改めて林住期からのデザイン  林とこころ

古代インドの男の人生の区分「四住期」が世間離れしていながら、

かねてから興味深いと思っていました。五木寛之氏が「林住期」という本でも、

軽く書いていたものです。師につい(バラモン教の聖典を学ぶという「学生期」、

自立して一家の主としての「家住期」、孫の生まれるころすべてを捨てて

森に棲む「林住期」、これは自然と向き合って自分を見つめ直すらしい。

そして最後の「遊行期」は執着を捨て解脱に向かえ、と教える。人生80年時代の

わたしの今を当てはめれば、長い林住期から遊行期に移行するあたりか。

このごろ、自分の人生後半のデザインをどうするか、つらつら考えていたところ、

このものさしがやや無責任ながら羅針盤になると思えてきた。で、風土と歴史などに

もっと深く付き合いたいという願望が素直ににじみ出てきた。そしてその延長に

やはり薪のある暮らしが浮かんできた。山小屋だけでの実践にとどめてきたのは、

広葉樹保育のボランティアでもあるため、他人には提供するが実は自らには封印

しておく必要があったからだ。そうしないと、お手盛りの、薪欲しさの活動に

受け止められかねない。

しかし積極的な解決方法も思い当たるから、この際、この封印を解こうという

気になってきた。こうなるとまた、目の前が開けてきて新しい世界が見えて

くるから不思議だ。林住期から遊行期に移るころ、自分で手掛けた薪を焚いて、

その炎を眺めながら解脱し、恍惚となっていくのでありましょうか。なんと、

世俗的な願望であることか。

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タグ:  雑木林 暮らし

ポリティカル・コレクトネス  林とこころ

もう昔の話になりますが、「カメラマン」が男女差別に当たるとして

「フォトグラファー」に代りました。私たちにはほとんど無縁の趣の

あるこれは、米国でクリスマスという表現がキリスト教以外の宗派への

配慮で使えなくなったり、近年では性同一性障碍者のためにトイレの

男女区別をなくすなどという極端さに現れてきているらしい。

日本でも、人権、民族差別につながりそうな言葉は表向きに使いにくい

ものになってきつつある。


しかし、どうだろう。今回のトランプ騒ぎの発端の言動の背景には、

米国民の多くがこれらP・Cの跋扈する窮屈さに心底うんざり、どころか

内心猛反発しているのも背景のようだ。そんな構図が見えている。

グローバリエーションなど糞くらえ、難民は受け入れより内国民重視だ・・。

ネットで広がる新たな帝国主義・マルチチュードの概念を垣間見たり

するにつけ、グローバリゼーションの功罪の罪の方を強く意識する。

また、背後の存在を見極めるのも重要だ。心情的には内向きに親近感が強い。

激動の振幅が増す世界。歴史を振り返りつつ、内と外を注視しなければ。




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わたし流「風水と風土」  林とこころ

モノや場所には「気」があることを感じ取るようになってから、

「風土」というものと、実践的、あるいは実証的に付き合ってきたかも

しれません。風土はそれほど包括的な概念で、わたしにとっては生き物の

名前や分類を超越する上位概念になってきました。

このところ、古い日本の「風土記の世界」(三浦佑之著)と「風土学ことはじめ」

(谷川健一編 雄山閣出版,)を読んでいたら、目の覚めるような

仮説に遭遇しました。風土という言葉は、中国の風水の「水」が、

ありふれた日本においては「土」と解するのが良かろうと、つまりはほぼ同意だ、

というのです。



びっくりしました。そしてもうひとつ自然条件との付き合いでの、

AJUSTMENT について。同じアジャストメントでも

日本的な方法は「適応」で、自然に逆らわずいくもの。

もう一つは「対応」。これは開発の時などの「 control 」を含むのだという。

なるほど、こういう整理は本当にありがたい。


ちなみに、わたしはほぼ「適応」ばかり、かと。

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言葉のちから  林とこころ

身の回りの猥雑なものを排除して身ぎれいに整えると、心地よい空間が生まれ、

維持すれば、続く。言葉も、良いものを使い丁寧な言葉選びを心がけると、

内側から精進へ向かうようなチカラがあって、人生は変わっていく。

シャワーのように善良なメッセージを浴び続けると、私のような単純な人間は

天にも登る気がしてくる。7月、宮島の厳島神社でいただいた御御籤(おみくじ)

はまさにそれに近い。そのまま素直に心にとめて過ごしてもうすぐ明ける。


===白檮宮兆(かしはらのみやのちょう 大吉) 40===

これは末の子に生れても、そうりょうのやくを務むるうらかたにて、

上たる人は国を治め、下々の者は家をおさめ、すたれたるを起し、

絶えたるをつぎすえずえ栄ゆ、労して功あり、

めでたきことも数々。(略) 思うこと、願うこと、かなわずと言うことなし、

よき種をまきて豊年にあえるがごとし。

=============================


わたしは末っ子なのでまず冒頭の一言に注目。そして「下々の者」は

家をしっかりと保ち、下火になって衰えていくのを立て直して栄えさせる

という。それが無駄に終わらないと励ます。積極心の奨励だ。

これは当HPにおいでくださったみなさまにお贈りしたいほど普遍的な

意味がある。

胸膨らむメッセージというのが確かにある。
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タグ: 宮島 積極心

開墾の日々  土地の魂


森々と雪が降る北大構内。前後に聞こえる声は若いアジアの人たちのもの。

こうして北大という構造の中で見る雪景色はちょっとした冬を体験する

舞台装置になっている。異国の人はそれが格好の観光になっているようだ。

彼らが博物館に入ったので私も久々なので入ってみたら、幸運なことに

一角で坂本直行さんのスケッチブック展が開催中だった。観光客はここには

誰もおらず独占状態となり、下野塚の開墾生活に思いをはせた。

縦横が3間と4間程度の掘立小屋で、奥さんによると背筋が寒くなるような

貧しい暮らしをしたと語られていた。その寒さ、雪、はかどらない開墾。

人生の展望をどう立ててきたのか。

しかし残されている写真は、サムライのような凛とした姿勢がみえ、

山仲間を中心とした友人知人の来訪と交友も支えになったようにみえるが、

逆に来訪者が直行さんの原野生活に励まされたのではないかと感じた。

驚いたのは日高の山を描いた数枚の淡彩画スケッチ。数十年前に私が描いたポロシリ岳や

アポイ岳のイメージととても似ている。私はきっとそれほど入れ込んで直行さんの

筆致を真似たいと思っていたのも事実だった。それとも山で急いで大きく描くと

こうなるのか。きっと両方だろう。

23日、苫小牧も前夜からの大雪のあと雨が降った。山仕事のテントが

またもやつぶれそうになった。http://hayashi-kokoro.com/





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自伐型林業  林とこころ

高知県で産声を上げた「自伐型林業」、いよいよ北海道でも名前が

使われるようになりそうだ。協議会が設立されたようだ。


自伐林家という呼び名の方はもともとあって使われていたから、

それと何が違うかと言えば、既存の森林組合や委託の仕組みに依存せず、

むしろ批判的な立場で取り組むあたりか。



当たり前の話だから何が変なの?と聞かれそうだが、かつては自ら林業を

するという行為は下火だった。しかし、地方創生の声の前後に、

地域資源を見直した時に、塩漬けされている地域の宝は森だと

いう、これまた当たり前の結論になった(のだと思う)。



多額の資本投資はせずに林を地域経済に役立て、環境保全と

雇用と修景に寄与するスモールビジネス的林業はわたしたちにも

一部共通する当たり前の活動だと思うし、道内各地のそのような

活動がメジャーに取り上げられなかったことの方が不思議だ。



その隙間に視点を与えネットワーク化し賛同者を集めてきたN氏の

足取りをわたしは遠くから見てきた。成否も妥当さもよくわからないが、

確かに賛同者は東北まで来ていて、このたび本格化する旗揚げのイベントが

あったのだ。



林は、立地も取り組む人も多様でどこも特殊事例だ。

それをつなげる名前のようでもある。

つなげていけば政治的な声にもなるが、ひょっとしてそこがねらい

かもしれない。



わたしはコモンズ的な林業はこれと分けておこうと思う。あくまでせいぜい

セカンドビジネスでしかないし、元来、保全緑地や保安林など制限林で行う

林業だからだ。ただもっとエリアを拡大的にする選択肢もあることは自覚している。

その踏ん切りはなかなかつかない。
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鹿追で見る実現した「未来」  林とこころ

一昨日は鹿追町の役場で地方創生の取り組みをお聞きしました。

そのあと、牛の糞尿からバイオマスによって無臭化するプラントを見学。

発生する熱をマンゴーなどハウス栽培(写真上)とチョウザメ養殖に利用し、

残りのメタンで水素を作って水素ステーションを建設中でした。

市街地を酪農が取り囲んでいてどこから風が吹いても匂うという環境を改善しようと

したのが動機のようでした。確かにある時期、牧場に撒く牛の糞尿のにおいは、かなり

ガツンときます。深刻です。


で、種々、素晴らしい循環でした。経済もアクティブに動きます。若い人も女性も

のびのびと日常を送るさまが目に浮かぶ。また、若者がイベントをしたり

アイデアを語り合うピュアモルトクラブという素敵な木造施設(写真下・5億円)

が用意され、ヨソものも住みたくなるような場にはよだれが出ました。

近年、北欧などで創られてきたフューチャーセンターに当たるものだと思います。



理想をアイデアし、実現しよう・・・。こんなところに住みたいと思わせる

取り組みが現実にあることは心強い。夢を現実にする姿に触れることができたのは

今年の大きなできごとであり、収穫。


ちなみに私の勤める財団の研究所の公益事業で、でこの鹿追の高校生など全道の

高校生1755人にアンケートして集計し分析して

考察した「若者の地域志向とソーシャル・キャピタル」が出ました。

http://nakanishi-shuppan.co.jp

先日役場を訪問した折、一冊持参したところ、吉田町長はすでに所用の部分を

読んでおられ、この町の子供たちが、「大人になったらこの町に恩返しをしたい」

と述べているのをみて感激した、と言っていました。黒子として編集に関わってきた

ものとしては大変うれしい話であり、また大いに励まされたところです。


*画像はピュアモルトクラブの内部。

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若者が森をめざす  林とこころ

建築家でアーティスト、してまた自らはフリーの木こりと呼ぶJさんが

「この頃の若者が森を買いたがっている」、という。

自然派に限ったこととは思うが、森ガールなどという言葉も聞いて久しい。

住友林業の「森人」などという番組も森林をちょっと魅力的に描いている。

いや、そこで働いている人を美しく描いている、といってもいい。

全国に目を移せば、自治体の所有林に都会から若い地域おこし協力隊を招いて

林業を展開するところも多い。

先日のローカル・ベンチャー・スクールつまり、地域起業塾も農業や林業など

一次産業で、工夫して仕事をおこそう、と若者に語り掛けている。

そこに集まっている若者の半分以上は、なんと女性だった。


ひょっとして、ゆっくり、本当の森や林の時代がくるのだろうか。

いや、今こそ来させたいものだ。

わたしたちも新しい時代に向けてもっと研鑽する余地が残っていると思う。

*ホームページのアドレスが変更になります。
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先達の時代読み  林とこころ

日本も世界も連日大きなニュースが駆け巡る。

日常的なテロ、政治的・武力的緊張、EU離脱、移民問題、中国の南シナ海に

おける軍事基地化と覇道、尖閣へのじわじわとした接近、そのかたやに

天皇の生前退位のお気持ち公表があり、オリンピックや高校野球もある。

先日は都知事選で政党と国民の顔が見えた。



評論家の日下公人氏は、一昨年、終戦70年にしていよいよ、日本の時代が

やってきたという意味の本を書き、その豊富な事例と分析に触れ、

なるほどと思った。今年2月、「こうして、2016年、日本の時代が

本格的に始まった!」を出した。比較文化史家・平川祐弘氏はこれまでの

世界にまたぐ経験から「日本にうまれて、まあよかった」や「日本の正論」

を出した。二人の縦横の時事評論と展望は目から鱗の思いで読んだ。



一方、文芸春秋の9月号で、石原慎太郎氏は移民受け入れについて肯定的な

意見を述べていて驚いた。まさか!である。

しかし論を読み込むと、日本が移民を受け入れても、腹黒い欧米のような

怨恨を生まず、和合して、移民たちが地域に溶け込んでコミュニティの祭りに

喜んで参加するような状態になる、という。この視点は、前2者の日本人観と

共通するものがある。そして世界における日本の位置と役割を彷彿とさせる。

日下氏は、日本はすでにその道を歩いている、というものだ。だから、周りが

振り向いて寄ってくる、と。



仏陀とキリストが時代を超えて日本にやってきて、立川で共同生活をする漫画

「聖(セイント)おにいさん」が世界的に読まれていることが示すように、

日本人は年末の一週間にキリストの儀式と仏教、神道の3つの宗教行事を

渡り歩く民族だ。宗教にこだわりがなく、仲良くやるのがモットーだ。

嘘はつかないで、他人には親切にするのが身についている。工夫する技術も

優れている。



80歳を超えた碩学たちの時代の読み方は、世界から見て独特の道を歩んできた

日本、そして歩むだろう日本を描き出していて大変興味深い。

なにか、ぼんやりとした文章になった。しかしオリンピックの戦い方にも

すでにその一端がぼんやりと顔をだしているようだ。そうみると、確かに

時代なんてものは凡人にはいつもぼんやりにしか見えないものだ、という気がする。

先達の時代読みから目が離せない。



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ハスカップは海から来た  林とこころ

5月末から細々とハスカップのフィールドに足を運んでいると、湿原や原野は土地の履歴の

においがプンプンする分だけ、土地からのメッセージが聞こえるように思う。

平坦な原野にも実は細かい起伏があり、小さなエリアだが植生が違うことも多い。

湿原は特に水位が数10センチ違うだけで植生が変わる。だから苫東の自然環境調査で

北大の故・伊藤浩司名誉教授は「ミズナラ・コナラ・ハンノキ林」を特に位置づけた。

現地は水平距離1000mで高さ1mの勾配の、途中に出てくる植生。

で、原野がわたしにささやくのだ。

「ハスカップは鳥が運んだりはしない。海流が砂やごみと一緒に東(釧路など)の

方から長い時間、(ひょっとして)1万年近くかけてやってきたのだ」。


原野を歩きながら、その声から表題のような仮説を立てていくのは我ながら身震いがする。




*図は「特産のくだもの ハスカップ、スグリ、キイチゴ」1996社団日本果樹種苗協会編クリックすると元のサイズで表示します
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代替展望  林とこころ

この広場の、このアングルは、林を展望する展望台の代替スポットではないかと

思い始める。通常、素敵なスポットは俯瞰する展望台が定番だが、あいにくここには

平地のためそれがない。それがあれば、いかにここが安息の場かがよりはっきり意識されるが、

平地は、見通しの良い遠望がこれに代わるのではないか。幸いここには緑の広場が

あった。先代所有者が身体をこわすほど難儀して開拓した畑地あとだ。

今朝、瞑想時にひらめいたこのアイデアを、今日は一日反芻してみていた。

緑はどんどん濃くなっていく。


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断捨離  林とこころ

この連休は、人生のクライマックスともいう「林住期」に向けて、特に書籍と書類を

対象にかつてない果敢な断捨離を行った。今日はその2日目。

溜めに溜めてきた品々を見納めしながら、自分が半世紀近くこだわってきたことの軌跡を

たどることとなった。

「やはり、これだったんだ」。思い切った断捨離ができたのは、この歳になって初めて

こだわりの現役時代は終わったという自覚があるのと、

これからの自分の残された役割みたいなものが、少しみえてきたから。

今後の伸び代の期待分、捨てられるわけ。植物図鑑や専門書のほとんどと、

さよなら。



捨ててしまったものは植物図鑑に代表されるかもしれない。残したものは、

生き物たちとヒトのつながりに関するもの。やや、スピリチャルなものになる。

そして山、フライフィッシング、薪、ヨガ・瞑想・仏教、日本の歴史に関するもの、

恩師から頂いたもの、など。貫いていたキーワードは「森林美学」だったような

気がする。



これも一段落。64歳7か月目の断捨離。かくも記念すべき行いになるとは

思ってもみなかった。                  合掌
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バリ島の余韻  社会

4/1の夕方、インドネシアから苫小牧に戻りました。
インドネシアの印象は冥想したい場所が随所にあり、特にバリ島はヒンズーの人々が
神々と先祖に祈りをささげつつ生きているところ、という感じでした。

食事もおいしく、異国情緒大。日本が太平洋戦争を戦った命綱の資源の多くはインドネシアにあったこと、天皇陛下が昨年慰霊に行かれたパラオなどのカロリン諸島がその経路にあることなどを思い起こすと感慨もひとしおでした。

また初めて本物のスコールを体験しました。毎日です。インドネシアのジョグジャカルタやバリは南半球なので3月まで雨季。朝は晴れ、午後から数回スコールというリズムでした。

棚田の水管理システム「スバック」がコモンズとして世界遺産になっており、これも単に眺めただけですがいい見分になりました。

パワースポットを地で行く感じと人々の祈りの感覚。やはり大きな余韻が残ります。

(写真はジョグジャカルタのシェラトンホテル。豪華な庭は植民地時代の贅もかくなるものかと想像させた。パティオと外部との境界には、確か off security(ここから先は安全は保証しない?)というような警告板がたててあった。gated community である)

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わたしのソウルフード  土地の魂


映画「かもめ食堂」で主人公役の小林聡美が「だっておにぎりは日本人のソウルフードでしょ」と語ったのを印象深く思っている人は割と多い。

わたしは時々、ハスカップの塩漬けを真ん中に入れたおにぎりを、自分で作ったり作ってもらったり、買って食べたりしていますが、ハスカップのおにぎりは、どうも勇払原野のそばに長く住んでいる人にとっての、まがいのないソウルフードではないかと思っています。

なんというか、ハスカップは毎年待ち望んで食する人だけの「文化」に昇格していて、そのシンプルさと味に感動するのであります。そしてそれを感じる人々の間の静かな人気。

今日の昼は家内に作ってもらったそれを一個、楚々と食しました。

2月20日のハスカップを語る座談会記録(苫小牧民報)がとてもよくまとまっていて、読みながらつい、ソウルフードのことを書きたくなりました。

http://seinen-kishukusha.com/280310zadan-tomamin.pdf



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アイヌの人の世界観  林とこころ

広報誌「開発こうほう」の連載記事で、「子供たちと担うアイヌ文化」を
読みました。阿寒の郷右近富貴子さんがインタビューに答えたもの。
http://www.hkk.or.jp/kouhou/file/no631_series-ainu.pdf

これが不思議なトーンで、数少ない私のアイヌの人との対面に
共通する、あるものを感じます。それは、他者との関係性への
尊崇と、世界観みたいなもの。

関係性の尊崇というのは、なんというのか、謙虚さみたいなもの、
アイヌの人がいう「オリパク」みたいなもの。そして限りなくやさしい。

something great につながっているという世界観も、私などにやってくる
小悟はすぐマヒしてしまうはかないものですが、彼らはどうも
生まれつき備わっているような気がします。


郷右近さんは、アイヌ文化を発信することの心構えを聞かれて
こんな風に答えています。

=====

「なんだろう、難しいね。発信・・・、やっぱり丁寧に、謙虚になることかな。謙虚さってすごく大事だなと思う。なんだかどこかで、もしかしたらアイヌということが得と感じていないか。今、特にオリンピックとかで。しかも、国や道は、”アイヌ、アイヌ”とこの頃ちやほやしている気もするんだけど。何かあるごとにアイヌ文化を持ち出して、アイヌであることが偉いことのように勘違いしがちな部分もあるかなと思っています。・・」

====


平易な言葉選びの中に、意外に真実が自律的に語られているような
気がしてアンダーラインをひきましたが、それがなになのか、自分でも
よく理由がわかりません。(^_^)v


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