明治13年・1880年の今日、長野県塩尻で吉江喬松が生まれた。明治34年東京専門学校(現早稲田大学)高等予科に入学。窪田空穂、水野葉舟と知り合う。
明治38年英文科を卒業して、国木田独歩主宰の近事画報社に入り「新古文林」の編集に従事した。
孤雁と号して散文詩人として明治42年最初の散文集「緑雲」を出版し浪漫的自然詩人として知られるようになる。
大正4年、早稲田大学教授となり、翌年パリに留学。5年後帰国して、文学部に仏文科を創設し主任教授となり、フランス文学を紹介しながら、ヨーロッパ近代思潮に根ざした文芸批評を展開した。
大正10年「種蒔く人」に参加するとともに、大正13年犬田卯・中村星湖・石川三四郎らと農民文芸研究会を作り農民文学に傾斜した。大学では西条八十はじめ八木義徳など多くの後輩を指導した。また、「仏蘭西古典劇研究」、「世界文芸大辞典」の編纂をした。
八木義徳は吉江先生の教えについてこう語っている。「先生は私たちに文学的才能というものの本質は何かとお訊ねになりました。私たちはわからずに黙っていると、先生がいきなり黒板いっぱいにパシアンスPatienceと書いたんです。忍耐という意味ですね。そして、これです、これ以外にありませんとおっしゃったんです。きらきらと光り輝くものが文学的才能だろうと思っていましたので、吉江先生が忍耐だとおっしゃったから安心したんです」。
八木はこの教えを胸に、後に芥川賞を受賞した。
松本市の松本城山公園にある文学碑には「双の触手は大空を探って全身で己が行跡を書きとむる蝸牛」と刻まれている。
自然をたたえる数多くの紀行文を発表したことでも知られている。