この週は大垣市の元気ハツラツ市での「芭蕉元禄大垣きもの園遊会」でのイベントから始まった。
前日までひどい雨だったので、てっきり中止だとタカを括っていたのだが、7時前に主催の大垣市の方から連絡があり「決行」とのこと。
考えていたイベントのうち、京都から来るストリッパーの子が熱を出したために不参加。
急遽IAMAS内のスタッフに応援を頼む。
彼はすでにハツラツ市のイベント(ベリーダンス)の方で踊っていた。
時おり小雨の散らつくなか、イベントは滞りなく終わる。
観客の反応はわからぬ。
彼らは「IAMAS主催」のイベントのあとの着物ショーと加藤夏希のトークショーがお目当てなのだから。
IAMAS関係者はただのひとりも来ていない。
学内で宣伝もしなかったから当然のことだ。
予算が一切なくてもこれだけのことができる!、ということを見せつけたくて昨年から担当してきたのだが、昨年お呼びした今貂子+倚羅座は、思いのほか好評をもって迎えられたのだが、結果的にはぼくが自腹を切ってわずかな足代と御礼をお支払いしたので、その意味ではぼくの「敗北」であった。
だからと云って、今年は学生さんに協力をいただいたのでタダでいい、とは思っていない。
だが、大垣市もIAMASも何の期待もしていない、この空虚なイベントなるものに何を入れるか、という自由度は最大限に開かれているのだ。
もったいないと思う。
で、がんばってみた、というだけの話だ。
火曜日は毎日文化センターの「落語学入門」の第三回。
こちらも(もともと参加人数は少ないのだが)さらに少なかった気がする。
だが、どの参加者の方も落語に対しては強い興味をお持ちであることは視線の強度と頷き方でよくわかる。
この日は創作落語について。
ほとんど岐阜でのコンソーシアム講座での内容と同じであるが、禁演落語が艶笑落語とつながるように、創作(新作)落語もまた禁演落語と深い歴史的つながりがある。
それが国策落語である。
戦時中、落語家たちは、国家がほとんど気にしていなかったのに自分たちのネタの多くを「禁演落語」と称して封じてしまった。
五十三の演目は、バラつきがあり必然性の感じられない選定であった。
だが、ともかく演れなくなっちゃったので、噺家たちは「時局」に迎合した作品を創作するしかなかった。
それが国策落語であった。
新作に強かった金語楼や金馬、それに正蔵ばかりでなく、古典の大御所たる圓生までも国策落語を演じていた(『圓生全集』には載っていないけれど…)。
古典が変化と不変の間隙を歴史的にかけぬけてきたのに対して、創作・新作落語は「変化」ではなく「適応」、不変ではなく「適合」であったと云える。
だから…、残らなかった「新作」落語も多くあるし、「古典」となった新作落語もまた多く残っている。
だが、それにしても枝雀の「代書屋」などを皆で爆笑しながら観ていると、演者とのつながりがいかに重要であるかということもよくわかるのである。
それはまた、古典落語にも共通したテーマなのである。
水曜日はIAMASで唯一の講義である「身体と表現」を行なっているが、いまは「ダンスと映画」とった文脈で考えているので、前回はROSASを扱い、今回は映画史を講じた。
今年の学生は、映画というメディアについて意外にも関心の度合いが高いように見受けられた。
講義のあとは学生の面談をひとつ。
そのあとは2時過ぎまで研究室で「道成寺」のお勉強。
木曜日も朝から「道成寺」。
午後は会議、そのあとは運営協議会という集まり。
IAMASの現状と将来について語りあうという手合の外部機関なのであるが、進行内容は一環して内部の問題になってしまい、なんだか一同鼻白む。
そのあとはただただ「道成寺」。
雨がひどくなってきたので3時過ぎに学生さんの車でアパートまで送ってもらう。
金曜日はIAMASにはお昼まで。
午後は傘をもって京都まで。
雨はそれほど降っていない。
今日から始まった「メディア芸術祭京都展」に顔を出す。
顔を出す、というよりもこの企画のプロジェクトメンバーなのだ、ぼくは。
ということで夜からのアーティストトークの進行役をつとめるために、前乗りして作品を鑑賞する。
「美術手帖」の展評のために、大阪と京都のギャラリーを毎週回っていた頃や、「毎日新聞」の連載のために全国の美術館に足繁く通っていた頃をふと思い出した。
身体がそれを覚えているのだ。
クワクボリョウタ、八谷和彦、土佐尚子、SHIMURABROS.によるアーティストトーク。
プロジェクターも過去の作品への言及も禁じた抑圧的な、だが、ただ喋るたけのトーク。
司会としてどのような展開をしようかと思っていたが、アーティストのみなさまが積極的に発言してくださり、かつ互いに語り合うような場になっていったのでホッとした。
話題がメディアアート全般に広がり、これから面白くなるというところで終了。
これは司会としてのぼくの戦略。
結論を出さない、というのがぼくのコンセプトなのだ。
だからといって意見の羅列ではない。
それをまとめていくのがむずかしいのだな…。
それにしても、いかにもメディアアートらしい作品をつくっている方は今回のトークのメンバーにはいらっしゃらなかったというのが一番面白いところだ。
もちろんコンピュータによる制御や編集というのは行なっているが、コンピュータが前面に出て来るような作品はどれひとつとしてない。
だが、どの作品も強い主張をもっている。
作品についてはtwitterやblogなどで多くの人が言及されているから、それをご覧になるといい。
この前の横浜トリエンナーレで、作品がモニターによる映像作品ばかりだという批判があったということを聞いた。
単に目が疲れるし、「見る」という運動に限定されざるおえないのが苦痛だったのだろう。
トークでも話したが、モニターのフレームの内部の世界というのは、洋画における額縁の世界と同質のものである。
絵画の世界では、絵画表現をいかにして額縁から突破するかが試みられた。
それが現代美術になり、そして皮肉なことに額縁はいまのモニターのフレームへと様変わりした。
フレームを突破する表現が望まれるのである。
その「萌芽」が今回の「メディア芸術祭京都展」にはある。
パーティは乾杯のあいさつだけつとめて早々に退散。
「道成寺」の最終ツメ。
いつの間にかちゃんとkeynoteができていたので、それにアクションを加え、扱う映像のタイムラインをチェックし、レジュメを作成する。
土曜日は「伝統芸能ことはじめ」の第四回。
『京鹿子娘道成寺』がテーマである。
『菅原伝授手習鑑』も『曾根崎心中』も『助六由縁江戸桜』も、もっと入念な準備をしていたのではないかと勘ぐるのはいつものこと。
いつも時間的余裕はなかったのだ。
(初回の『菅原…』だけは五月の連休を落語会を全部キャンセルして研究室にこもって準備したので別かもしれないが…)
まずは芝翫追悼から。
2000年に「一世一代」と銘打って踊った同丈の『京鹿子娘道成寺』の花笠踊りのところを見る。
そのあとは道成寺モノ、安珍清姫伝説などがいかにして歌舞伎舞踊の「娘道成寺」として結実したかについて、かなり歴史的に話す。
要は、修験道者たちによる全国布教の巡礼のなかで「女人禁制の寺にやってきた女が入れない恨みをつのらせて鐘のなかに入ってしまい蛇体と化すが、調伏される」という物語を伝え、そこに「女の恨み=男への怨念」という要素が加わって、それが琉球では「執心鐘入」となり、東北の山伏神楽や黒川能では「鐘巻」となり、女の恨みが祈りによって調伏されるという思想が能の「道成寺」になったのだ。
初代富十郎はそれを歌舞伎化して、華やぐ娘たちの初々しい、そして全国の民俗舞踊を巧みにとりこんだ踊りとしてまとめあげたわけだ。
初代富十郎について詳しく調べることができなかったのは残念だが、以前府民ホールアルティで道成寺モノの企画から関わり、幕間にトークをさせてもらった体験とそのときの勉強内容が多いに役に立った。
とくに琉球の組踊「執心鐘入」はぼくには衝撃的だった。
道成寺モノが沖縄まで伝播していたことも驚きだったが、実にエレガントな作品となっていたのだ。
Youtubeで映像を見つけたのだが、ぶつ切りになっているのに加えて、以前アルティで見たときの印象とずいぶん違うので、それは上映しなかったが…。
天気もよく、京都では他にも多くのイベントがあったせいか、やはり参加者の数は少なかったが、みなさま大変に満足されて帰っていかれた。
今年はこれで終了。
今年度はあと二回ある。
次年度は予算と教室の問題があって開催はむずかしいとのことだが、参加者の圧倒的なニーズがあるので、ぜひやりたいとは思っている。
準備するぼくは本当に大変なのだが…。
夜はスタッフたちと呑む。
久しぶりに熱燗を二合ほどいただくが、それでもう十分であった。