人形芝居『ヘンゼルとグレーテル』を作ろうと思った最初のきっかけは、実はゲーテの『ヴィルヘルム・マイステルの修行時代』に出てくる人形でした。あの小説を読み始めた時、大学生だった私は、描かれている場面に憧れを抱きました。そして、甥っ子や姪っ子たちのために、いつか人形芝居を上演して見せたいと感じるようになりました。勿論、自分の子供達に対してでもよかったのですが、結果として子供のいない私には、甥っ子、姪っ子が自然と対象になったのです。
この芝居を作るためには、バックドロップ(背景の書割)や大道具、小道具を作る必要がありましたが、それらすべては劇団木馬座時代に経験しておりましたので、全く抵抗なく製作してゆきました。土日が休日だった海運ブローカー時代に、休みを返上して、作りました。先ず、台本を書き、その後は同時進行で人形の頭を作ったり、衣装を縫ったり、音楽を書いたり、ピアノやエレクトーンで録音したりしました。効果音を録音するのも愉快でした。
この芝居はアフレコ形式なので、音楽と台詞をいれたテープを作成します。そのために、妻や友人、姉、義兄、その友人たちに声の出演を依頼しました。雨が降る日に、録音したのを記憶しています。義兄が「くま木工」と言う名の木造の家を建てましたが、その大工作業をしている金槌の音が背景に入っているのも、なかなかいい効果音になりました。
今はもう付き合いのない、九州の劇作家B君が読んだ魔女の台詞は、九州訛りがあって、なかなかいい味が出ていました。彼が読んでくれたお陰で、この録音は私の記憶に残る作品になりました。
あるクリスチャンが経営していた幼稚園の子供達が、ハレルヤ号と言うボックスカーに乗せられて観客として来てくれました。臨時に作られた木の客席には、鈴なりの子供たち、私の両親、兄弟、その子供達が座って、芝居を観劇してくれました。
当時、まだ劇団を退職したばかりだったので、芝居を上演することが当たり前の私でしたが、今考えてみれば、この公演は盛況で、大成功でした。後日、B君が宇宙館という下北沢かどこかで上演した芝居などは、客がどれだけ入るか、やきもきして入り口で立って様子を見ていました。公共の施設を借りたり、大道具や小道具、搬入など普通に製作を考えれば、赤字にもなることもあり、B君にとってはあの公演真剣勝負だったと思います。彼はいい芝居を書いていたのですが、止めてしまって、九州に帰ってしまいました。

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