新国立劇場にてワーグナーのタンホイザーを鑑賞(1月30日)。
タンホイザーといえば、白い巨塔(唐沢寿明のほう)の主題歌となった壮大な序曲はなじみ深いが、内容の方は意外に知られていないのではないだろうか。カラヤンびいきだからというワケではないが、さまよえるオランダ人以降のワーグナー作品で、カラヤンが正規録音を残さなかった唯一の作品がタンホイザーであるということも、もしかしたら関係しているかもしれない。
というわけで、何の予備知識もないまま観たのだが、やはりそこはワーグナー。ツッコミどころが満載ながらも、音楽は素晴らしく、最後には思わず涙が滲んだ夜となったのであった(以下、ネタバレ多しですので、まっさらな気持ちでこれから作品に触れたい人は読まない方がよいです)。
第1幕は、主役のタンホイザーと美の女神ヴィーナスがひたすらいちゃいちゃする場面から始まる。
主役のタンホイザーといっても、劇中では「ハインリヒ」と呼ばれ、タンホイザーという名前は出てこない(いったい、タンホイザーとは何なのか、最後までよく分からなかった・・・。)。
ヴィーナスといちゃいちゃと言っても、その辺りは象徴的に描かれる。ひたすら男女が詩的にわめきあうトリスタンと異なり、タンホイではバレエが男女関係を物語る。これがなかなかエロい感じで素晴らしい。
新国立の平日はだいたい夕方早い時間から始まるため、観客は、定年後のご夫婦らしき人が圧倒的に多いが、妙に会場が興奮しているのが分かる(そのときだけうるさい咳が聞こえないw)。
ヴィーナスといちゃいちゃなんて男冥利に尽きると思うのだが、幸せは長くは続かない。男(タンホイ)の方がその状態に飽きてしまい、自由になりたいなんて言い出すからだ。
このあたりからのヴィーナスとのやり取りは、内縁関係の解消の痴話げんかの様相を呈している。それもかなりリアルに。ワーグナー、やはりただ者ではない。
結局、最後はヴィーナスが折れ、タンホイは自由の身となる。
そこに、巡礼者の群れが通りかかる。これが意味不明だったのだが、後から伏線的意味合いがあるものであることが分かる。
そこにかつての同僚(騎士と王様)が通りかかる。タンホイもかつてはこの領地の騎士だったのだ。同僚は、タンホイに仲間(職場?)に戻るよう強く説得するが、自由になりたくてヴィーナスの世界(ヴェーヌスベルグ)を飛び出したタンホイはかたくなな態度で断り続ける。
そこで同僚の一人のヴォルフラム(=イケメン)が、王様の姪のエリーザベト(美人)がタンホイの歌を聴いて、彼に一目惚れしてしまい、タンホイが行方不明になってからは心を閉ざしたようになっているぞ、と伝える。
少し背景を説明すると、この国では定期的に歌合戦が行われており、歌えることは騎士の重要な仕事となっているのである。
これを聴いたタンホイはすぐに翻意して「戻る」という。このあたりの変わり身の早さは、主役としてどうよ、と思う。
しかし、それにもまして、今回のタンホイ役の歌手(スティー・アナセン)が、どう見てもイケメンとはほど遠いルックスをしていて、どこに行っても女性にモテるというこの劇のストーリーが説得力を持たないのが残念。
第2幕は、タンホイがお城に戻ったら、たまさか歌合戦が予定されていた、というところから始まる。
久しぶりのタンホイとエリーザベトの対面。彼女は完全にタンホイ・ラブな感じで可愛いのだが、タンホイの方も積極的に口説きモード全開で、さっきまでヴィーナスといちゃいちゃしていたアレは何だったのよ、という気分になる。男のサガといえばそれまでだが・・・。
さて、いよいよ歌合戦の場面、領土の民衆全員集合ってな感じで、実に迫力のあるシーンである。神々の黄昏でもそうだが、ワーグナーは二幕を派手に盛り上げるのが好きらしい。
歌合戦のテーマは「愛の本質」。王様が指示したこのテーマに沿って、各人は即興で歌をつくり、歌うことが要求される。
くじ引きで順番を決め、トップバッターはヴォルフラムである。ヨッヘン・クプファーという歌手だが、実にイケメンで歌もいい。
彼が愛の崇高さをたたえると、ギャラリーからは大きな拍手。そこへ、呼ばれてもないのに、タンホイがしゃしゃり出る。
要するに、理想の愛みたいな青臭いこと言ってるけど、お前は本当の愛の歓びを知っているのか、的なことを言う。観客からはブーイングの嵐。
二番バッターのヴァルターの番では、彼が体育会系のノリで、女性のためなら命をも投げ出してもよいというような歌を歌う。
そこにもタンホイが出てきて、モテないくせに何歌ってんだ的な歌を歌ってヴァルターをバカにする。
調子にのったタンホイは、自分は享楽こそ愛だとのたまい、ヴィーナスといちゃいちゃしていたことをつい口走ってしまう。
同僚も王様も皆激怒し、彼を殺そうとするが、エリーザベトの必死の懇願で、「ローマ法王に赦免されれば、罪を赦してもいい」という条件が出される。
ここで2幕は終わるのだが、なぜヴィーナスといちゃいちゃすることが、地獄の業火で焼かれるほど罪なことなのかがよく分からない。
トリスタンとイゾルデで究極の愛の享楽を描き、オペラ界の渡辺淳一と呼ばれる(わけない)ワーグナーが、よりによって愛の女神であり、現在も歌や様々な芸術でたたえられる存在となっているヴィーナスとの交際(肉体関係?)をそれほどまでに「悪」と決めつけている点に納得がいかないのである。
第3幕は陰鬱な感じで始まる。3幕が陰鬱なまま進むのはトリスタンと同じである。
エリーザベトは、タンホイが赦されるよう、毎日朝から晩まで祈っている。
そこに、タンホイと一緒にローマに行った巡礼者たちが帰ってくる。タンホイの姿を必死で探すエリーザベト。しかしタンホイの姿はそこにはない。
弱り切ったエリーザベトを見守るヴォルフラムが彼女に「送っていこうか」と告げるが、彼女は無視。
その後ふられたヴォルフラムが歌う歌がまた素晴らしい。なぜ、これほど素晴らしい歌を歌うイケメンにいかず、あの情けなくてルックスもいけてないタンホイにそれほど愛情を注ぐのか。女は謎である。
ヴォルフラムが一人舞台で歌い終わると、ぼろぼろになったタンホイが帰ってくる。そこで、ローマ巡業の一部始終を話す。
結局、ヴィーナスの件を告白するとローマ法王にも「お前は地獄に落ちる」と呼ばれ、赦免はなされなかったのである。
ひどい!ローマ法王と思うシーンである(このあたり宗教改革の影響も大きいらしい。)。
自暴自棄になったタンホイは、再びヴィーナスのもとへ行くと言い、ヴィーナスを呼び出す。これを必死に引き止めるヴォルフラム(とってもいい奴)。しかし、このあたりになるとヴィーナスは完全に悪役である。1幕ではそうでもないのに、最後は悪役って、まるでモーツァルトの魔笛のような善悪の入れ替わりである。
そこへ、エリーザベトの葬列が通る!なんと、エリーザベトはタンホイの赦しを得るため、自らの命を差し出したのである。
赦され地獄に行かずに済んだタンホイも、すぐにエリーザベトの亡がらの上で死ぬ。これで終わり・・・?と思ったのもつかの間、一番最後のオーケストラのコードがいわゆるアーメン進行になっていて、ここで思わず涙がじわりと来た。なんだかよくわからないけど、エリーザベト素晴らしい、女性って素晴らしい!
・・・というお話でした。
ヴィーナス役のエレナ・ツィトコーワも美人で歌もうまかったが、何と言ってもエリザーベト役のミーガン・ミラーの美貌と歌のうまさにはかなわない。
でも、タンホイと並ぶとまさに美女と野獣(太ってもっさりした獣)という感じなんだよなあ。
それにしても、後期の作品に比べ、主役としてのオーラというか、英雄度に乏しいと思う、タンホイザーなのであった。

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