争の現場に送り込み、戦争と憎しみの連鎖を拡大させることに道を開いてはならない。私たちは、軍事力によってではなく、別の方法で世界の平和や相互理解に寄与しなければならない。
焦点となっているのは9条だけではない。私は市議会で活動しているが、戦前のような国の言いなりでなく、自治体で独自の制度・施策が運用され、独自の街づくりや市民福祉のための制度がつくられていく可能性を、憲法は地方自治という形で保障している。また、私たちが自由に物を考え、発言し、そして戦前には参政権のなかった女性が積極的に社会や政治に参加しているのも、憲法の基本的人権や両性の平等の考え方によって保障されているものだ。自民党は、こうした憲法の基本的な理念にも手をかけようとしている。
先人から、そして世界の人々から、このような重要な理念が託され反映された憲法を変えるためには、徹底した国民的議論、あるいはアジア地域や世界をも巻き込んだ議論が必要であると言っても過言ではない。しかし、憲法を変えるための制度として提出されている今回の法案の構成自体が、憲法の理念や果たすべき役割だけでなく、それを巡る議論そのものを否定していると言わなければならない。
与党案では、教員や公務員、永住外国人は議論や運動に参加できないことになっている。成立要件も「有効投票数の過半数」として、少数でも改定できるようになっている。投票の方式に関しても、「一括発議」を避けたように見えるが、「努力目標」にとどまっており、「関連事項ごとにまとめて行う」とすれば、議論のある9条の1項と2項についてもひとくくりにされる可能性もあり、投票したくても意見の表明ができない有権者を増やしてしまう。
各党の国会の議席に応じた「憲法改正広報協議会」という代物も改憲キャンペーンの垂れ流し的役割になる危険性が高い。マスコミへの無料広告が「政党等」に限られているのも問題であり、これでは普通の市民の意見は事実上無視ということになる。
いずれも、現在の国会の巨大与党の数と論理で、私たち市民の生活や命にとって最も重要な基本的理念を転換させるための道筋や仕組みであり、これがいとも簡単に成立させられようとしている。
国会で、一部の議員や野党は、与党の「国民投票法案」を認めず、改憲のごり押しに抵抗して奮闘を続けている。しかし、超巨大与党が支配する国会の場だけでは、おのずと限界がある。
国会の中の彼らの動きを励まし、私たち市民が支えるという決意と意思を明らかにし、彼らの奮闘を国会の外に伝え、議論を広く国民全体に開かれたものにする必要がある。そして、広範な、多様で理知と活力に富む声と行動が、今こそ必要だ。
私たちも全力で奮闘したい。ともにがんばろう!