2018/8/25

数学の限界  Others

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ニア・フィールドでのPCオーディオを入り口として勧めておきながら、
本当のところ、最終的にはアナログ盤再生の魅力に辿り着いて欲しいというのが本音だったりする。


私は、宇宙論や数学的思考が大好きだ。

数学で神の法則を記載しようとする努力にも、尋常ならざる尊敬の念を抱いている。


しかし、究極的な原理は、おそらく数学では完全に表せないだろうという直感が拭い去れない。
それは、非常に単純な思考から派生している。


真円のケーキがあるとする。

正確に120°で切り分ければ、きっちりそのケーキを三等分することができる。
数式で表せば、1/3だ。


これに、疑問の余地はない。


しかし、これを数値化しようとすると、

0.33333333................................

と、循環小数になってしまう。


それを補完するために分数が用いられるわけだが、
それって、まやかしじゃないの?
という否定の気持ちがどうしても生じてしまう。

数学の根本にある数字そのものが、ケーキを三等分した状態を表せない「不完全」なものだと感じるからだ。


光も音も、すべて途切れない「波」でできている。
これを正確に記述するには、途切れなく連続した状態を表すあらたな数字の概念が必要なんじゃないかなと?


それはもはや「数学」ではないのかもしれないけれど。


数字が分断された状態、0/1のバイナリ・データを解析に使っている限りにおいて、決して自然の法則には立ち向かえないんじゃないのかなぁ。
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2018/8/25

耳のエイジング  Music

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BOSE 111AD、中高音がキンキンして疲れると、導入当初に書いた。

しかし、いつの間にかお気に入りに。
アンプ BOSE 1705II とスピーカー 101MMは書斎から排除され、リビング行きとなった。

そう、聴いていると、耳の方が音に慣れてくるのだ。
スピーカーのエイジングなんて言われるけど、大部分は耳の方がエイジングされているんじゃないかと思う。

私が心地よいと感じるのは、サウンドに包まれるような感覚。
すぐ近くの天井に吊るされたBOSE 111ADは、小音量でも広がりある音場が形成され、まさに音が降ってくるようだ。
絶対的な音量は小さいので、筐体や書斎の壁や家具が共振することもない。

この音に包まれる感じを距離を離した大型スピーカーで再現しようとすると、どうしてもボリュームを上げる必要が生じる。
すると、必然的に、不快な共振音が混ざってしまう。
そして、大音量に晒され続けるのは苦痛以外の何物でもない。

この111ADはとっくに絶版なのだが、いまのBOSEラインナップに魅力的なものはない。
なぜか、図体が大きくなってしまっている。
木造6畳間に吊るすには、不向き。




PET SHOP BOYSのアルバム「Behaviour」をこのBOSEのシステムから流すと、
言葉で言い尽くせぬ心地よさに浸ることができる。


miwaさんのことばかり書いているけれど、私は邦楽をほとんど聴かない。
アルバムを全部揃えるほど好きになったのは、miwaさんとYMOだけだ。

洋楽しか聴かない人間にとって、「音を心地よく響かせる」ことは最重要事項だ。
そして、中古1万円程度で購入できるBOSE 111ADは、小さくて頑丈でスタイリッシュで心地よい音空間を形成する、もはや不満点のないスピーカー。

結局、耳がエイジングされて大絶賛へと至る。



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2018/8/21

miwaさんファンの放言  Music

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※写真はオフィシャルのSNSより拝借


今年のROCK IN JAPAN、
いい歳をして、最前列から5列目くらいに陣取ってmiwaさんの登場を待った。

周囲は、10代20代の若者ばかりだ。
ちょい、恥ずかしい。


やがて、ステージ上手より現れた女性。

「え? だれ?」

思わず声を上げてしまった。


デビュー以来、彼女を一目で見分けるためのアイデンティティとなっていた「前髪ぱっつん」ではなくなっている。
しかも、最初は「結んでるのかな?」と思った後ろ髪は、バッサリ切り落とされていた。



結論から言って、素晴らしい!!


心から拍手を送ってしまった。


髪を切った本当の理由は知らない。
知りたいとも思わない。


が、絶妙なタイミングだと思う。


シングル集をリリースして、過去の代表曲を何度も歌い尽くして、
「さあ、次のピリオドに向けて一新だ!」
という気持ちと変革が必要な時だと思っていたからだ。


表情を覆い隠していた髪の毛がなくなると、
彼女の魅力が前面に溢れ出していた。

芯が強く、まっすぐで、
それでいてどこか可愛らしい内面が。

そう、私がまったく関心がなかったビジュアルに惹きつけられた。

それでいて、セクシーさと表現されるような性的魅力は、相変わらず一切伴っていない。

パワフルでストレートな、
人間としての迫力が余すとこなく伝わってきたのだ。
(熱烈ファン談)


見た目だけではなく、
今後のアルバム制作方針や、ライブの演出も、劇的に変化して、
よりパワフルでストレートなものになっていくのではないか?

そんな期待が一気に膨らんだ。


miwaさんが次に音楽活動で繰り出す一手から、目が離せない。


まずは、miwa THE BESTツアー初日が楽しみだ。



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2018/8/21

写真  Ordinary Days

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フィルムの時代から、写真を撮影するのが好きだった。

でも、いつまで経ってもアマチュア初心者レベル。
決して、成長しない。

レンズは、標準・ズーム・単焦点と持ち歩いているけれど、
結局、ほとんど標準レンズ(18-55mm / F値:3.5)を付けっぱなし。

人物と接写は単焦点の方が圧倒的に綺麗だけれど、
そもそも、あんまり人物撮影に興味がない。
「スナップ写真程度でいいや」というレベルの感心なので、iPhoneで十分だったりもする。

接写と書いたけれど、料理の写真について言えば、
「料理撮影する人の気が知れないや」というレベル。
SNSには料理写真が溢れかえっているけど、私にはよく意味がわからない。


基本的に、風景写真にしか夢中になれないタチらしい。


で、いざ風景を撮影しようとなると、基本的には歩き回ることになる。
すると、レンズ交換は面倒だし、違うレンズセットした本体を複数持ち歩くなんてのは、かさばり過ぎて論外になる。

「100mm以上の望遠をどうしても使いたい!」、というシーンにはほとんど出くわさない。

草花を接写するときはF値優秀で明るい単焦点レンズに交換したくなるが、
大抵の場合は、標準レンズのF値を3.5に固定して絞り優先にしたら、それなりに映る。


まとめてしまうと、私のような超初心者レベルには、一つのレンズを付けっ放しにして、
シャッター優先・絞り優先を駆使して、手軽に素早く撮影する方が向いているのだ。


となると、大事なのは使い勝手よりも、本体の軽さや操作の単純性。
そういった意味で、エントリー・モデルのNIKON D3300は自分にぴったりの機種だなあとつくづく痛感している。


もちろん、上位機への憧れはあるけれど、
絶対に使いこなせないし、「ある程度雑に扱って使い倒せる」というD3300の魅力は捨てがたい。

「ランドクルーザー200でダートに果敢にトライアルする勇気は湧かないが、ジムニーだったら突っ込める」
そんな感覚に近いのかも知れない。


下の写真は、どれも激安D3300標準レンズセットの状態で撮影したもの。


オーディオと同じで、
カメラも上を見たらきりがないけれど、
使い勝手よくて財布にも優しいエントリーモデルで満足しておくのが一番幸せなのかも知れない。


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2018/8/4

MacBook Proの衝撃  Ordinary Days

先日、衝撃的な出来事があった。

仕事先にMacBook Proの電源を持っていっていなかったので、知人に借りようとした。
すると、電源のアタッチメントが合わず流用できなかった。

よく見ると、知人がMacBook Proと呼んだそのPCには、USB-Cポートしか装備されていなかった。

「あ、それ、12インチのMacBookでしょ! Proのついてない、キーボード付きタブレットみたいな」

得意げにそういった私は、次の瞬間に恥をかいた。

MacBook Pro

ディスプレイの下側外枠に、堂々とそう書いてあった。
(ちなみに私のMacBook Pro Early 2015には、わざわざそんな自己主張表示はない)


「エ? エエエエ?」


そして電池の切れた私のPC立ち上げは諦め、外付けハードディスクを知人の最新MacBook Proにつないで、必要データを引き出すことにした。

彼は、おもむろに大げさなアダプターをカバンから取り出して、USB-Cポートにそれを繋げた。


「エ? エエエエ?」



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※MacBook Pro Early 2015


私のPC、もはや3年半が経過して、いつ故障してもおかしくない。
そろそろ買い替えかなぁ、なんて考えていた。


しかし、修理してでも古いのを当面使い続けるしかないじゃないか!!!
と、思った。


Macノートがwindows機より優れているのは、
シンプルなデザインかつスマートな使い勝手にあった。

普及してるUSB(USB-A)を接続するのにいちいち変換アダプターをつなぐなんて、
非常に使い勝手悪くて、正直、「windows機よりダサい!」じゃないか。


外付けHDD、光学ドライブ、自宅にも会社にもUSB-Cのものなんてまだ一つもない。


おまけに、SDカードリーダーも、廃止されたらしい。
ありえない!

私はカメラの趣味もあるので、SDカードをそのまま差し込める利便性は不可欠だ。

とどめに、HDMI端子までなくしてしまったそうだ。
しばしばTVモニターに、そして時にはプロジェクターに画面(映像)出力しているので、不可欠な端子なんだけど!!
まあ、自宅なら対応ケーブル買い足せばいいだけのことだけど、出先でプロジェクター使うときにはやぱり変換アダプタ持ち歩かなきゃならないわけで。




デザインのために機能を犠牲にするなんて、
スティーブ・ジョブスが天国で泣いているのでは???


現在普及している環境に適応できないアダプターまみれのMacなんて、
ダサい!と思ってしまった。


時代の先をいっていることをアピールしたい仕様なのでしょうが、
それじゃあ使用できないのですよ。


もしいまのMacBook Proが壊滅的に故障したら、Windows機に乗り換えるしかないのかもしれない。






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