エヴァンゲリオン序はかなり前に観たが、TVシリーズとあまり骨子は変わる所がなかった。しかし、使徒ラミエルの描写が際立っていて、非常に面白かった。
さて、破のブルーレイを観た。いやはや、全く違う話に繋がって行って実に先が読めない。登場人物の抱えている諸事情はさほど変わらないのだが、エピソードの展開が変化する事によって到達点が変わって行った。
つまり、ロケットを打ち上げるときの弾道がわずかにずれれば、はるか先の到達点が変わってしまうという感じであろうか。
あいかわらず禍々しく、使徒はめちゃくちゃやっかいで強い。
しかし、アスカもレイもTVシリーズよりはるかに魅力的だ。
シンジ君もいつまでも「パパに褒められたい」という意識ばかりではなくなり、自分の人生を生きようとし始めた。
そしてラストにカヲル君である。
サービスショットもかなりあって、続きが気になることおびただしい。
さて、基本的にわたしはエヴァは聖書の形式を借りた怪獣特撮映画だと思っている。
巨大な十字架が地上にたちあがるデザインも汎用人型決戦兵器が実は拘束具に制御された人間そのものであるという設定も諸星大二郎にインスパイアされている。
次回の急もQと表現されている。
庵野監督の世代のものにとってQといえばウルトラQ。
携帯の呼び出し音はウルトラマン。
そして「翼をください」「三百六十五歩のマーチ」「恋の季節」「今日の日はさようなら」などは、この世代の定番である。
監督の目指す世界は、あの黄金時代と未来が接近したパラレルワールドでの新しいウルトラマンである。
また、ATフィールドを備えている使途もエヴァも同じく人間であり、エヴァ3号機が使途に浸食されるエピソードや、最後の使途戦は、ほかならぬ自分の仲間が怪物化しており、それを倒さねばならないジレンマを描いている。これは、ウルトラマンの有名なエピソード「ジャミラ」ではないのか。
この世代にとって「ジャミラ」の悲劇性はとんでもなく心につきささった。
庵野監督はなんとかジャミラを殺さずに済むように願ったに違いない。
アスカは大けがを負ったが、シンジはそれだけにレイをどうしても奪還したかったのである。それはパパに褒められるという事とは全く違う。
ところでこのエヴァは家族の物語でもある。スター・ウォーズが家族の物語であったように、一つの家系にまつわる神話である。
エヴァ初号機は使途との戦いで両てのひらを貫通する傷を負う。また、最後にはカヲルが槍で胸を貫く。これはキリストの傷である。
また、一度機能停止してから復活するのはキリストの復活を模している。
彼が救うのは母のクローンである少女レイ。しかし、本人たちは認識していない。これはオイディプス悲劇なのか?
ともかくも神話的構図をここまで徹底的に入れ込んだ特撮映画を、実写ではなくアニメで作ったのである。細部まで気を配った特撮魂には恐れ入る。
その昔、ウルトラマンは怪獣相手に闘牛を行った。
今回、エヴァは陸上競技を行ったのである。途中、オートバイ曲芸も入れつつ、ハードル、三段跳び、短距離走を展開した。ライダーキックもあった。
監督の特撮愛、あの黄金時代への偏愛を感じる。
ウルトラマン設定には「ウルトラマンは神である」というエピソードもあった。エヴァは神になる人間としてのウルトラマンなのだ。
しかし、人間は神になどなれない。人間同士の距離感を計りかねて孤独をもてあます人間は。ギリシャ哲学での人間の完全体とは、男女の体の合体したものだった。これを神が切り離したため、人間は孤独になり、互いを求めるようになったというのだ。エヴァ初号機のATフィールドの中にレイが吸い込まれ、彼らは完全体になった。
うーん、これをどうおさまりをつけるのだ。
ゲンドウや冬月君はゼーレの計画にさからって何を目論んでいるのか。
このオヤジどもが結局は運命を動かすのだが、こいつら他に友達いないのか。
で、新キャラのメガネのマリちゃんはいったいどういう風に物語にからむのか?アスカはどうなってしまうのか?やれやれ、Qは劇場で観なけりゃならんか・・・。
ウルトラマンは母星に帰ったが、エヴァは母性に還るのか!?

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