てのひらのメモ 読書
「てのひらのメモ」 夏樹静子著(文藝春秋刊)。推理小説作家の夏樹静子が裁判員裁判の法廷を描いた作品。元々夏樹静子は,法廷ものでも力を発揮していたので,この流れに違和感はないですね。ちなみに,アマゾンのレビューで裁判員裁判の是非みたいなレビューが横行しているのにびっくりしました。制度がスタートする状況でこれをモチーフにするのは当然のことだろうと思います。
また,著者には,「量刑」という作品もあって,こちらは職業裁判官の合議について描写されていますので,合議のあり方が一般の人を関与させることによってどのような変化を遂げるのか(遂げうるのか)についての著者自身の新たなアプローチと見ることもできますね。
事案としては,夫を亡くし一人で子育てをするキャリアウーマンの女性が,小児ぜんそくを患う6歳の子を置いたまま仕事に出たところ,ぜんそくの発作で亡くなってしまったため,保護責任者遺棄致死罪を問われたという事案。
まず,保護責任者遺棄致死罪は,裁判員裁判の対象事件なのか?と思ったけれど,遺棄に故意がある以上「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪」として対象事件になるんですね。これは傷害致死なんかもそうで,このあたりは,ちょっと注意が必要ですね(ちなみに,傷害致死は,傷害は故意犯ですが,致死の部分は過失犯の性格を有するとされていますので余計な知識があるとややこしい)。
これで起訴されるのか?というのが第一印象でした。ただ,そんな疑問を持ちながらも公判の審理を読んでいくと,判断にはかなり迷います。こういう判断の悩みを追体験できるというのが本書の特徴でしょうか。
公判では意外な事実も明らかになりますが,概ね想定の範囲内でそれほど捻りがある訳でもないので,裁判員裁判のイメージをつかむためにもいいかもしれない。日本的な特徴としての「全体としてのバランス感覚」みたいなものが随所に出ていて,まあよいか悪いかは置くとしても,こんな感じで進むんだろうなーと思いました。
本書を読んでみて裁判員裁判について思うのは,一定の事実について共通認識を持つことや判断にあたって基本とすべき原理を共有することの重要性。これは判断の前から持っていることが必要なのではなく,相互のコミュニケーションによって共有していく能力(伝える能力と受け取る能力)こそが問われる。
自律的な判断を前提とした民主化という意味では,実はこの能力の涵養こそが必要なんだということを制度を通して見透かされているような気がした。
0