2018/4/16

エンタテーメントの極致『グレーテスト・ショーマン』・・・ディズニーとMTBの合体  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します
『グレーテスト・ショーマン』より

■ 娘に勧められて『グレーテスト・ショーマン』を観に行った ■

TVが無いので映画など何が流行しているのか全く知らない私。そんな私に娘が『グレーテスト・ショーマン』という映画が面白かったと興奮して話し始めた。

私 「何が面白かったの?」
娘 「入口でペンライトもらって、コスプレの人とか居て・・・」
私 「そういう内容の映画なの?」
娘 「サーカスの映画だよ」
私 「コスプレの?」
娘 「歌ってもいいの。声かけても。ガヤなんてタイミングピッタリだし」
私 「何の話しをしてるの?」
娘 「だから、応援公演」
私 「映画を観に行ったんじゃなかったの?」
娘 「だから、映画を応援しながら観るの、バルト9で」

どうやら、娘の行ったのは『グレーテスト・ショーマン』という映画のファンの為の上映会で、上映中にペンライトを振ったり、スクリーンと一緒に歌ったり、コスプレしている人が居たり、スクリーンに声を掛けたり(ガヤと言うらしい)出来るらしい。要は『グレーテスト・ショーマン』のディープなファンの為の特別上映会。

私 「ところでお前、この映画のファンなの?」
娘 「ううん。初めて観た」
私 「・・・・」


娘の「楽しかった」は、「スクリーンと一緒になって楽しむ人達を見て、楽しかった」という事らしい。ただ、その後、映画の内容を全部ネタバレしてくれました。・・・私的には『グレーテスト・ショーマン』を観る必要が無くなりました。

■ 家内がどうしても行きたいと言うから・・・観てみた ■

その後も娘はメールで「観た?観た?」と催促して来る。家内は友人にサントラを借りて来て予習に余念が有りません。

日曜日の朝に何やらパソコンで調べていると思ったら、池袋で今夜開催される「応援公演」の予約を取ろうとしています。

私 「これ夜遅過ぎだよね、終わるの11時過ぎだし・・」
妻 「でも、もう応援公演が終わっちゃうよ。バルト9は終わっちゃったし」
私 「いきなり応援公演ってハードル高く無い?映画じゃなくてファンを観に行くみたいだよ」
妻 「確かに」

こんな会話をした後、午後2時になっても未練がましく予約画面を眺めている家内。

妻 「ねえ、まだ席がだいぶ空いてるよ」
私 「応援公演ってファンが少ないと寂しく無い?何見に来たのか分かんなくなっちゃうよ」
妻 「それもそうね・・・。ねえ、じゃあ普通の上映に行こうか」
私 「それなら良いよ」

という事で、夕方から久しぶりに夫婦で映画に出かけました。お互い50歳を過ぎているので安い。

■ ディズニー映画だった・・・ ■

妙な盛り上がりを見せている映画なので、あまり期待していませんでしたが・・とても楽しめました。

これ、ディズニーのアニメ―ション映画だよね・・と思いながら観ていたら、脚本は実写版の『美女と野獣』の監督のジェニー・ビックス。とにかく細かい事は観客に考えさせない。骨格のしっかりしたストーリーに印象的なシーンを散りばめて、後は歌で押す。エンタテーメントに徹しています。

音楽は『ラ・ラ・ランド』のベンジ・パセック&ジャスティン・ポールのコンビ。完全オリジナルだそうですが、私、サントラを聴いていて80年代のMTB黄金期のクイーンやジェネシスやホイットニー・ヒューストンとかTOTOとかを思い出してしまいました。この時代までが商業音楽が生き生きしていた。キャッチーでポップだった。

ちょっと懐かしいメロディーをてんこ盛りにして、今風のアレンジで処理すると、一度聞いただけでノリノリで歌える楽曲が出来る。これ、簡単な様で結構難しい。特に盗作とか、パクリと訴えられないギリギリのラインを狙っています。冒頭なんてクイーンの「We Will Rock You」そのまんまですが、こうも堂々とやられるとパクリと言うのが野暮。

ディズニー映画はアラン・メンケンの耳に着いて離れないメロディーを巨力な推進力にしていますが、『グレーテスト・ショーマン』も、音楽のキャッチー度合いでは引けを取りません。

■ ロングバージョンのミュージッククリップ ■

映像も素晴らしいのですが、ミュージッククリップの手法だなと思ったら、監督はそちらの畑の人でした。

様は『グレーテスト・ショーマン』はディズニー映画的な分かり易い脚本を、ミュージッククリップの手法で演出した作品。『フラッシュ・ダンス』の進化系の映画ですね。

■ 空中ブランコのシーンは圧巻 ■

内容なんて気にせずに音楽に身を任せ、ゴージャスなショーを楽しむ・・・そんな映画ですが、空中ブランコのシーンは圧巻でした。

CGに席巻された昨今のアメリカ映画で、「生身」の人間の「技」がこれほど素晴らしいものだと再認識されるシーンです。

クリックすると元のサイズで表示します
アン役のゼンデーヤさん

空中ブランコ乗りのアンを演じたのはゼンデーヤという女優。スタント無しと書かれていますが・・・素顔も可愛い。

■ しばらくサントラを楽しめそうだ ■

私の中では『グレーテスト・ショーマン』はロングバージョンのミュージック・クリップ。だからしばらくはサントラを聴き込んで、その後はカラオケで熱唱するのが正しい楽しみ方。

その先に有るのは・・・「応援公演」なのでしょう。


ところで映画は面白かったの?と聞かれると・・・「木が全部持ってった」というのが家内と意見の一致をみた回答。



それでも家内は応援公演に未練が有る様で、娘に「もう一回行く?」と聞いてました。答えは「もう充分」だそうです。



■ バーナム・ミュージアムと言えば・・・スティーブン・ミルハウザー ■

実は私、バーナム氏が実在の人物とは知りませんでせいた。『バーナム博物館』の名はスティーブン・ミルハウザーの小説で知っていたのですが・・。奇妙な博物館の話で、イルカが出て来る事しか覚えていません・・・。マジック・リアリズムと呼ばれるジャンルの小説です。

ところで実際のバーナム氏は150年前にサーカスを大成功させた実業家で、アメリカンエンタテーメントの元祖をも言えるお方。ただ、その後は政治家に転身し、禁酒活動家などもされていたとか。

映画では「フリークスも家族」みたいな人道主義を提示していますが、実際のバーナムさんは「フリークスは見世物」をストレートにやる様な人物だったとか。


3

2018/4/8

タルコフスキー並みに眠い『ブレードランナー 2049』  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します

■ あまりに周囲が勧めるので『ブレードランナー 2049』を観た ■

映画の続編というものに嫌悪しか覚えない私は『ブレードランナー 2049』を観ていませんでした。それでも知り合いの多くが、「観ないと損する」とか「絶対に観ろ」と強く勧めるので、仕方なくDVDを借りて来ました。

それで感想を書きます。

「記憶が有りません・・・・。」  以上。

■ タルコフスキー級の睡魔に襲われる ■

確かに休日の昼間に酒を飲んでから見始めた私も悪かった・・・。開始10分で眠気に抵抗できなくなり、気付けば物語は中盤。Kが何故か「自分探しの旅」に出ていました。その後、再び睡魔に襲われ、覚醒したらヨボヨボのハリソンフォードが出ていました。さらにうとうとして起きたら、レプリカント同士が首を絞め合っていました。・・・以上!!

しかし、近年、これ程までにお金が掛かって出来の悪い映画を観た事が有りません。中身が空っぽなのに、間延びした思われぶりな映像の垂れ流しで救い様が無い・・・。

こういう「神秘主義」的な映画はタルコフスキーに任せておけば良い。観客が勝手に映像のそこかしこに「啓示」を見付けて喜ぶ様な演出は前時代の遺物で、アナログ的な演出です。

実は私、若いころ、タルコフスキーを「神」だと信じてました。だから大学時代に『スターウォーズ』や『ブレードランナー』について熱く語る友人を冷ややかな目で見ていました。そんな子供の映画じゃん・・・って。

でも、今タルコフスキーを観たら速攻で寝て最後まで起きない自信が有ります。これ、タルコフスキーの映画がツマラナイのでは無く、今の時代の速度に合わないというだけの話ですが。当時の社会主義国家の監視の中で、SF作家達はフィクションで体制を批判し、タルコフスキーはそれを映像による「神話」に昇華していた。そういう背景が有るからこそ成り立つ映画だった。

S映画Fといえば『スターウォーズ』や『2001宇宙の旅』の様に未来をイメージされるセットや小物が登場するのが当然の時代に、野原を彷徨い歩くだけの『ストーカー』の衝撃は物凄いものがあった。「物」では無く「気配」を描く事でSFが成立する事に興奮した。

ところが『ブレードランナー 2049』は、徹底的に作り込まれた未来の風景にタルコフスキー的な神秘主義を持ち込んでしまったから、相殺効果で何を表現したいのかが分からなくなっています。

そもそもタルコフスキーの映画って、低予算でSF映画を製作する為に生まれた演出方法であって、巨額の製作費を費やして作る映画では有りません。

■ マトリックスの続編と同じ間違いを犯している ■

本来、SF映画というのは低予算のB級映画で、ちょっとトホホな感じがする所をアイデア一発で切り抜けるというのが魅力のジャンルです。

『バックトゥザフューチャー』にしてもデロリアンが火を噴いて疾走する所に予算を割いて、後は普通の日常が描かれるから面白い。マトリックスの1作目も、キアヌ・リーブスが弾丸スローモーションでが避ける事が全ての映画。

『マトリックス2』になると、バーチャルな世界の外側が描かれますが、これが絵に描いた様なデストピアで全然新しく無い。キッレッキッレな1作目の片りんも感じられない駄作になってしまった・・・。

『ブレードランナー 2049』も同じ過ちを犯しています。確かにオリジナルの『ブレードランナー』は素晴らしい映画でした。それまでSFが描いていた理想の未来像とは180°異なるデストピア系の未来像は、この作品が確立して、その後のSF作品は皆その影響を受けた。

霧と酸性雨で煙るロスアンゼルスの映像は多くの人の脳裏に焼き付いていますが、実は雨はエアカーを吊り下げているワイヤーがどうしても映ってしまうので、苦肉の策で降らせた雨だった。こういった幸運な偶然の結果、オリジナルのブレードランナーの世界観が確立されたのですが・・・それを現代のCG技術で緻密に再現する事に私は何ら意味を見出せません。

さらに、オリジナルは「刑事物」として物語にしっかりとした骨格が有りましたが・・・新作は「自分探しの旅」で物語の推進力が非常に弱い。それを風景と思わせぶりな間で引き延ばしているので、睡魔に襲われるのは当然。

■ 落ちは「子供が生まれていた」では・・・ ■

この映画の最大の失敗は、「レプリカントが子供を産んだ」という根本的な設定。

「道具であるレプリカントに生殖能力を付加するバカが何処に居るんだよ!!」と一言突っ込んで終了!!。

前作の「レプリカントと人間の間に愛が生まれる」という結末は、現代も繰り返されるテーマで色あせませんが、「子供が生まれる」というのは現実的でも科学的でも無くSFとして到底受け入れられない。

■ 『BEATLESS』の爪の垢でも煎じて飲め ■

『ブレードランナー2049』のスタッフはSFが何かを理解していないのでは無いか?

そもそもオリジナルの『ブレードランナー』は人間の模造品であるレプリカントが人間になろうとする葛藤が観客の心に響くのに対して、今作の主人公にはその葛藤が無い。彼は自分の記憶が「模造記憶」で無いとするならば、自分は「生まれて成長した存在」であるかも知れない可能性に戸惑いこそすれ、その事に彼は価値を見出しているとも思えません。彼の恋人はバーチャルなAIですから、生殖に意味は無い。

むしろ、バーチャルなAIがレプリカントとしての体を獲得して、主人公が生殖を達成する為に奔走する話だったら私は納得したかも知れません。エッチは人類の根源的なテーマですから。

確かにAIが生身の人間に憑依してSEXしてました。その後、娼婦が「あなたの中を見たわ。空っぽだったわ」と言う一言が、私的には一番面白いセリフでした。「AIの中身が空っぽ=自我を持たない」という現代風のテーマに触れながらも、この作品のAIは、あまりにも人間的でシラケてしまいます・・・。

SFというジャンルが、「科学技術の進歩がもたらす社会の変化をシミュレート」するものであるならば、現在刺激的なテーマは、やはりAI技術が私達の生活をどう変えるかという点が最もホットでは無いか?

従来、SFはAIが自我を持つ事に興味を抱いていましたが、AI技術が現実的となる一方で、その限界も理解される現代においては、AIと人間の関係性を突きつめてゆく『BEATLESS』の様な作品こそが現代的だと私は感じています。


確かに『BEATLESS』のアニメは残念が出来ですが、原作は面白い。脳が興奮します。だから、眠くなるどころか、電車を乗り過ごしてしまいます。


タルコフスキーは別格として、『ブレードランナー2049』は眠くなる時点で映画として面白くないんですよ。でも、多くの人が「怖くて批判出来ない」空気が有る。「傑作」と言わないと自分の中の「ブレードランナー教」が崩壊すると恐れている・・・。


・・・・本日は余りに周囲が「傑作」と持ち上げるから仕方なく観てみたけど、TSUTAYAの360円を返せと世界の中心で叫びたくなる映画の評論を書いてみました。


いや、待てよ、この作品は「ブレードランナー教徒」に課せられた試練なのかも知れません。眠気に打ち勝つ事で信仰の証を立てるという・・・。しまった!!、酒なんて飲んで観ると罰が当たるかも知れない・・・。

あ、でもフィリップ・K・ディックの原作の邦題は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』だった。ならば、眠りに落ちて正解なのかも。



他人が苦労して作った作品を酷評するのはイケナイ事ですが、きっと勧めてくれた方々が感想を聞いて来るに違いない。その時に「クソ!!」とか言っちゃわない様に、こっそろブログでガス抜きしました。でも、細かいディテールの感想を聞かれそうだから・・・もう一回も観ようかな。シラフで。
1

2018/1/20

マンガの実写化はこうで無いと・・・『青い春』  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します
『青い春』より

■ 初めてamazon prime に入っていて良かったと思う ■

amazon prime の年会費を収めているのに、動画の無料視聴が出来ると知らなかった私。数か月前のその事実に気付き、プライム・ビデオのページを開くのですが・・・アニメしか見るものが無い。映画『長い言い訳』を見直せたのは良かったのですが、その他の実写映画で観るものが無い・・・。

そんな折、『青い春』という映画を興味本位で観始めて、10秒で名作と確信しました。何故かって、画面からきちんと映画の空気感が伝わって来たから。

■ マンガ原作を実写化する意味 ■

『青い春』は松本大洋のマンガの実写化です(原作未読)。松本作品を実写化して成功した先例に窪塚洋介が主演した『ピンポン』が有ります。あの作品は、マンガの雰囲気を良く残して成功しています。まさに「実写によるマンガの再現」。

『ピンポン』では成功していた「実写によるマンガの再現」ですが、この手の作品は駄作が多い。話題の『コウノトリ』も、あの髪型を見ただけで観る気が失せます。何か勘違いしています。マンガはデフォルメを得意とする表現ジャンルですが、実写でそれを真似る必要は微塵も無い。実写には実写の「お作法」というものが有るのです。

『青い春』はマンガを下地にしながらも、その表現は抑制的で、実写映画の作法に則った作品。

「実写映画の法則」って何かと聞かれたら、私は「人物の実在感」と答えます。フィルムやスクリーンという偽物の二次元の中に、体温や役者の周辺の空気感をどれだけ再現出来るか・・・この一時に尽きる。それは単なる「リアリティー」では無く、表現としての統一感。監督が、役者も背景も光も音響も、全て自分の支配下に置いた時に出現する「空間」。それが映画の作法に則った時のみに出現する次元だと私は妄想しています。

『青い春』ではマンガ原作独特の「ケレンミ」もしっかりと残しながらも、豊田利晃監督はフィルムの中の次元を完璧に自分の支配下に置いています。

■ タランティーノよりも純粋な暴力のオンパレード ■

落ちこぼれ男子校の不良グループは、「ベランダゲーム」で新年度の番長を決める。屋上の手摺の外側に立って、体を外側に投げ出して、何回手が叩けるかという度胸試し。今年の番長は8回手を叩いた九条になりますが、彼は何を考えているか分からない寡黙な性格。但し、カリスマ性が有り、不良達の一目を置いています。

不良達は将来の目的も無く学校に通っていますが、学校だけは好きな様で、授業はサボるものの、校売のおばちゃん(小泉今日子)と親しかったり、校長(マメ山田)と不思議な交流を続けています。

そんな気ままに見える不良達ですが、抑えきれない「焦燥」を誰もが抱えています。それは漠然とした不安や焦りに見えますが、根本的な所では九条のカリスマ性に対する潜在的な嫉妬なのかも知れません。

彼らのコミュニケーションは暴力を基本としています。グループの外側への暴力は結束を意味し、グループ内の暴力は、伝わらぬ思いを相手にぶつける手段として機能します。

九条の幼馴染の青木は、九条のパシリと揶揄されても気にしていません。九条と彼の間には小学生時代からの不思議な繋がりが有るからです。しかし、些細な事からその繋がりに自信を持てなくなった青木は九条に敵対する様になります。それは「オレを見てくれよ」という悲痛な叫びですが、感情を表に出さない九条は、その叫びに応える事は有りません。次第に追い詰められた青木は・・・屋上に立ち、一人ベランダゲームに挑みます。

普通の方が見るには暴力描写が過激で「見るに堪えない」作品ですが、その暴力からは「キリキリ」とした切実さと純粋さが伝わって来ます。

暴力を特徴とする監督にクエンティー・タランティーノが挙げられますが、彼は日本のヤクザ映画から「暴力の快感」だけを感じ取っただけで、暴力と表裏一体の「純粋性」には気づいていません。

『青い春』の暴力は、ライアン・ゴズリングが内気な「逃が屋」の役を好演したニコラス・ウィンディング・レフン監督の『drive』に似ています。何かを守る為の純粋な暴力。

『drive』のゴズリングが守ったものは無力な母子ですが、『青い春』で不良高校生達が守ろうとしたのは、形のはっきりしない彼らの居場所だったのでは無いか・・・。

■ 暗い青春映画の金字塔の一つになるだろう ■

青春映画と言えば、アイドルタレントが出演してやたらチャラチャラとした作品を想像しがちですが、「暗い青春映画」も数多く存在します。ぱっと思い浮かぶのは岩井俊二監督の『リリい・シュシュのすべて』。

私などはキラキラした青春の思い出は少なく、明るい青春映画に共感を覚える事は難しい。そんな、暗い青春を送った方ならば、この作品の素晴らしさも理解出来ようかと・・・。



本日は、良識的ま大人や、婦女子なら絶対に眉を顰めるであろう素晴らしい映画の『青い春』について、簡単に紹介しました。



最期に松田龍平っていい役者ですね。改めて関心しました。
1

2017/5/6

『無限の住人』・・・ファン必見  映画
 



<はじめに>


スマップ事件で「キムタクを叩くなら今だ」とばかり、マスコミが悪評ばかり書く『無限の住人』の実写版。原作ファンの私も「キムタク+三池監督」の組み合わせを知った時には愕然としたが、予告映像を観て、あまりにもキムタクが万次に見えたので、俄然興味が沸いた。

劇場に行ってビックリ。これは近年希に見るエンタテーメント時代劇の傑作では無いか・・。『るろうに剣心』なんて所詮はジャンプ漫画の実写版、お子様エンタメだと痛感する。但し、内容が内容だけに、原作ファンには評価は高いが、一般受けするかどうかは??

ただ、原作のかなりぶっ飛んだキャラを忠実に再現している辺り、ファンへのサービスと、そして海外受けを相当意識していると思われます。三池監督は海外では評価の高い監督ですし、キムタクもアジアではスター。

エンタテーメント作品で日本映画が海外と対等に渡り合える可能性が有るのは「時代劇」。日本的エキゾチズムとアクションが海外の映画ファンに受け入れられるかどうか、カンヌの評価を早く知りたい所。

血しぶきが飛び散る映像はグロですが、タランティーノ程は悪趣味では無い。「ストーリーが・・・」とか「情感が・・・」とか「時代考証が・・・」とか細かい事を気にすると難点も多い映画ですが、劇場で観て損は無い作品だと思います。


最後に原作を読みもしないで(読んでも一巻で投げ出すであろうが・・)、キムタク絡みで映画を批判しているマスコミの方々の猛省を促したい。あんたら、映画の事分かってないよね・・・。


ちなみに下記の紹介記事は『無限の住人』の漫画の巻末の原作者のお遊びページのパロディーで書いてみました。




クリックすると元のサイズで表示します

いえねぇ、あたしはね、実はあんまり期待してなかったんですよ・・。
だって、キムタクと三池監督でしょう。
でもね、偽物だとしても百琳姉さんが出るとあっては、観ない訳にはいかないじゃねいですか。

で、どうだったかって・・・。
いぇねぇ、ちょっとビックリしたんですよ。
だって、キムタクが万次さんに見えるから・・・。

三池監督、相当『無限・・』がお好きみたいですね。いえ、ファンでしょう。
キムタクも原作を相当に読み込んでるんじゃないですかねぇ・・。

結局『無限・・』って、ぶった切って、掻っ捌いて、ぶっ刺す作品でしょう。
それで、斬られる万次が不死身だから、何回心臓を突かれ様が、
何回腕切り落とされようが、何回腹を掻っ捌かれようが死なない・・。
もう究極のSM,原作者の嗜虐趣味が全開じゃないですか。

そりゃ、佐村さんは頭が良いから、ストーリーや設定でカシコク見せてるけど、
そういうの削ぎ落したら、「ぶっ刺されて超イテェー」が全てでしょう。
頭良さそうに見えて、超オバカなのが『無限・・』だと思うんですよ・・・。


キムタクはどうかって・・・
いぇね、あたし、彼の事、ナメてました。
『夢でMORI MORI』でキックベースやってた小僧だって・・・。
悪く無いですよ・・いえ、かなりイイですよ。
動きとかも、万次さんらしい。走り方とかも凄くイイ。

でもねぇ、一番イイのは凜ちゃんやった杉咲花ちゃんだねぇ。
ああいう演技は役者には一生に一回した許されないんだろうねぇ。
『愛のむきだし』の 西島隆弘や 満島ひかりみたいだよ。
役創り以前の演技だけど・・一所懸命にやってたら凜ちゃんが憑依したって感じかね。
原作の凛ちゃんも一所懸命だったし・・・。

始めは杉咲花ちゃんの、鼻の下の皺ばかり気になったんだけど、
気が付いたら花ちゃんが凜ちゃんにしか見えなくなってたんだよ。

ベテランの俳優さん達も上手いねえ。
だけど、若手がダメだね。
特に天津影久の福士蒼汰の小物感がイケナイね。

でもね、一番ダメなのは戸田恵梨香だね。
あれは喋ったらダメだ。
尤も原作の槇絵もアクション最高だど、人物像は意味不明だから仕方無いか。
ただ、腰つきは槇絵っぽかった。最期に屋根から落ちる所なんか・・。華奢な感じがイイね。

尸良の市原隼人は好かったねえ。狂ったチンピラ感が良く出てたよ。
それと、閑馬永空の市川海老蔵。
原作でも最高にクズな斬り合いのシーンを本当にクズに演じてて凄いねえ。

でもね、残念なのは百琳姉の出番が少ないとこだよ。
嬲られてない百琳なんて・・・百琳姉さんじゃない。

で、誰が原作に一番似てるかって・・・「まこと」だね。もう「まこと」。


ああ、ついつい、しゃべり過ぎちゃった。
結局見るべきかどうかって?

万次さんの着物から獲物(武器)がグゥヮチャンって地面に落ちる所に感動しちゃうアンタは行くべきだろうねえ。


え、何言ってるか全然分かんないって?
そういうアンタは行かない方がいいねえ。
2時間以上、斬り合いと血しぶきを見せられるのは苦痛だよ。
それが『無限の住人』なんだけどね。




クリックすると元のサイズで表示します
百琳姉さんの出番がねえ・・・少ないねえ・・・。



何だかんだ言ったってマンガは絵の上手さだ・・・・沙村広明 「無限の住人」 「人力でGO」 2011.10.13

6

2017/3/22

成熟のその先へ・・・『La La Land』が目指す王道回帰  映画
 

クリックすると元のサイズで表示します

■  『セッション』のデイミアン・チャゼル監督、今度はミュージカルだ!! ■

前作『セッション』が素晴らしかったデイミアン・チャゼル監督。

音楽映画の常識を覆す『セッション』・・これって軍隊物だよね

彼の最新作『La La Land(ラ ラ ランド)』はアカデミー賞14部門に最多ノミネートされ話題になっていました。作品賞の最有力候補の一つでしたが、プレゼンターのフェイ・ダナウェイが作品賞として読み上げたのは『La La Land』!!

キャストやスタッフが大喜びでステージに上がり、スピーチが始まった時・・・『La La Land』のプロデューサが「これはジョークでは無い、作品賞の発表は読み間違えだった・・」と言い出したから会場全体が愕然となります。どうやらフェイ・ダナウェイが主演女優賞と作品賞を読み間違えたらしい・・・。

そんな前代未聞の珍事もあって、話題と期待が高まった『La La Land』。先週の土曜日に娘を連れて観て来ました。

何と、今度はミュージカルです。

■ 冒頭のミュージカルシーンだけで十分に映画史に残る ■

多くの方が既に書かれている様に、冒頭のハイウェイのミュージカルシーンは映画史に残る名シーンだと確信します。ドローンを使っての撮影だと思いますが、何が凄いって、これノンカットですよね。5分近くあろうかと思われる大人数のダンスシーン。それも固定カメラでは無く、ドローンが車の間を縫いながら撮影して行くという複雑な進行をシームレスで撮影しています。

「いったいどんだけリハーサルしたんだよ・・」と思わずため息が出てしまいますが、一方でかなり既視感の在る映像。映画としてでは無く、「OK GO」のミュージック・クリップや「フラッシュ・モブ」と呼ばれるYoutube映像にかなり近い感じ。



OK Go - I Won't Let You Down - Official Video



広場で突然人々がJAZZを演奏し始めるフラッシュモブ映像

フラッシュ・モブというのは広場などの群衆の中に役者やダンサーやミュージシャンを予め仕込んでおいて、突然に、或いはだんだんと音楽やダンスが展開されてゆくというYoutubeなどに投稿される映像ジャンルです。

ドローンを使った撮影や、フラッシュモブなどは現代映像を象徴する表現ですが、これをミュージカル映画の冒頭に持って来るあたり、やはりデイミアン・チャゼル監督のセンスが光ります。


■ 『雨に歌えば』から『オール・ザット・ジャス』を俯瞰するミュージカル映画 ■


ミュージカルはハリウッド映画の伝統的ジャンルです。ヨーロッパ大陸でオペラがオペレッタへと大衆化し、それがアメリカで独自の進化を遂げます。ダンスシーンはレビューの伝統を受け継いでいます。

本来劇場で上映されるジャンルであったミュージカルを映画にしたものが「ミュージカル映画」です。劇場作品を映画化した作品には『ウェイストサイド・ストーリー』や『オズの魔法使い』など名作も多い。一方でオリジナルのミュージカル映画も制作されています。

アカデミー賞の作品賞にミュージカル映画がノミネートされたのは1979年の『オール・ザット・ジャズ』以来ですが、冒頭のダンスシーンの直後のカフェのシーンで、カップを真上から捉えた映像は、まさに『オール・ザット・ジャズ』のシーン転換に使われたグラスとアスピリンのカットへのオマージュ。

一方で、ダンスシーンは様々なミュージカル映画のそれを彷彿させる演出が散りばめられており、まさにハリウッドのミュージカル映画の歴史へのトリビュートとなっています。

■ 日常を夢へと昇華するミュージカルという装置 ■

物語は女優を夢見てオーディションを受け続けるエマ・ストーン演じるミアと、自分のJAZZクラブを開いて本当のJAZZを聴かせたいと夢見るライアン・ゴズリング演じるセブの恋物語。

始めは「イヤなヤツ」と思っていたのに、ついつい惹かれ合い、一緒に住み始め、お互いの夢を応援し・・・そんな手垢の着いたストーリー・・・しかし、題名の『La La Land』は「陶酔境、恍惚、我を忘れた境地」のスラング。そしてロサンゼルスを指す言葉でもあります。まさに夢を追いかける若者とそれを取り巻く街の「浮ついた」或いは「夢見がち」な内容にはピッタリな題名です。

夢を追いかけて都会に出て来て、努力し、恋をして、そして挫折を味わうのは、多くのアメリカの若者の共通体験です。ですから、どんなに手垢が着いていても、多くの人達に共感を生む「ステロタイプならではの強さ」があります。

シリアスシーンの演出は、重すぎず、軽すぎず、そして、やはり「どこかで観た映画」のシーンを彷彿とさせます。

一方、思わぬシーンをミュージカル仕立てとする事によって、多くの若者達の日常がスクリーンの上で「夢物語」に昇華します。

■ 実はJAZZ映画だった ■

ミュージカル映画への愛情に溢れた作品と思われがちですが、実はデイミアン・チャゼル監督が描きたかったのは、前作同様にJAZZ。彼は学生時代にJAZZバンドに入っており『セッション』はその体験から生まれた作品。

セブは多分バークレイ音楽院を優秀な成績で卒業したピアニスト。彼はJAZZの歴史に造詣が深く、そしてJAZZの巨人達を敬愛して止まない。しかし、彼の生活の糧は、レストランで甘ったるいBGMを演奏する事・・・。これに我慢がならない彼の演奏は、だんだんとエスカレートしてフリージャズになってします。当然、仕事はクビ!!

執拗にJAZZの魅力を語るセにミアは「アイ・ヘイト・ジャズ」と言います。「ジャズなんて大っ嫌い」って感じですが、これは多くの現代のアメリカの若者の共通の感覚でしょう。彼女の好きはJAZZはケニー・Gの様なスムースで美しい音楽。或いは、ダンサブルでポップなJAZZ。現代の若者の多くが「オシャレなジャズ」は好きだけど「古いジャス」は嫌い。セブはそれが許せない。

セブは夢を追いすぎるばかりに仕事もろくに有りませんが、しかし彼の才能は優れています。大学の同級生が彼をバンドに誘いますが、その演奏は・・ファンクジャズ。シンセサイザーやキーボードでの派手な演奏を要求され、派手なスーツでツアーを回る。聴衆はJAZZなんてちっとも理解なんてしていない、派手でノリノリならばそれでイイと思っている連中。

「金」と「夢(信念)」を秤に掛ける事になるセブですが、将来の夢の為に彼は「金」を取る。そう、いつまでも夢を追うだけでは夢は実現しないとミアに諭されたから。しかし、本意で無い演奏をするセブと夢を追い続けるミアの間に溝が深まって行きます。

実はこの映画、役者を目指すミアよりも、JAZZを愛するセブを描くの比重が不自然に高い。セブのJAZZの付き合わされるミアの描写も多い。これ、観客も「セブ=監督自身」につき合わされているんですよね。

彼はミアを連れてJAZZクラブを巡りますが、同時に観客もニューオリンズ・ジャズやビーバップにつき合わされる。これこそが、監督の狙いなのでは・・・私はそう妄想してしいます。

■ ベタなオリジナル・ナンバー ■

ミュージカル映画だけにサントラは重要ですが、実はJazzの曲はどれも「超ベタな駄曲」。これjazzファンならお気づきでしょうが、あえてそういう作曲を依頼したのだと思います。

キースの弾くピアノの曲もどこかで聞いた事のある様なメローで、キャッチーで耳にこびり付く。でも、これで良いのです。映画だから。ニーノ・ロータの曲だって実は超ーーーキャッチー。劇場を出て、思わず鼻歌で歌える様な曲が映画には求められる。

観客の多くはJAZZを知らないので、複雑なコード進行や、変拍子を「良い曲」とは解釈しません。あえて観客がイメージする「分かり易いJAZZ」を提供する事で、音楽が物語を邪魔しない様に配慮されています。この作品の中のJAZZは舞台の背景の「手書きの書割り」の様に分かり易くデフォルメされているのです。

JAZZなんて理解できないであろう観客への、監督からの「サービス」と「皮肉」が、このサントラには込められているのだと勝手に妄想しています。

■ オーソドックスを突きつめた先にあるもの ■

この作品の魅力でも有り、同時に欠点でもあるのは、「全部ぶっ込みました感」です。家系ラーメン屋で「全部載せ」を頼んじゃった感じに似ています。

ドローンを使うなど現代的な映像表現の一方で、書割りの背景を使ったミュージカルシーンや、80年代のMTVを彷彿とさせる演出、ワイヤーアクション感が半端ないロマンティックなシーンなど、ミュージカル映画の名シーンを全てぶっ込みました・・・闇鍋的な作品でもあります。

ただ、それぞれの表現が「オーソドックス」と言うか、「その時代の素材をそのまま出した」感じがして、現代的な解釈や表現をむしろ避けている感じがします。

最初にも書きましたが、ストーリーも敢えてステロタイプとする事で、「ハリウッド映画とは何か」という本質に立ち返ろうしている様に私には思えてなりません。

「映画の面白さはCGの緻密さや火薬の量で決まるんじゃない。親友がラスボスだった・・・みたいな突飛な設定でも無い。・・・どれだけ観客が夢を見て、共感出来るかなんだ!!」

そう思ってこの作品を見ると、移動経路を地図の上の飛行機の模型で示したり、フェードイン、フェードアウトを黒いアイリスで演出したりと、昔のハリウッドが生み出して来た映像表現へのオマージュに溢れています。

ただ、これだけ「コテコテ」だと、「お腹一杯、胸いっぱい」になりそうですが、そこは絶妙なストーリーでバランスを取っています。ハッピーエンドを確信する観客が最後に観るものは・・・。

「あーー面白かった」って劇場を出るのではなく、そこはかと無い切なさを胸に観客達は家路に向かいます。



<追記>

ブログを10年程書いて来て、私も大人になりました。
10年前だったら、きっとこの人のこの評論と同じ様な事を書いたと思う。

菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね

しかし、アニメを見る様になって「ベタなものの良さ」「ステロタイプの力」みたいなものを実感した今となては、大嫌いなアカデミー賞作品だって、評価すべき所は評価すべきと「一皮も二皮も」剥けました。


まあ、サントラに関しては、「ありがたがる程のモノじゃない」と言っておきます。映像が無ければ「ベタなコピー」に過ぎないですから・・・。
2


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ