最近ふと気がついたこと
神を肯定すると全部同じになりますね。
これは神という想定の論理的必然によるものと考えられます。すべてをすべるものを肯定すると、「すべて」は異次元宇宙まで含んでしまいますので、キリスト教や、イスラム、神道、各種民族神、阿弥陀仏まで同じでないといけません。違う存在(アクマ、悪神、異教)を認めるとお互いが唯一でなくなります。
争うのはあの世の領土争いであって、どうしようもなく、論理的に誤りです。「異教」を語る宗教は宗教ではありません。せいぜいあの世(あたまのなか)の領地争いでしょう。
で神を否定すると、これも同じになります。
仏教はよくよく見れば、神を語っていません。瞑想の境地を語っているだけです。「こういうふうに考えることができれば、変にならないよ」といっているだけのようです。神を語ること自体、自己矛盾は避けられないので、やめておきましょう、といっています。
これを、無神論とみるかどうか、微妙ですね。正確には「神を論ぜず」ですね。open question状態で放置することで済ませているらしい。ユニークな立場です。さすがZEROの発見民族です。Zeroは無か空か?
なんとなく表現が有神論の裏を取っているような気がしますので、これまた同じことを語っている可能性があります。
対象の姿を描くときに対象をそのまま描こうとするときと、対象以外を描くときと2つありますね。
有神論宗教では、感謝と祈りが共通項のようです。
有神宗教の定義は「限定不可能な対象に感謝と祈りを行うこと」ともいえましょう。
ここから闘争に明け暮れる、凡人世界の生活倫理を導き出すにはおそらく、公開性、公明正大だけだと思われます。陰謀をめぐらさないこと、だまさないこと。商売では? 利益率を公開することでしょうか?。
じゃあどうなるか。
(不動産紹介業では利益率の上限が決められています。不動産やさんはあたかもこれを固定されているかのように客に言います。これはウソでしょうか?ごまかしでしょうか?競合関係にあるときやお得意さんには(こっそり)少し引きますがね。それもだましなんでしょうか?
統制経済下にある医療の世界では往々にして、不利益医療行為(病院の持ち出し)があります。マイナスの利益率です。往々にして重要な検査、治療です。これはどうするんでしょう?無視する病院もあれば、決して行ってはならない医療に分類している病院もあります。公明正大なはずの神である厚生労働省に医療費抑制の下心があるからです。邪心が多いのでなかなかうまくいきませんね〜)
原理的には新時代への筋道は見えるような気がします。あとはルールの手直しで可能なような。(ほんとか?)
甘すぎましょうか??でもどちらにせよ、行き着くところまで行ってしまって、ここまで崩壊した、今となっては資本主義の次のイメージを考えねばなりません。人間は文明の微方程式通りに動くフラクタル生物ですから、明快な、誰でもわかる心に響くやつを。
(失敗を繰り返しながらしか新しいものはできないでしょう。)