2009/9/16
アメリカの民主政治 5 読書

「アメリカの民主政治」 アレクシス・ドゥ・トクヴィル著,井伊玄太郎訳(講談社学術文庫)。
対になる話なので連続投稿です。前回の共同体論の続きです。ここから,当時の中央集権的なフランスの制度との比較が始まります。
「フランスでは,中央政府がその代官たちを共同体に貸与するが,アメリカでは,共同体がその公務員たちを州政府に貸すのである。」(上135頁)
この発想はよく分かりますね。この文を読むと,日本も中央集権国家であることがよく分かります。
共同体精神は,単に近くにいて,顔が見えるから形成されるという単純なものではありません。
「彼等のひとりびとりが共同体の一部を構成していて,共同体を統導しようとして払う苦労に値するだけの自由な強力な団結を,この共同体のうちに見出しているからである。」,「ヨーロッパの支配者たちは,この共同体的精神をどのようにしてつくるかを知っていない。彼等は,共同体を強力にし独立させることとなると,社会力を人民に分配することとなり,国家を無政府状態においやることとなると思って,これを恐れているのである。ところで,もし共同体からその強力さと独立性とを奪うならば,そこには被治者のみは見出されるが,市民というものはなくなってしまう。」(上137頁)
つまり,共同体への権限の分配こそが重要な訳です。「分」権の意味はここにあるわけです。
「アメリカの共同体で,公共的なことがらにできるだけ多くの人々の関心をそそるために,どのように巧妙に権力の「分散」が企てられているか」,「アメリカ的方式は,自治体的権力を多数の市民たちの間に分散していると同時に,なお,共同体的諸義務をふやすことを恐れてもいない。」(138−139頁)
こういう発想で考えた場合に,どのような権限を分散させていくべきか。現段階では,ぼくもはっきりと明示はできませんが,総論としては政策決定などへの影響力を与えうる権限を付与した上で議論をさせていく,しかもなるべく多くの人に。少なくともこういう方向性は必要だろうと思います。
(つづく)
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