2009/6/16

友だち地獄  読書

友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)
 「友だち地獄 「空気を読む」世代のサバイバル」 土井隆義著(ちくま新書)。

 社会学の教授が,最近の「空気を読む」若い世代について,「優しい関係」が支配しているとして,その実態について分析した新書。
 自分より若い世代の行動が理解できない時に,人は下手をすると自分の若い時はこうではなかったとして,説教モードになってしまいがちだけれど,そうならないための分析の視座を持っておくというのは有用なこと。そういう意味では,多少違うんじゃないかなと思う部分もあったけれど,参考になった。

 本書の構成は,下記のとおり。
第1章 いじめを生み出す「優しい関係」
第2章 リストカット「少女」の痛みの系譜
第3章 ひきこもりとケータイ小説のあいだ
第4章 ケータイによる自己ナビゲーション
第5章 ネット自殺のねじれたリアリティ

 本書で指摘する「優しい関係」とは,「対立の回避を最優先にする若者たちの人間関係」(8頁)のこと。

 このような視点を用いて,いじめについても,「いじめがきわめて流動的な現象であり,その理由に客観的な根拠を見出すことが難しいのは,それが加害者や被害者の内面に固有のものとして存在するわけではないからである。あくまでも人間関係の重さを軽くするためのテクニックとして生まれたものだからである。」(21頁以下)と分析する。

 その原因として,人間関係に対する不安を指摘します。「人間関係に安心感を抱けないのは,彼らの自己肯定感の基盤が脆弱だからである。身近な人びとからの承認を得ることなくして,不安定な自分を支えきれないと強く感じているからである。」(34頁)

 まあ,若い時を振り返って見れば,こういう心理っていうのはよく分かりますね。で,一体なぜそうなんだろうかという分析に進むのですが,著者の分析もなるほどと思うのですが,このあたりはまた別の解釈も可能だろうと思います。

 現在の若者に自分が理想とするモデル像や思想が欠如しているというのはその通りの部分もあるだろうと思います。しかし,その原因はやはり現在の若者を取り巻く環境による部分が大きいと思います。
 ネットや携帯というのは,昔で言うところの噂話をかなりパワーアップさせた存在だということができると思います。さらに,テレビなどの存在によって自分で考えるまでもなく,一定の意見が次から次へと入ってくるという情報過多の社会状況というのも影響しています。

 その結果,昔であれば「特定の番組」だけを知っていれば足りたのに,様々な情報に応じて話題を合わせる必要があって,情報(いわば噂話)の多寡によってその人らしさが形成されてしまう(ように思わせる)部分が出てきてしまう。また,自分の知っている情報についても,(情報が分散化しているから)相手が即座に理解してくれる訳ではなく,そういう意味での疎外感も常に感じることになります。
 当然,そういう状況になれば,忙しいし,人間関係については渇望も感じる訳です。こんな忙しさや一種の飢餓感を抱えた状況ではゆっくり物を考える時間もないですし,寛容にゆっくり構えるなどという余裕もなくなってしまいかねません。
 個人的には,こんな感じじゃないかなと思います。

 第2章の,同じく自殺を選んだ高野悦子と南条あやを対比して論じた章も参考になりました。著者は,これを思想などの外在的なものを目標に獲得的な人生観を持っていた世代と,生まれながらという生得的なものに比重を置きがちな現代の若者という対比をしますが,確かにそういう部分もあるような気がします。
 
 これを,「近代以降,私たちの社会は,血筋や家柄などの生得的な属性から人びとを解放し,知識や技能などの後天的に獲得される属性に優位性を認めてきた。自由にせよ,平等にせよ,そのための理念だったはずである。しかし,ここへきて,生まれもった自分らしさだとか,秘められた自分の本質だとか,表向き洗練された属性に置き換えられてはいるが,自己像に対する感受性の方向がかつてとは逆になりはじめている。獲得的な自己像のリアリティが失われ,代わって生得的な自己像のリアリティが復活しているのである。」(79頁)と指摘した点については,鋭さを感じますね。

 ただ,これを前提に純粋な関係を希求しているという部分については,どの世代の若者も基本的には一緒じゃないかなーと思いました。ただ,純粋な関係っていうのは,どこにもありえない関係で,景色がシンプルな世界(情報が乏しい)では,比較的そのことに気付きやすかったんだけれど,景色が複雑化した世界(情報過多)では,どれもがどこかで見たような景色で結局複雑な関係に分け入らないといけない(汚れた中での純粋さという極端な世界を希求しがち)という側面があります。

 そういう意味では,「望むものは何でも容易に手に入れられるようになったことで,さらにまた選択肢の幅も拡大してきたことで,それぞれの価値は互いに互いを低めあうようになっている。」「ほかの選択肢の可能性もつねに残されているという事実が,自ら選んだものの魅力を相対化し,その価値を低めてしまうのである。」(185頁)という指摘は重要だと思いました。誰だって,こういう状況に置かれれば,つまらなさや自信のなさを感じてしまうはずです。

 本書は著者の既発表の論考を整理したもののようで,その意味で原因付けが必ずしも一貫しているとはいえない部分もありますが,若い世代の問題を考えてみたいという場合の一歩としては,語り口も誠実なのでいいのではないかと思いました。
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