今が、ますます幸せだと気がツクには456号
快川和尚生存説と武田家系図
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O宮司さんが、次に案内してくれた場所は
武田勝頼が菩提寺として建てたという流光山成福寺です
ここに案内してくれたのです
しかもO宮司さんは、この流光山成福寺の戸を開けて
中に6名を入れるといろんな仏像を見せてくれました
貴重な文化財聖観音立像などを見せてくれたのです
またこの流光山成福寺の説明もしてくれましたが
それは驚く話でした
何故ならこの流光山成福寺の住職は
何と快川和尚ではないかという推測をしていたからです
しかし正直俺は、その説はなかなか受け入れられませんでした
武田勝頼が土佐で生きていたというのです
快川和尚が生きていたと思っても不思議ではありません
でもあの快川和尚まで生きていたのかと思うと
本当に驚いてしまったのです
というのも快川和尚とは信玄公が
美濃国の崇福寺から甲斐の塩山恵林寺に招いた住職で
幼い頃の信玄公が、まだ晴信だった時の師匠になります
しかも晴信が、父信虎を甲斐から追放して
甲斐の当主になった時には有名な孫子の旗
「風林火山」を自ら書いて送ったと言われていますし
信玄公が僧になった時は、信玄という機山の号を授けています
その上に武田家が滅亡した時には
信長に敵対した六角義弼や武田の残党を
恵林寺にかくまい織田信忠の引渡し要求を拒否したことから
焼討ちにあい、大勢の僧とともに焼死を遂げています
有名な「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」
の辞世で知られる言葉を残して
快川和尚をはじめとする100人以上の僧たちは、
火の中に入って焼き死んでいるのです
だからそんな快川和尚が、実は生きていたという事になると
これは武田勝頼が天目山で死んでいなかったというよりも
大きな衝撃です
あの時に死んだのは、快川和尚の影武者、弟子だったのか
それとも塩山恵林寺に秘密の逃げ道でもあって
火の中から見事に抜け出していたのか
謎は深まるばかりなのです
しかし俺はその快川和尚土佐生存説を否定もするつもりはありません
武田勝頼が建てた菩提寺流光山成福寺の住職になったのは
快川和尚の弟子の人物だったと思いますが
O宮司さんが言うように流光山成福寺は、一伝に海川山と云うので
恵林寺「快川」派の隠し名である可能性はありますし
土佐の流光山成福寺と長野の龍光山正福寺の
呼び名と風景が重複しているのも変です
O宮司さんが、言うように快川和尚も
土佐に逃れていた可能性もあると思います
この流光山成福寺で住職として活躍して
塩山恵林寺で焼き死んだ百人の弟子の御霊や
武田家の御霊の成仏を願って
菩提を弔っていたかもしれないのです
またO宮司さんはここで
Nさんの希望にあった武田家系図も
6名に見せてくれました
この武田家系図は一つだけでなく
大崎八幡宮代々の神官岡林家に伝わる武田家系図
佐川町の武田家の末裔山崎氏の分家に伝わる武田家系図
佐川町の武田家の末裔山崎氏の嫡流に伝わる武田家系図
大崎八幡宮歴代神主の岡林家に伝わる神主系図
といろいろありますがその中のものを見せてくれたのです
だからNさんを中心にメンバー全員が
その武田家系図を食い入るように見ました
それによって、ある程度武田勝頼土佐生存説の信憑性が
判断できると思ったのです
しかもOさんはその武田家系図に関して
詳しく説明してくれましたが
俺はその武田家系図を見て
この資料は信頼できると思いました
何故ならこの武田家系図には
殆ど歴史で言われていることが、書かれていましたが
一人だけあるべきはずの人物がいなかったからです
というのもそれが松姫でした
信玄公の五女の名前だけが系図になかったのです
しかしそれはある程度は理解することはできます
松姫は、信長の嫡男信忠との婚約が破談した後も
ずっと武田家の敵だった織田信忠に対する思いを
捨てようとはしませんでした
武田勝頼としては武田家が滅亡した後
土佐で永住するようになった後も
武田家を滅亡させた織田信忠に思いを寄せていた
松姫、信松尼だけは許せなかったのではないかそう思うのです
しかしその反面、今の俺には400年前の
前世武田勝頼の気持ちは分かりません
今の俺は、松姫や武田家が滅亡した後の信松尼を
心から尊敬していて恨みなど一つもないからです
でもあの当時ならそうかもしれないと思うのです
ですから俺はその武田家系図に誤りがあっても
いえ松姫の名前がなかったことで
むしろ信じられると思いました
もし武田家系図が、後に改竄されているものなら
絶対に松姫の名前も残していると思うので
かえって俺は、武田勝頼の感情が入っていて
信じられると思ったのです
またそんな視点で見れば
武田勝頼の夫人として最後までついていった女性が
今までずっと信じられていた北条氏康の六女ではなく
武田家の家臣だった三枝三郎晴友の娘で
土佐に暮らした時には三津岐夫人と呼ばれていたという話も
頭から否定することはできないと思います
ただそうしたら武田勝頼に嫁いだ北条夫人は
一体どうしたのか
上杉景勝と上杉景虎が争った御館の乱で
武田勝頼が北条家方の上杉景虎から
上杉景勝に寝返った事で
武田家と北条家の同盟が壊れた時に離縁したのか
それとも武田家が滅亡した時に
武田勝頼とは別行動をしていて
実家の北条家に逃れる時に
誰かに討たれて歴史にその名前も残らなかったのか
まったく訳が分からないのです
でも武田家系図を信じるとしたら
三枝夫人は勝頼の正室だった遠山夫人が
信勝を生んだ後亡くなってから
北条夫人が嫁ぐ事になった間に
勝頼の側室になっています
しかも勝頼との夫婦仲は
家同士が絡む政略結婚ではなく
家臣の娘という事で
勝頼の気にいった女性なので
とてもよかったみたいです
歴史で言われている武田勝頼を支えた女性は
北条夫人ではなくて実はこの三枝夫人だったというのです
これにはさすがの俺も参ってしまいました
ずっと北条夫人のファンだったのでなかなか信じられないのです
でも俺は、もしそれが今後の武田家の歴史として証明されたら
土佐にある武田家系図の真実が立証されて
武田勝頼土佐伝説は、俄然クローズアップされると思います
武田勝頼伝説の明確な証拠になると思うのです
それで、是非いつかそんな日が来て欲しいと願いながら
O宮司さんの説明を聞きながら
武田家系図を見させて頂いていたのです
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