11月7日,サントリーホールにて,内田光子のピアノリサイタルを聴いた。
曲目はオール・シューベルト,しかも最後の3つのソナタ・・・。
これだけ長い曲を3つとも演奏するのにどれだけ時間がかかるだろう・・・と思ったら,やはり開演時間は通常よりも30分早い18時30分(そのおかげで開始時間を間違えた人が多かった。遅れると1曲まるまる聞き逃すことになる。もったいない!)。
予定時刻を過ぎてまもなく内田が登場。グリーンっぽい光沢のあるパンツに黄色っぽいシースルーの外側付きブラウスを着た彼女はまるでアラジンの世界から飛び出して来たよう。
内田は,観客の拍手も鳴り止まぬうちにパッとピアノに座り,おもむろに1曲目のハ短調のソナタD958冒頭の重厚な和音を弾き始めた。おや?と感じた。想像していたよりも音が小さく感じられるのだ。また,ピアノらしいブライトな音ではなく,もう少しこもったような丸い音。でもこの違和感は最初だけ,そのうちに気にならなくなった。
シューベルトがベートーヴェンの牙城に果敢に臨んだようなハ短調ソナタ。確かに悲愴ソナタのような響きが随所にちりばめられ,終曲の長大なタランテラなど偉大な先代に習い,これを超えようという強い意志が感じられる作品である。
しかし,僕がシューベルトに期待するのはベートーヴェン風のそれではない。シューベルトのソナタには苦悩から勝利へ向かうようなドラマはないし,必要とされていない。そういう意味で,このソナタ。一般には評価は高いかもしれないが,シューベルティアンの端くれとしては,ちょっと物足りないのも事実なのだ。
このようなハ短調ソナタへの偏見は,内田の素晴らしい演奏を聴いても払拭されることはなかった。
続くイ長調のソナタD959。これはさらに長大な曲,そして僕も大好きな曲である。
第一楽章の冒頭,中低域の豊かな和音で曲は始まる。そして,次第にシューベルト特有の,高音域でのアルペジオのような,きらきらとした音の群れが紡がれていく。そのさまは人工的なところがまるでない。ブラウン運動というか,シャボン玉がたくさん作られて飛んでいく様子というか,自然に発生し,自然に流れていくような音楽。内田は,まるでポニョを生み出すグランマンマーレのように,一つ一つの音を慈しみながら,大切に弾いていく。
第二楽章も気が遠くなるような音楽である。シューベルトを評して「天国的な長さ」と言ったのはシューマンだが,まさにこの楽章に当てはまるのではないか。夢の中の世界のように輪郭がぼけていて,美しい雲の流れをスローモーションで見ているような感覚。睡魔が襲うが,退屈なのではない。美しすぎて酔ってしまうのだ(それでも夢の向こう側に堕ちていったお客さんも多数いた)。
第三楽章は,森の泉に動物たちが飛び込むような音の動きが特徴的なスケルッツォ。夢の世界から現に引き戻されるが,そこも夢の続きのように美しいまま。
第四楽章は有名なメロディを軸にしたロンド。初期のソナタで使ったメロディの再利用であるが,バージョンアップしてより複雑かつ芳醇な味わいになっている。即興曲のような親しみやすさがあるこの楽章はシューベルトが苦手な人でも楽しめると思う。
内田の弾くピアノはスタインウェイだが,まるでベーゼンドルファーかベヒシュタインのような丸みを帯びた,まるで森の中で響いているような美しい音色を奏でていた。
25分の休憩を挟んで,後半はさらにさらに長大な変ロ長調のソナタD960。
シューベルトでは最も有名なソナタであるが,シューベルト鑑賞の奥の院という感じで,日常的に易々と手が伸びる曲ではない。そして,内田のこの曲の演奏は・・・,本当に凄かった・・・。
第一楽章のテーマは親しみやすいメロディであるが,これがまるで墓石の隙間から聞こえてくるように響く。まるで死神の鼻歌のように妖しい。もともと愛らしいメロディの合間に聞こえる低音の不気味な響きが「死」を連想させてしまう音楽なのだが,それがものすごくデフォルメされた感じ。アファナシエフやリヒテルが演奏したCDや内田自身のCDでの演奏(写真)もすごかったが,やはり昨夜の演奏の比ではない。
第一楽章の提示部後半は「のりしろ」が多い音楽,つまり休符が多く,音と音の隙間がものすごく多い,ソナタ的なダイナミクスとは対局にある音楽。展開部は八分音符の和音打鍵の連続だが,収支ピアニシモでほの暗く,しみじみとした感じ。内田の演奏は,消えそうで消えないロウソクの炎を見ているような感じで,これだけの人数の観客が息を潜めて集中しているさまは,傍目にはかなり異様な雰囲気かもしれない。
この雰囲気は次の第二楽章に引き継がれる。
そこには愛らしいメロディはない。ただ,メロディになり損なったような和音の断片が次々に鳴らされるだけである。永遠に反復されるかのように,重低音から右手を交差して高音部分まで行ったり来たりする内田の左手の動きを見ていると,崇高な宗教的儀式に参加しているような気分になってくる。この楽章でも寝ている人がいるが,よく寝られるなあと感心してしまう。
内田は楽章と楽章の間で観客が咳をするのを好まない(以前,観客に向かって,人差し指を口に当てて「しっ」と言っているのを見たことがある)。そこで,彼女は,観客が咳をしたり,気持ちを緩めたりする暇を与えることなく,次の楽章を演奏し始める。
その夜もそうだった。長大な第一,第二の楽章を聴いて,一息つく間もなく第三楽章と第四楽章をたたみかけるように弾いていく。たたみかけると言ってもテンポは速くない。むしろ全体としては遅いほうである。しかし,緊張感の持続が凄いのだ。
変ロ長調のソナタはスケルッツォもフィナーレも今ひとつ救いがない。どこまで行っても「彼岸」の音楽なのである。内田の集中力はこの長大なフィナーレでも最後まで途切れることはなく続いた。聴いているほうもついていくのが大変。こんなに疲れるコンサートは滅多にない。
パンフレットによるとこの日の内田の出演料は,東日本大震災の被災者に寄付されるそうだ。今日の内田の演奏は最初から最後まで壮大なレクイエムだったのかもしれない。

0