平成19年(行ウ)第648号 開発許可処分差止等請求事件
平成20年(行ウ)第105号、118号 訴えの追加的併合申立事件
原告 (氏名省略)
被告 渋谷区、東京都
第27準備書面
2010年2月3日
東京地方裁判所民事第38部A1係 御中
原告ら訴訟代理人
弁護士 斉藤 驍
はじめに――渋谷区の虚構と不実
1 渋谷区は、昨年(2009年)11月18日の「羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会」(略称「守る会」)と渋谷区長との会見の内容、とりわけ羽澤ガーデンの現場の公開を指導するとの約束をしたのかどうか文書で明らかにするよう、前回期日(2009年11月25日)に裁判所から求められていたにもかかわらず、二月以上放置し、ようやく今回の期日の直前(1月29日)に準備書面(10)なるものを提出して、この回答としようとするもののようである。しかしこれは回答になっていない。少なくとも真実のものではない。
2 同準備書面「1 渋谷区長と羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会との面会」と題する部分において、「守る会は、建物を文化財として保存するよう求めたが、区としてその意思がないことを説明した」とする。しかし、これは明らかに虚構と歪曲がある。
(1)区長が羽澤ガーデンの文化的価値は改修(平成12年)により失われたと面会の当初に言っていたことは確かであり、それは原告の第25準備書面にも記されているが、閉鎖直前の平成17年の写真(甲31)や、東京都の近代和風建築において渋谷区を代表する建築物として、重要文化財指定をうけている旧朝倉邸と並んで推挙されている翌平成18年の調査報告書(甲138の2)等を示されると、にわかに態度を変えて、重要文化財としての価値を認めざるを得なくなり、保存と修理の金がないと言い出した。
それに対して、建物の現況を正しく確認する必要があり、そのためには現場を直接「守る会」等の専門的立場から検討することが不可欠だと言われて、区長は三菱地所等の事業者に対し行政指導することを約束しなければならなくなったのである。
保存する意思がないことを明言したのであれば、行政指導の必要性を認めることはあり得ないのである。仮に区長の内心はそうであったとすれば、「守る会」に対して甚だしい虚偽を述べたことになり、事業者に対して現場を見せるように真摯に行政指導することはあり得ない。
同準備書面「2 その後の状況」なる部分は、いみじくもこのことを物語っている。ここには、渋谷区長がいかなる指示を担当の都市整備部長・都市計画課長に与えていたのか、全く記載されていない。区長の指導もしくはこれに類するものは全くなかったことは明らかである。しかも、事業者側の拒否理由は「訴訟中であるから」という、明らかに事実に反する不条理なものである。そして、この指導の結果なるものは、都市計画課長藤本氏より「守る会」事務所に1月26日電話で伝えられた。趣旨、経過ともども全く不明であったので、事務局は、経緯を文書にするよう求め、同課長がこれに応じてファックスされたものが甲154の1であり、これは同準備書面の「2 その後の状況」の記述とほぼ同一である。
(2)これをうけ、「守る会」は直ちに区長に対し下記内容を文書で通知した。
@ 二度にわたる事前相談を終え、開発許可申請を目前に控えた業者が、貴職の指導に従わないとは考えられない。
A 近隣住民等は東京都と渋谷区という行政庁に対して訴訟をしているものの、事業者側と裁判しているわけではない。『訴訟中につき応じられない』というのは理由として考えられない。
B この間の経緯を守る会と面会のうえ具体的かつ詳細に説明することを求める。
区長はこの要請に対して2月12日午後2時に「守る会」と面会すると回答している。
「訴訟中につき応じられない」というのは、事業者側に同調してきた渋谷区長の本音が端無くも出たものであるかどうか、間もなく充分に「守る会」には分かるであろう。かかる不条理な言動が今ごろ何故なされるのか、これが何故重大な違法となるのか、以下論ずることとし、すでに申立済の現場の検証をすみやかに開始されるように求める。
第一 重要文化財指定に向けた動き
1 特別フォーラムの開催、運動の深化と広がり
2009年12月15日、「守る会」は文部科学大臣、続く渋谷区長との会見、さらに併行して進められた羽澤ガーデン保全運動の全国化を目指す「全国町並み保存連盟」佐原・成田大会への参加およびそこにおける羽澤ガーデンの保全と文化財指定を求める決議等を踏まえ、これらを記念しつつ、さらに羽澤ガーデンの意義を広め、深めるため、国際文化会館岩崎小弥太記念ホールにおいて「坂路の雲」というタイトルで特別フォーラムを行った。
定員約200名の会場はほぼ満席となり、西和夫(東京都文化審議会会長、神奈川大学教授)、小早川光郎(東京大学教授)、木原啓吉(日本ナショナルトラスト協会名誉会長)等、文化と環境の領域に見識を持つ多くの人々が参加した。朝日新聞も報道したが、その様子は甲150各号証のとおりである。
羽澤ガーデンの存在とそれが現在に問いかける重大性を認識する舞台を創り出した点において、意義のあるものであった。特にこのフォーラムの意義は、このステートメント(甲150の4)に集約されている。ここには、フォーラムのタイトルについて司馬遼太郎の「坂の上の雲」をパロディ化した由縁と近代史を見直し洗い直す大きな手掛かりを中村是公と漱石の交友が与え続けていること、しかもその文化的意義は江戸から現在の東京に及ぶ時空の広がりを持ち、万葉に連なり、昨年10月1日の埋め立ての差し止めを勝ち取った鞆の浦と相通じるところがあり、東京と地方文化のそれぞれの代表が手を結び交流する流れをつくりだしたこと等の意義が簡潔に記されている。
特に第一部、第二部の「坂路の雲」に直接触れる部分では、経営と芸術という2つの難行を極めた辻井喬氏は、「司馬遼太郎の『坂の上の雲』が本年11月よりNHKにより長期放映され、マスコミの特集が続けられている。ここに表現されている司馬史観を批判的に検討することが不可欠の作業である。司馬本人が軍国主義を鼓吹しているかのように誤解されると映像化を拒否していた作品を今ごろ放映することは理解できない」との問題提起を行った。
これを受けて半藤一利氏が「明治時代を良い時代だとする誤解が広がっている」ことへの懸念を表明されながら、日露戦争を日本の勝利と考えてはならないと釘を差される等、新しい視点が提起された。さらに是公の孫有馬冨美子氏、漱石の孫半藤末利子氏から両者の関係等が具体的に語られて、議論はリアルなものになったのである。
また、鞆の浦の住民代表が駆け付け、共闘が成立したことは今後を考えれば画期的であることはいうまでもない。
なお、このフォーラムは全てDVDに記録されており、近々提出する予定である。
2 文部科学省の官僚と東京都、渋谷区の本件における動向
「守る会」事務局担当理事斎藤驍(本件訴訟代理人)は、昨年6月、衆議院議員会館事務所において元文部大臣小杉隆氏(自民党)と面会し、羽澤ガーデンの重要文化財指定に対する協力を要請した。同氏は快諾し、早速文化庁の動向を調査された。そのことに対する文化庁の調査官、審議官等の対応を記したものが甲155号証である。
すなわち、「現況は不明」であるとしながらも、「結婚式場として利用されていた際に建物が著しく改装されたと聞いており、文化的価値評価は困難な状況と考えられる。なお、平成18年度から20年度にかけて行われた東京都近代和風建築調査においては、1次調査リストには掲載されているが、その後の2次調査、3次調査の対象とはなっていない」と、あたかも羽澤ガーデンの文化的価値が失われているかのように同議員に文書で説明したのである。
この内容を見れば、渋谷区長や鞄山等の開発事業者の弁明と同じものであることが分かる。
しかも、既に提出済みの東京都の上記調査において平成18年(閉鎖の翌年)、渋谷区が羽澤ガーデンを屈指の和風建築物として推挙(第一次調査は地元自治体の推挙によるものとされている)していたにもかかわらず、第二次調査において東京都が羽澤ガーデンをあえて外し、この虚偽の情報を文化庁に流していたことがよく分かるのである。
いずれも、羽澤ガーデンの開発を進めるための姑息な手段であった。
しかし問題なのは、本来文化財を擁護しなければならない文化庁の役人が、東京都らの情報が事実であるかどうか何ら吟味せず、というよりも、虚偽の疑いがあることを充分知りながら、この情報を元文部大臣の議員に本物らしく提供していることである。
さらに、重要文化財の指定をうけるには、「あくまでも所有者の同意が必要」と釘を差していることである。幸い、小杉氏は直ちに以上の話と文書の写しをファックスしてくれたため、同氏は誤解をしないで済んだが、法律に疎い議員ならばミスリードされる危険は大きく、現にその例は枚挙にいとまがない。
この事実を踏まえた上で「守る会」や我々は文部科学省と交渉のスタンスを選択してきたと本訴においても東京都に対して上記調査における羽澤ガーデンの殊更な排除について追及してきたが、今に至るも釈明しない。
これを原告適格の問題として正当化したいのであろうが、本件開発許可、これと連動し東京都が権限を有する建築確認の悪質な違法性、ある意味で核心に迫る不正を黙して語らないということは到底許されるところではない。
このように、官側は中央・地方を問わず少なくとも本件において悪質な連携プレイで違法な開発、文化財破壊を画策して、政権交代による「官治から法治へ」の流れに抵抗している。「重要文化財の指定には所有者の同意を要しない」というのは、従前から文化庁すら公式の文献で確認している程、公法学界や判例の通説である。
それを長年にわたって歪曲し、文化財行政の頽廃を許した官と政治の責任は重い。これをたださなければ、文化行政は無法なものとなりかねない。
そこで昨年10月、文部科学大臣川端達夫氏に約束し、その杞憂をうち払うため、公法学界における文化法の第一人者である椎名慎太郎氏ら代表的学者と文化と環境の実務に従事している全国の弁護士が連署して「同意は指定の要件ではなく、従前の運用を改めるべきである」とする意見書(甲154)を本年2月1日、同大臣側に手交し、説明した。
本件において官の抵抗と渋谷区、東京都の言動は相呼応して続いていたが、いつまでも続けられるものではない。事実と道理を尊重すれば、自ら事は解決するのである。
第二 重要文化財の決定的確証――森美恵子氏の記録
1 1946年(昭和21年)以来60年間、羽澤ガーデンの創業者村上幾野(株式会社日山の創業者村上禎一の妻)を支え、後には女将として料亭の采配を振るった森美恵子(本名森美枝子)氏が心血を注いで書き上げた羽澤ガーデンの記録が「羽澤ガーデン六十年史 楓の記」(甲152号証)である。
同氏は、村上(旧姓森)幾野の姪であるが、17歳頃より禎一・幾野夫妻より娘のように育てられているから、村上夫妻の人柄や意向は誰よりもよく承知している。中村是公より後宮(うしろく)信太郎を経て村上家にわたり、「羽澤ガーデン」と命名されて以来の60年の歴史を熟知している人は、現在この人をおいてはいない。土地建物の所有名義こそ株式会社日山になっているものの、実際に羽澤ガーデンを管理運営していた者は株式会社羽澤ガーデンであり、これすなわち森美恵子だといって過言ではない。従って、森氏が所蔵していた写真等の資料と記憶は、第一級の史料として特別な意義を持っている。本書は2009年6月に出版され、同年11月27日には関係者による出版記念会が渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで行われた。
そして大切なことは、従前我々が主張してきた羽澤ガーデンの文化財としての意義をすべて裏付けているばかりでなく、さらなる事実も写真等を添えて記述されていることである。従って、羽澤ガーデンは團琢磨(三井財閥の総帥)、青山女学院(メソジスト監督教会)を先例として、中村是公、夏目漱石等、近代史の貴重かつ稀少な舞台であるばかりでなく、第二次大戦の敗北から今に至る現代史においても、それに匹敵する位置を有している。換言すれば、かけがえのない文化財であることが実証されているのである。その代表的なものをいくつか指摘しておく。
2 第一は、1946年(昭和21年)以来約数年間、外務省を介して、GHQの指示により、「社団法人文化協会羽澤ガーデン」として、GHQのマッカーサー元帥、マーカット少将等の要人の妻女のため、日本舞踊、琴、三味線等、日本文化のカルチャーセンターとしての役割を果たしていたことは従前述べたところではあるが、本書によれば、これに加えて連合軍の各国大使館の外交官の妻女も含まれているという。
そしてその妻女達の写真やGHQの関係者の写真も添えられている。このようなことが出来たのは、大正建築の粋をこらした中村是公の建物と庭が存在していたことによることはいうまでもない。
日本文化を占領軍に伝えたところはもとより他にもあろうが、数年間定期的にGHQの要人の妻女等が日本文化を習得した場所で、現在判明しているのは、羽澤ガーデンだけなのである。
中村是公、漱石の時代は、中国、朝鮮、台湾そしてイギリス等のヨーロッパと羽澤ガーデンはつながりを持っていたが、第二次大戦後もこのカルチャーセンター、これに引き続く料亭(昭和20年)の少なくとも初期の時代まで、連合軍の外国人に対し日本文化の発信を続けていたこと、従って、すぐれて国際的な存在であったことが明確に記述されている。
2 第二は、羽澤ガーデンには知名の士が多数訪れていたことはすでに述べた。政官財から芸術家、さらに囲碁・将棋等とそのすそ野は極めて広い。このことも本書は具体的に明確にしている。
新たに特筆すべきは、現在の鳩山首相の祖父鳩山一郎以下、池田勇人、大平正芳等、歴代の総理大臣が訪れていることである。しかも、単なる飲食を目的としたものではない。「多くの総理、総裁には、閣僚との重要な会合の場としてお使い頂いた」(48頁)と記されているように、政治的な会合の場とされていたのである。
そうすると、官僚も訪れていたことになる。事実、大蔵省等が多用しており、「まるで夜の霞ヶ関」(62頁)と記述されている。このことは、戦後政治史等において、羽澤ガーデンがいかに大きな役割を果たしたかを示すものであり、この点においても、その歴史的意義は極めて大きい。
森氏はもとより政治家だけでも全ての人を明らかにしている訳ではない。与党の政治家のみならず、野党の政治家もいたであろう。関係する財界等の人物の存在も当然想定され、調査が進めば、羽澤ガーデンが戦後史に果たしたネットワークの大きさはさらに明らかになるであろうが、そこまで行かなくとも、本書の記述だけでその大きさが充分把握出来るのである。
3 第三は、羽澤ガーデンの建築物の価値に関する記述である。
「棟梁たちをうならせた建物の造作 最初に壁の手入れを行った折、仕事中の職人の姿が見えなくなった。不思議に思っていると、突然立派な半纏を着た大勢の男衆が現れた。・・・どうしたと棟梁に聞くと、壁の造作が余りにも良く出来ていて、他ではもう見られないだろうから、都内の棟梁達にも見せておこうと思い・・・声をかけたとのこと・・・細組上のスス竹で網代が出来ており、それを細々と組んだうえに壁土を一へらづつ塗ってある。それも寒冷紗(目が粗く極めて薄い平織りの綿布、麻布)を使い、その上から塗ってあるのだと。外見では分からないが最高の手入れが施された貴重な造作であるという。夏は涼しく冬は暖かく過ごすことが出来る・・・棟梁達はさらに天井に上ったり床下に潜ったりする度に感心していた。・・・このような建材と工夫を方々にこらしてあるから、あの関東大震災にもびくともしなかったのであろう。揺れによってむしろ全体が引き締まった感じさえする。」(36頁)
付言する必要はあるまい。村松貞次郎教授は、大正期は和風建築の黄金時代であると指摘されているが、その時代の最高の作品のひとつがこの羽澤ガーデンであり、このような建物は現在ほとんど残されていない。建物が老朽化して文化的価値が無くなったと言いたいのであれば、自ら進んで公開すべきことはいうまでもないところである。
4 本書には、文化財としての羽澤ガーデンの意義について、庭をはじめとしてなお多くのことが記されているが、今回は割愛する。ただ、羽澤ガーデンがかけがえのない重要文化財であることを本書が決定的に確証していることは、疑いを容れないところである。
第三 開発許可申請の違法性
かかるかけがえのない文化財である羽澤ガーデンの建物と庭を破壊してマンション開発の許可を申請することは、文化財保護法の趣旨に真っ向から反するものであるばかりでなく、都市計画法の理念を全く没却するものであるから、許可申請そのものが甚だしい権利の濫用であって、到底許されないところである。しかも「守る会」が文部科学大臣と会見する等して、識者から重要文化財指定の声が大きく上がっているだけに、なおさらである。
以上

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