最近、忙しくさせていただいているが、そんな中でも同業者の人に会って同じように感じたり思うことがある。お付き合いさせていただいている私の周辺の皆様が、逢うたびにそれぞれ新しく肩書きと言うものがついてお話をする機会がふえたせいもあるのだろう。
今まで同じように付き合ってきていたつもりであったけれど、どの方にも共通して言える事は、何かに付け、上から目線で話す物の言い方で、その方は誰に対しても言葉は変わらずであると思っていたいのだが、確かに言葉こそ丁寧ではあるが、どうも口調が命令形になっていることを感じる。
そういう私自身も、自分が望む望まないに関わらず肩書きを頂くが、何か肩書きにこだわること事態に何か納得できない疑問やしっくり来ない感覚がある。対外的に今必要だから、偶然ではなく引き受ける時期だからその様にさせていただく事に従う時期なのだと思っている。
自分が相手の方の物の言い方などに、自分は同じようになっていないかとても神経を張る。やはりあまり聞く側にとっていい気のするものではないと肌で直接感じてしまうからだ。普通に物を言っても「偉そうに聞こえる」と親しい友人に言われた過去に学ぶからだ。
肩書きを手に入れる前、本当に謙虚で親切でとても尊敬していた人たちは多くいたし、肩書きが付いてもいつもと変わりなく同じように接してくれる人もいるが、何故か、同じように関わっていけるとこちらサイドでは思っているが、同じように話しかけても何か返答にどこか質問の本意とは違う回答に違和感を感じる事がある。
かく言う私も肝に銘じて同じ自分、鑑定士になった頃の自分の気持ちやポリシーを変えないよう、気をつけなければと他人に学ぶことは多い。だからこそこのように文字に残す事でその時の自分を確認し自分を戒めるべきと思っている。
どんな事にも共通して言えることは、団体が大きくなって組織化してくると起こってくる派閥、妬み、嫉み・・・本当にその様な場所に居ていいものかどうなのかわからなくなることもある。どんなことでも一長一短はあるだろうし、ぴったりの物はなかなかないものだと思う。恩義に預かった人への義理は守りたいが、時と場合によって、考えさせられることも多くなって来た。
私は会社と言う「組織」が苦手で、自分と言うものが出せない場所に無理をして籍を置くのも苦手だし、自分のやったことも要領のいい人に横取りされてばかり来た人生に飽き飽きしていたからこそ、自分のやった事がやっただけ自分に帰ってくる今の鑑定士の仕事は天職だと思っている。
だからこそ適職である運命学鑑定士に私はなった。自分らしさを抑えてまで組織の力を借りたいとは思っていない。対外的な仕事をする場合確かに必要なものにお付き合いや、肩書きは大切な事ではあるのだが。私にそんな器用さがあれば会社組織でも成功できたかも知れないが、それは私には無理だ。鑑定士としては「・・・でも」「・・・しか」という言葉はあまり使うべきではないのだが。
どんなことも一人ぼっちでは何も出来ないし関わることでいただけるご縁は数多く存在しているし、感謝を忘れて事を語ることは出来ない。けれど、何かこちらの意思に反して大きく恩を売ってこられたり、それまでには無い力の強い人間の後押しが付いた途端、突然言い方や姿が露骨に変わってくる人が居る。ご本人はおそらく同じのつもりなのだろうけれど。
運命学鑑定士は孤独な職業だし、情報の交換はそれなりに必要ではあるが、それ以上に上下関係だけで成り立っていく話もおかしい気がする。肩書きのためにはどんな手を使っても手に入れるそんな強欲で鑑定ができるはずがないと感じるからだ。
誰にでも分相応と言うものがある。それを超えると人は関わり方が変わってくる。いい意味でも悪い意味でも。
今まで多くの同じ業種の鑑定士の先生にお会いしているが、私個人が、同じように感じたことは、「当たらない鑑定士ほど鑑定料金が高い。」と言うことだ。私が日頃それとなく感じていた事だったが、同じようなことを言葉に出しておっしゃった先生につい最近お会いした。その先生は大変大きな肩書きをお持ちで社会的にも大きな地位をお持ちだが、鑑定料金を聞いて私は納得した。
大きな肩書きという蓑を着て、当然鑑定料金が高いのは当たり前という感覚。その感覚には、私も何でこんな先生がそんな料金を請求できるのだろうと。財を頂くことは大きければ大きいほどそれなりの大きな因縁も自分がもらうことを解っているのだろうかと。ただ、一般的には高い鑑定士が当たると思っている方達も残念ながら多いのだ。
あくまでも鑑定士は他人(顧客様)の評価であって、自分が評価するものではないと私は思っている。顧客様が多く、日々たくさんの方の鑑定の現場にたずさわっておられる方ほど的中率は高いのは、顧客様の現実の評価の結果であるから、あながち間違いではない事実だと思う。
学術的なことは辞書以上に知っている人ほど、現場で実際の鑑定はした事が無いという話を聞いた。その道の大家といわれている先生だけに驚いた。そういう方は多くの情報を集め本にして私たち現場の人間に知識を分けてくれる。その事の代償として権利収入を得るのは当然なのだ思う。日村もよく参考のため、書籍は買っているが、鑑定を実際にしてきた方の本と、学術的な分析だけの本の違いが解るようになってきた。
不思議とレベルに会った本に出合わされるたび、この本は使えない。とがっかりするものもあれば、何気なく気になって購入した本に大きな共感を得て、参考にさせていただいたりもしている。
長く鑑定の現場で居るとその違いもよく解る。鑑定士なら自分の命式は解るだろうし、私は自分の命式をよく理解したうえで、過去の歴史に学んでいえることがある。それは私自身については、悪い事を言えば、共同経営は一切向かないし、この性格を逆手にとって他人に利用されるという命式でもある。このことも過去の歴史に十分学んでいる事なのだ。
過去に私に近づいてきて一緒に何かをやろうと持ちかけてくれることも多くあるが、申し訳ないけれど、あくまでも一、個人の鑑定士として活動していきたい気持ちは変わらない。
どんな人も上でも下でもない。いつも同じ位置で同じ人として関わっていきたい気持ちは変わらない。それだけに過去の歴史においても、いわれのない誹謗中傷を受けることも本当に多かった。
今は、その誹謗中傷を投げかけた相手が、私に浴びせた嫌な思いを他から受けていたり、体調を大きく崩して思うように動けなくなっている人も多くいる。不思議に巡り巡って私の耳に届くのだ。近頃は誹謗中傷を受けても、自分自身が妬まれるほど評価されたのだといいように考えている。自分の行動は自分で全て管理しているので、何を言われても根拠が無いことがはっきりしているから気にもならないからだ。
占いは一般の人達には、確かにお遊びと思われても仕方がない。だからこそ本当の鑑定士でなければ、生き残っていけないことも事実だ。簡単に鑑定士になる事は誰でも出来る。けれど、それで生活していくには、生活をしていけるだけ稼がせていただいたことに感謝することが当たり前であって、それ以上を求めることは分相応を超えた強欲と言うのである。占い師で成功している人は大金持ちと言う考えは間違いであると思う。
お金持ちの鑑定士の方は、経営の才能が秀でているのであって、ただ、他人の悪い時期や問題の起こる時期がわかるのでそれに漬け込んで大金を請求できるというやり方も経営と考えれば出来るのかも知れない。けれどそれで大金持ちにも簡単になれるが、おそらく最後、変死や幸せな死に方が出来ないことは予想が付く。人の人生のあらずじが読めるから大きな商売にするやり方はあってはならないと思う。
鑑定士で宝くじの一等を当てた話を聞いたことが今だかつて無い。相談者にアドバイスは出来ても自分自身が当てられないものだ。それがいい見本であるだろう。
財には相談者の因縁も一緒に頂くということを忘れてはならないと、常日頃から私は思っている。もともと今までの人生を振り返って大きな業が自分家の因縁としてある事を知っている以上、私自身は、大きく人前に出るような鑑定士になりたいとは全く思っていない。
経営や財力をつけ成功を約束された命式の人は本当に数少ない。どの人にも浮き沈みはあるし、とても良い命式であっても生かすことが出来ず、最悪の困窮生活をしている人も知っている。良い命式で本当に幸せなのに突然、幸せのさなかで命を失ってしまう人もいる。悪い命式であっても、それゆえに自分の考え方や関わり方を変えていくことでそれ以上の大きな幸せを手に入れている人も居ることを知ってほしいと思う。
「自分が幸せ」でなくて、どうして悩んでいる人たちの力になれるのだろうと思う。どん底から這い上がることが出来たからこそ、私は鑑定士になる事が出来たのかも知れない。人から言う不幸な過去から立ち直れた自分を知っている人達から、幸せをつかめて本当によかったねと声を掛けてもらえる事がとても嬉しい。
とにかく悪いことばかり並べる鑑定士に出会う機会があれば、それだけで怖がらず、他でもう一度同じ内容で鑑定してもらってそれから自分にあった開運法を考えることは大切だと思う。開運法を教えてくれないというのでは話にならない。
本当に信じられないようなアドバイスや鑑定を現場でしていても、全く同じ肩書きの人が居るのを知っているだけに、肩書きや鑑定料金が高い先生、キャッチセールスのように自分の肩書きを誇示し、顧客様に声を掛ける鑑定士に、上から目線で顧客様に命令形で物を言うような鑑定士に鑑定してもらったら当たるという考えは持たないで欲しいなと思っている。
私の恩師の日本易学院の学院長は学院を高齢になられ現場から静かに勇退された。寂しくもあり時の流れを感じる。私の恩師の学院長が常日頃からおっしゃっていた「全ての原因は我にあり」「森羅万象有縁にして命なり」この言葉を大切に学び続けて生きたいと思っている日村である。

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