道東にて「安全」と「快適さ」思う  林とこころ

釧路への用務で釧路湿原の内外を車で移動している間に、目の前の湿原や樹林地、

やや放置されたような沿道植生はどう一言でまとめたらいいのだろう、そう思って

いると頭に浮かんだのが、「辺境」でした。


文明から一見取り残され、植生が適材適所に生育するところ。木は風と霧によって

こじれてもいるし、ブッシュにもなっていて、うら寂しく映る原野や、

水位が高くて踏み込めないようなところも多々。そこには道路などのインフラは

なく当然必要のない、いわゆる遊休地。殺伐とした風景は、どこか北方領土や

サハリンを連想させる。そこは今の日本人が住みたい土地には見えない・・。


それは自然度が高いという方もいますけれど、自然との共生など御免だと

放言している当方がもう少し別の言い方で極論をすると、そこには「安全さ」

と「快適さ」がない・・・。北海道の「辺境」には、雪に閉じ込められたら

ライフラインが寸断されるところも少なからずあり、不快昆虫を含む野生動物

と一体である。


では安全と快適さはではどこにあるのかというと、それは都市、都会、

あるいはマチ。ヨーロッパが城郭都市をつくった時のような堅牢な境界こそ

ないけれども、そこには不快なもの、危険なものを排斥した究極がそろう・・・。


釧路で行われたフォーラムをサポートし、そこで語られた東京一極集中と

人口減少対策の議論を聞きながら、わたしはそんなことを考えていた。

そしてその「安全さ」と「快適さ」に最も敏感なのは誰か。それは女性で

ある、と。だから20代、30代の女性は東京に吸い込まれていく、そしてますます

出生率は地方も東京も下がり、人口は激減を続ける。では、どうするのか・・・。


地方創生はそこの哲学にただりつく前に、いつも行く道=「地域おこし」に

ダウンしてしまった。社会基盤を大きく変えていく施策と同時に、遠回りでも

風土へのまなざしと哲学を外してはいけないと思うのに、それを引き受けて

くれている人がほとんどいない。

(画像は、釧路湿原とその界隈)

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タグ: 辺境 風景 快適さ

共生社会 日本  林とこころ

この半年余りの投稿の隙間にあったことは何かと思い出してみると、SNSからの

ほぼ完全撤退だったと言えます。ある小さな地域SNSの管理者だったことも

あって、mixi facebook twitter のメインストリームのほかに、各地のSNSにも

参加していたのが、ほぼ全面撤退して、かろうじてtwitterを良く閲覧している状況。


そもそも発信することとは何なのか、というあたりからして怪しくなって関係を切って

いるとさえいえます。俗に「つながり」といいますが、それはもうどうでもいいことで、

己のミッションのようなものにもっと絞り込んでいこうという考えに傾斜して

いるのでしょう。


冥想もやや深くなり、他人の評価に右顧左眄することなく、荘子のあの

「オクラズ ムカエズ・・・」の言葉が妙にしっくりする。そういう中でも

究極の関心事として浮かび上がってくることが3つ。


@苫東のヒグマ

いよいよ、ヒグマのコリドーが狭められています。それも工場が立地して空間が

ふさがれるということではなく、広大なネットフェンスが往来を阻んでいる。

一方、有人の、ある工場は外周のフェンスがないオープンスペースで、ヒグマは

以前から歩いてきたように芝生の敷地を横断しているようです。



人は今後、どう対処するのか、そしてヒグマはどう動くのか。緑地計画を変更して

コリドーを緑地にしてしまう方法は採れないか・・わたしの密かなが願望で

もあります。苫東の勇払原野は人たちのコモンズであったばかりでなく、

ヒグマやシカなど、大型哺乳動物、それから渡り鳥たちとの共有する

コモンズだったとこれほど痛感したことはありませんでした。


(写真は今年6月の足跡@静川と苫小牧市の出牧情報)


A樹木の再生する力と方法

雑木林状態をどのように継続的に維持するかは、目下の命題で、NPO活動も

そこに焦点を当てつつ、美しく人々も利用する場づくりを目指してきました。

雑木林の維持を念頭に置いて個人的に試行錯誤をしてきた結果、苫東の勇払原野は

どのようにしても樹木で覆われること、更新する樹種の違いと早い遅いの違いは

あっても基本は何らかの方法で次世代は引き継がれる、と考えるようになりました。


これは数十年に及ぶ苫東の日頃の定点観測の結果たどり着いた静かな見方ですが、

6月から伐採跡地の更新状況を調べるよう頼まれて観察しての結果でもあります。

大木になると萌芽力が弱くなって更新する度合いはどんと落ちますが、

実生がしっかりカバーしています。実生がなければシラカバなどが交代しています。


切っても決して裸地や砂漠に成ったりはしない。その風土の懐の深さには

改めて驚きます。有史以来、あるいは海が引いて陸地になって以来、

度重なる火山噴出物に覆われながらも植生が復元してきた勇払原野という

立地環境。貧栄養で物は育ちにくいここでも、ずいぶんと意外な取り柄が

あるものです。感謝、合掌


B林とこころ

昼休みに voice of America  を聞いていたら、キャンプが心身にとてもいい、

といっていました。公園の散策など一時的なものでなく、もっともっと長時間・・。

なるほど、それはそうかもしれない。10代の後半から30代前半まで、おびただしい

時間を、山や森で暮らした身で癒しの真っ只中のはずでしたが、その反面で将来に

対する不安で、決して心穏やかではない日々だったことも事実でした。


 パニック症になった40代前半のころから、林の意外な治癒力に気づき森林療法的な

林の恵みに関心をもって、挙句、「林とこころ」という本を出したのもつい

忘れていました。そうなんです、理想はもっと緑のそばにいるべきなのです。



それは治癒効果も期待できるのでしょうが、大事なことは自己内観、自分との

対話ではないでしょうか。この延長上に自分とは仮の姿で本当の自分(真我)が

神性をもってそばにいることを知る、それが林におけるもっとも大きな恩恵

だったような気がします。


それが加齢とともに行動範囲が小さくなり、運動能力も落ちてくるので、

エアコンの効いた建物の中から眺めるのでもいい、とまで思うようになります。

あるいは、最近のわたしのように、頑張って手に入れた薪という自然からの

産物を愛でるだけでも十分だと思えるのも、たしかなつきあい方でしょう。




今いるこの場と時間が、人間だけのものではないこと、土地や環境は本来、

共有されるべきものであり、かりそめに貸してもらっている、という認識のほうが

どうやら正しいようだというのも、人々はなんとなく気づいてきたのでは

ないでしょうか。








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地域活動の後継者はいるのか  林とこころ

地域活動をしているNPOなどの団体にはよくアンケートが来て、レポートもいただきます。

そこにはしばしば、活動の悩みは何かという項目があり、答えとして「後継者がいない」

「活動資金が足りない」とするものが少なくありません。


苫東コモンズも後継者などは期待できませんが、所詮、継続する運命にはないと

割り切ってきました。立ち上げに2年をかけたころは、一人でしたし、高齢化して

徐々に前線から離脱するようになれば、いずれまた一人になりその前に活動は閉じる

かもしれません。あるいは一人で死ぬまでやっている可能性もゼロではありません。


気を楽にして来たのは、必要性を肌で感じ活動の動機がある人が自分で起こせば

よい、と思ってきたからです。最もやるべきで、やりやすい地点に立つ人が動けば

よいだけですが、仕組みができて共有されていないと、その人がいなくなった途端、

機能不全になるのは世の常。


それもまたごく自然の流れ。となれば、随流去(ずいりゅうこ)、流れに身を任せる

のが得策です。で、その前に一石を投じておくことがもしあるとすれば、地域モデル

になることです。地域モデルとは、誰からも中身が見え、賛同する人が多い

わかりやすい活動組織のこと。それは、ミッションが確然としていて、プレイヤーが

楽しくやっていること・・・。そうすれば延命の可能性が数%アップっするかも。


しかし、そうであっても、そうでなくとも、風土は残る。関われた幸せも消えない。

これで十分満足です。
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青年寄宿舎と勇払原野  林とこころ

40年以上前、札幌の植物園前の寄宿舎で、少しペーソスの漂う、悲喜こもごもの、貧しい学生生活を共にした友人らが、昨年の晩秋、小屋にやってきた。取り立ててもてなす品々はないけれども、安着祝いのあと、葉っぱの落ちた雑木林を歩いて、暗闇のなか焚火を囲んだ。雨の予報だったから覚悟していたが、あにはからんや、雨は昼過ぎに上がって夕焼けと星空を楽しんだ。

酒のさかなは、やはり共有した思い出である。学年ではわたしより1,2年若い友人だが、共同生活だから、通り一遍の付き合いでは知りえない個人の心のひだも少しは読めるような仲になる。この日来た一人は、この人間模様を小説に仕立てて、ある有名な作家が委員長を務める文学賞で受賞したほどである。その主人公は、なんと山に登っていた時代のわたしだった、という話をかつてどこかに書いた思い出がある。

青年寄宿舎の悲喜こもごもと、寄宿舎に寄せる思いは『宮部金吾と舎生たち〜青年寄宿舎107年の日誌に見る北大生〜』(2013年北大出版会)にまとめられたが、今回小屋に集った者たちは、この出版に先立つ2,3年前に、寮の存続と廃止を描いたドキュメンタリー『百吟フロンティア』に登場人物として昔を語り、作品は東北で開催される世界のドキュメンタリー映画祭に出品された。2005年の話である。

監督は熊本出身で当時早稲田大学の院生だっただろうか、若き遠山昇司君で、その後メキメキ力をつけ、海外のコンクールで入賞している。

このドキュメンタリーのBGMは、貧しさのあまり大事なギターを売って、代わりに手に入れた壊れかけたギターの演奏と弾き語りで、演奏者はナント、わたしである。この映画のための演奏ではなく、今回のO君が、わたしの演奏を学生時代にこっそりテープに採っていたもので、掃除をしていたら出てきたから草苅さんにあげるよ、という実話(手紙)から物語は始まっている。

そのあと、『森と水の庭・ウトナイ』というドキュメントにも出演した。勇払原野の映像には不思議に縁があるようだ。そのころ、『林とこころ』の出版もしているから、あれらは勇払原野の産土(うぶすな)の導きではなかったか、と密かに思っている。


(ある画像を探すために、雑木林だよりを眺めていたら移植のこの記録が出てきたので、
時系列では相前後しますが、アップしました。)


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苫東方式の提案  林とこころ

勇払原野の一角を占める苫東の緑地は、どう扱うべきか。長い間、官民の関係者の

間で懸案になっていたこのテーマについて、ここだけのオリジナルな手法を「苫東

方式」と名付けて、土地オーナーの緑地検討会において提案しました。

11月20日に開催されたもの。

広大な、しかも多様な植生を対象に、メリハリをもって、しかもアセスメントの

目的に沿った形で、最大限利活用することをめざすもので、地域参加の一環で

コモンズの概念導入も重要になります。植えない緑化や森づくり、近自然森づくり

など、林業行政とは一線を画したwordingになりました。


40p余りの資料を作った後に、まとめの言葉として何がいいかを思案した結果、

「適地・適木・適作業」という言葉を思いつき、締めのページのタイトルに

しました。会社にしてみれば、わざわざ手を染めるには面倒で、マンパワー的

にも不足している分野であり、かつ、ディベロッパーの業務としては傍系としか

見えない付加価値づくりですから、そのコーディネートなどやりたがらないし、

やるべき仕事ではないでしょう。こんなことをしなくても十分土地は売れている、

という現状もあるでしょう。


それでもなおかつ、プロジェクトの未利用の隙間を埋めていくためには、

やはり、多様な担い手をつなぎ、風土という社会的には共有の資源を、

一定のルールで活用していくというのが、道だ、と説いたわけですから、

経営者はドン引きしたかもしれません(熱心にお聞きいただいたのですが)。


経済の当事者と、風土をいとおしく思うネイティブは違うのです。

経済と風土保全の間にできる隙間は、コモンズを試行する者たちが分担する

必要があるとわたしは思うのです。


経営者が二の足を踏んでも、若手職員はこれから「苫東方式」の肉づけを

したい、と言います。なにか、伝わったのでしょうか。「地域開発」が地域の

社会的共通資本=風土に謙虚に、そして大切に扱うべきだという

ミッション性を、昔から感じていた同志なのか。個人的にはそう推察し、

これからも淡々とマイメソッド&「マイウェイ。

(画像はわたしの説明資料PPT)


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コモンズの悩み始まる  林とこころ

NPO苫東コモンズの懇談会で、Mさんが、「山のいつものフットパス沿いに

ボリボリが大豊作のところがあって、NPOのみんなに教えてあげようと

していたら、見知らぬ人に全部採られてしまった」「採った男に、このキノコは

ある人にあげるために、第1発見者のわたしがそっと残していたものだ」と

権利を主張したらしい。すると相手は、「山林は広いからまだまだあるよ。

心配いらない」みたいなことをうそぶいて林を去ったらしい。買い物袋二つの

ボリボリをもって。


 ついに来た。コモンズの悲劇だ。一定の広さの中に大勢が入り込むと、一人分の

分け前が減ってしまうというもの。これを邪魔されないようにするためには、

ある特定の権利をはっきりさせ(できれば登記)、縄を張るなり、警告を張り出して

公表せねばならないだろう。で、どうやって権利を認めさせる?誰に?

これが大変な話になる。


 なぜなら、コモンズは土地所有者の囲い込みをやめてもらって、不特定多数の住民、

地域の人々に開放するのが目的だった。フリーアクセスを認めてもらったのである。

「せっかく、わたしたちが手入れした林であるから、わたしたちにまず採取の優先権

をくれ」といっても、当初目的とNPOのミッションからみても、筋を通すのは難しい。


それなら、どうする。いつでるからないキノコを日々観察すればよい、ということに

なるだろう。まあ、そこで求められるのは第1発見者であり続ける努力だろうか。

これはつらい。でも正直なところ、これをするために、つまり第一発見者になって

独占するために人はしばしば林に行くといってもいい。 


地域の人々は、「近年、大島山林は、誰だか知らないが奇特な人(NPO)がいて、

いつの間にか林の手入れをしている。おかげでよくキノコが出る」という静かで

地味なうわさが広がっている、可能性が高い。


 話は戻って「見知らぬ住民のキノコ採り」、これはこれで実は悪いことではない。

ミッションから言えば喜ぶべきことなのだと思う。忘れてはならないが、わたしたちは

林の手入れのほかに、地域の人がキノコの食毒を見分けられるよう、食毒の判別会まで

サービスしているのだった。が、分け前が明らかに減る・・・。この割り切れなさに、

当分、自分で自分の首を絞めるような、気持ちをかく乱させられる人もいるかも

しれない。いよいよ、コモンズの悩みが始まった。
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薪ストーブのある暮らし  林とこころ

この歳になって自宅を薪暖房に代えることにしたところ

いろいろなことが見えてきた。まずかなり面倒だ。


薪ストーブ屋さんは、煙突工事の下見や本番で、なんだか

不ぞろいだが、ともかく来るたびに増えてくる薪に興味を持ったらしい。

昨年の残ったカラマツを中心に昨年秋の小屋周りでできた薪だ。

それを愛車プリウスの座席を倒して少しずつ運んでいるもの。


つい、薪の話から「薪のある暮らし」に話題は移る。

近年は若いカップルが自宅の新築の折に、高価な薪ストーブを買いに来るらしい。

また、欧州の今流行の薪ストーブはわたしの目には実用にはどうもかっこよすぎる。

いずれもインテリアとして要素が強いらしい。ムードとしての薪だ。


業者さんは薪づくり、薪利用がいかに手間がかかるのかを

知っていた。薪生活のリアリズムである。

だから当方は雑木林の修景を目指した間伐の結果生まれる丸太を、

伐って運んで玉切りして割って、さらに積む手間、

つまり薪ストーブ生活を自賄いで完結させる半年の作業を話すと

深くうなづいていた。


問題はこの手間をいつまでやれるか、だ。

それはしかし、神のみぞ知る、である。

ホリスティック医学の帯津良一医師は認知症予防の秘策の一つは

「小動」だという。庭仕事、書き仕事、台所仕事など。山仕事や薪仕事はその雄だ。

森や林と付き合う充実は、きっとそういうトータルに近づくほど高くなるのではないか。

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ヒグマに思う  林とこころ

去る16日、静川のログハウスで小さなミーティングをしていた午前11時過ぎ、

別の用事で来ていたNPOの女性会員が「今、クマが林道を横切った」と少し

慌てて戻ってきました。その瞬間、「とうとう身近な人たちに目撃か」という

感慨が起きました。


わたしが勇払原野に関わり始めてからの約半世紀近く、ヒグマの話は時々出ては

忘れられ、時には猟友会が出たとニュースになったりしました。勇払原野の一部の

沼ノ端界隈が新たに住宅団地になり、携帯電話が普及するようになってからは

より頻繁に穂と目につき通報が容易になったことなども背景に、このところ

ヒグマ情報は益々多くなっています。苫東のなかですら、耳を澄ませば年に数回、

ほぼ確実にヒグマ情報が聞こえてきます


ここで深く考えてみたいことは、勇払原野を移動するヒグマは、その「十分な

緑地面積」のせいか、ニアミスによる殺傷事件などはなく、被害といえば

ミツバチの巣箱と試験栽培の農地ぐらいで、人の対応で回避できるものです。

緑地の在り方次第ではヒグマと共生できる、いや「現状では共生せざるを得ない」

というべきですが、残念ながら勇払原野におけるヒグマとの共生は、取り組みと

して光を浴びることはまだなさそうです。


写真は今から20年近く前、苫東で捕獲されテレメーターを取り付けられて、

地域の科学的なヒグマ移動情報を発信したヒグマ「トラジロウ」です。

ヒグマを捕獲することは比較的簡単なので、個人的には、苫東にやってくる

ヒグマのすべてに発信機を取り付け、移動情報を管理する方法があると思います。

これはすでに知床で試みられたはずですが、専門家はその情報をどう利用するのか、

これも大変難しい事情があると言います。しかし野生動物が移動する都市近傍でも

リスク管理と生き物との共生を探る実験としてぜひ考えてほしい地域テーマだろう

と密かに思っています。

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土地土地の林の管理方式  林とこころ

6,7年前から、将来、大木になりそうな樹木に印をつけてみている。作業個所では

その樹木の周りを透かしている。将来木施業と呼ばれる方法と似ているけれども、

苫東ではそれがちょっと違う。


大木になると倒れるのである。火山灰で根が浅くしか張れないから、

大きくなって風当たりがよくなった順に倒れるのだ。近く、土地の所有者の

緑地検討委員会で、森林管理の提案をしてほしいというリクエストがあり、

そこでわたしは「苫東方式」という、長年ここの林を見て、いくらか実践し、

感じてきたことを簡単にまとめたこのワーディングでお話ししようと思う。

しずかにゆっくり付き合ってたどり着いた言葉で、ここに合う方法、いや

考え方である。もちろん、国内以外、あちこちの森づくりを見てのことだが、

意外とシンプルなことで言わば「倒れる前に伐って利用する」という抜き切り

である。


浜田久美子さんが『スイス林業と日本の森林~近自然森づくり~』という新刊で、

スイスの近自然森づくりを紹介しているが、苫東方式はこれに近い。収穫が

そのまま手入れになる、という優勢間伐である。皆伐を原則としてしないで

持続させるという課題を持つ苫東の保全緑地と周辺では、まず風倒木、掛かり木、

ツルなどに絡まれたケガレチ的林をまず改良の除間伐をしてきた。気持ちの

良い林への一歩だ。次のステップとして、これから風倒木予備軍を切るのである。


少しずつ折に触れやってきたが、根返りの兆候を見つけるためには林を

よく歩かなければならない。大木をマークし、倒れそうな木を見つけるのだ。

このためもあってわたしは林を目指してきた。他人の林だが、コモンズ林

という側面を持つ林の、決して多くないファンのひとりだと任じている。

残念ではあるけれどもよく言われるほどには、林を歩くのを趣味にする人はいない。


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サンマに見るコモンズ  林とこころ

サンマの漁獲規制を協議する「北太平洋漁業委員会」が15日閉幕した。国民をして、よくもまあ、

こんな都合のいい提案をするものだと思わせるほどの、お人好しのプレゼンを日本側はした、

と思った。サンマが日本の排他的経済水域に入る前に、中国、韓国、台湾の漁船に獲られて

しまうので、これまで独占的に常食としてきた日本が自分に都合の良い枠を関係各国に提示

したのだった。問題は、スルメイカ、サケのほか、カタクチイワシ、カツオ、スケトウダラ、

マアジも同様で、ここ10年の間に1/2または1/3になったものも少なくない。


これは、わたしたちの日常にあるローカルなコモンズに対して、グローバル・コモンズと

呼ばれるジャンルの話で、ルールがなければ破たんあるいは紛糾する。日本が東アジアで

進めている外交政策は伝統的コモンズの課題解決方法のアプローチと見てきただけに、

サンマ提案はやや唐突に思えた。もうひとつ、知恵がなかったものか。


 というかたわら、先週英国湖水地方に出かける前後にジェームズ・リーバンクスの

『羊飼いの暮らし』を読み始めた。湖水地方において、領主から固有の羊を放牧する土地を

コモンランドとして利用し生業を成立させていて、著者はそこに生まれオックスフォード大学

を卒業したそこのコモナーでもある。5,000年も同じ暮らしをして来たという。描かれている

のは、住民自らが土地を管理する日常であり、ワーズワースが書いた湖水地方は文化帝国主義

といえるくらい似て非なるものとして違和感をもっている。こうしてコモンズの内側から

生活や概念を詳述したものは実は初めて読むような気がする。ニューヨークタイムズに

絶賛されたベストセラーで、コモンズは今、時代を読み解くカギになっているのだろうか、

と思う。


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林は飲み込み、与える  林とこころ

24日土曜日は、朝いちばん、Mさんがトラクターで応援に来て散らばった薪を集めて

くれたので、ついでに残された腐った木片は林の中に運んでもらった。土に還元だ。

林とは本来こんな風に、何でも飲み込んでくれる、分解還元ヤードだった。ここに

持っていけば、ブラスチック以外はたいてい分解してくれる。これで、薪ヤードの中にも

苫東の刈り払いトラクターが入ってくれるだろう。



林はつくづく働き者だ。

なんでも飲み込んでくれるという話で思い出したが、アイヌの人たちは林は

ドラッグストアとみなしていたという。わたしたちも山菜など食料庫として見る

時期がある。燃料の倉庫ともいえる。ヨーロッパでは、ラブホテルだった、という。

姥捨て山でもあり、駆け込み寺でもあり、すべてが許される避難所、隠れ家、

すなわちアジールでもあった。森林で癒されるから病院でもあり、特に精神科や

セラピストだともいえる。そしてお墓用地である。



そして大事なことを忘れていた。元気な林ならCO2を吸って酸素を供給して

くれ、その収支はプラスである。日陰を作って、音も遮断する。昆虫を含む動物の

すみかでもある。バクテリア、菌糸、もろもろの植物もつながっている。



こうしてみると、林というのは機能が半端でないほど多岐多様で、深い。

わたしたちはそのほんの一部しか使えていない。特に腐るものを捨てる、

というのは盲点だった。禁じ手としてご法度にしていた。
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自然は誰のものか  林とこころ

先日「土地は誰のものか」という一文をしたためましたが、今回は「自然」。北大苫小牧研究林で長く林長を務められた石城謙吉氏の講演集で、出版社は札幌のエコ・ネットワーク。先生は講演の際に壇上でいつも胸ポケットから原稿用紙の束を出され、しかしほとんど目を落とされなかった。いつだったか直接尋ねたことがあるのですが、必ずちゃんと講演原稿を書くのだそうです。そしてたしか晩年の仕事にまとめるつもりだとおっしゃっていたような。どうもそれがこの本になったようです。

 語るような諭すような表現、語り口には科学者としての厳しさよりも教育者としての優しを感じさせ引き込まれるような雰囲気があるのは、さすが他の追随を許しません。特に先生が書かれているように「自然保護に携わっている方々への連帯のメッセージ」と位置付けられておられ、視点は明確で関係者は再確認されたのではないかと拝察しました。

 わたしは個人的に先生にはイデオロギーを越えて森づくりという土俵でいろいろアドバイスをもらい意見交換もさせてもらったので、演習林(研究林)と苫東という立場や肌合いの全く違う「都市林」という概念を共有できたつもりでしたが、しかし、そこにはやはり大きな川があったというのが今の心境です。

石城先生が昭和48年に苫小牧に赴任して取り組まれた地域環境保護の運動、ずばり苫東反対運動のその「苫東」の森づくりが、51年に初任地として来た苫小牧におけるわたしの仕事だったからです。開発側に身を置いて自然に関わったわたしは、したがって今回のこの著作「自然は誰のものか」を、是々非々の立場で読ませてもらいました。

 あらためて言うまでもなく、経済的基盤の弱かった北海道は、開拓の時代からこのかた、農業・宅地・工業の各々の分野で開発は不可欠の条件にあった、そして森林や原野という自然は土地利用を替えざるを得なかった(=開発)、そうしないと道民は職と豊かさを求めて本州に渡らざるを得なかった、という状況だったと考えています。

手つかずの自然の大地をすべてそのままにしておくという考え方に立つのならばともかく、維新後の開拓、戦後の入植、燃料供給等、時代の要請に応えざるを得なかったのが北海道でしたから、「手つかず」から「人の住める大地」への改変はやはり避けられなかった、いや不可欠だったとわたしは思います。

 もちろん、国や自治体が進める公共事業の方向が間違っていたり、惰性で無駄な事業を進めることは正さなければなりません。しかし経済的でかつ文化的豊かさは求められていたのも事実で、苫東反対運動時によく言われた「煙の下のビフテキか、青空の下のおにぎりか」という、二者選択ではなく、できればクリーンで緑豊かな中での多様な文化生活をわたしたち道民は本心で望んでいました。決して北朝鮮を理想となどしていなかった。

そのために、港も道路も農地も宅地も、学校や病院とともになくてはならないものだった。それらは大きな計画に基づくプロジェクトによってもたらされてきて、税金が再配分されてきたのでした。そうして100年余りで500万人以上が住む、近代的な生活を営む島ができあがったのではなかったか、歴史の中の北海道の歩みは肯定したいと振り返るのです。

 石城先生の今回の著作は、そういう観点で見ると、自然保護か開発かで揺れてきた北海道、特に苫小牧の位置づけを考えるうえでとても大切な意欲的な提言をされてきたことがよくわかります。来し方を振り返り将来を占う意味でも大事な問題提起をされていると思います。自然はみんなのもの、と考えるコモンズの視点を掲げる一市民としては尚更、学びの泉にしたいと思います。
 
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林が再生するのに立ちはだかる壁  林とこころ

日曜日、先週に続いて今季2回目となる「ホッキとフキノトウのかき揚げ」をした。

ホッキは家人が午前中に店で確保したので、残るはフキノトウだった。

前回は家から1kmほど北の人里で採れたが、今回はさらに数百m行った

ところへ。そこにはまだ雪が残っており、雪線そばでは若いつぼみも

たくさん採れた。高速道路の北側のその一帯は小高い尾根筋があり、

写真左の如く広く雑木林が広がっていて、一部で風倒木処理のような

伐採も行われていた。尾根に登って伐採された切株を見て回って驚いた。

ナラのおよそ半分は萌芽が認められたが、すべてがことごとくシカかウサギの

食害を受けていたのだ。


これでは萌芽枝が伸びても樹木として再生は困難が予想され、果たして林と

して復元するのか、危ぶまれる。植苗病院周辺、新千歳空港周辺などのような、

旺盛な萌芽更新とは程遠い。国道234号の勇払川を渡って遠浅に向かう際の

国道とJRに挟まれたエリアも、萌芽更新が盛んでもうすぐ林になる。ナラ

などの広葉樹林は、萌芽更新をして3,40年で伐採と再生を繰り返す。胆振で

行われてきた「低林作業」の大原則どおり、きれいに皆伐して一斉に更新

させないと成功しないのか。極端に言えば、シカたちの食害をものともしない、

高密度の、「どうだ参ったか」というほどの「勢いをもった更新」を

つくらないといけないのか。シカなどの食害が目立たないほどの再生を創れ、

ということか。

陽だまりの切株に座って、安定的な、繰り返すことのできる更新と再生に

思いを馳せた。自然とはそういうことか。


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タグ: 里山 再生 食害

インダストリアルパークと女性  林とこころ

北大のK先生とともに、韓国から留学中のS先生を苫小牧西港のエリアと苫東に

案内した折、あらかじめ予約してもらった苫東柏原にあるJファームの

「カフェ・ピリカ」で昼食した。カフェは女性のお客を中心に、ほぼ一杯

だった。メニュウはチキンソテーとスープとサラダ、そしてドリンクで1200円。

いい感じである。殺風景であるはずの団地にあって、なんという優しい光景で

あろうか。


 このインダストリアル・パークのマスタープランができた昭和46年ころ

鉄鋼産業用地とみこんだエリアが、産業用地であることをやめて、これからは

野生生物、とりわけ絶滅危惧種の野鳥たちをも包み込む遊水地になることや、

臨空性をもった柏原などのエリアが、再生可能エネルギーの太陽光パネルで

埋まってきていること、そして機械工業に交じって野菜工場が進出し、

スマート・アグリとかトリ・ジェネレーションなどという世界に染まっていく

とはだれが予想しただろうか。



 あえて言ってみれば、鉄のような「男型産業」がやわらかい「女性型」に変化した

といえないだろうか。そしてビジネスとして成り立って海外からの視察者も後を

絶たないという。

 帰りしなの車中で韓国のS先生は、売れ残っている産業スペースはいつごろ完売

できるとみているか、とわたしに聞いた。苫東での仕事から全く離れている身には

門外漢になると知りつつ、残りは3000ha以上あるから、当初の鉄鋼や機械産業が

遊水地やソーラーや野菜工場に変わったように、未来のワイズユースのために

step by step 残しながら売るだろう(そうあってほしい)、そして「残りものの

土地と環境」は将来への宝・ギフトだと思うと、たどたどしい英語で答えた。

もちろん雑木林込みである。雑木林はもちろん女性に親和性が高い。


 さらに、コモンズの概念はこの風土を持続的にかつローコストで運営して

いくために重要かつ不可欠だ、と付け加えた。「K先生はどう思います?」

と振られたK先生は 「same 」と答えて笑った。ふだんは全く使うことのない

英語で頭は疲れたけれど、コモンズのアイデンテティをあらためて考え決意する

とてもいい時間になった。


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雑木林&庭づくり研究室
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仰げば尊し  林とこころ

3月、弥生の声を聴くだけでなにか春のイメージになってくるから不思議です。

卒業式、送別会、マガンたちの渡り・・・。特に幼少のころ、とりわけ今から

半世紀以上前の中学校のことが思い出されてきます(半世紀・・・、すごいものです)。

あの頃、卒業式といえば、「仰げば尊し」でした。美しいハーモニーが忘れられない

だけでなく、個人的には歌詞も意味があった。

たくさんのハモる曲を教えてくれた(それこそ100曲以上)女性の音楽のS先生。

あれでわたしはハモるスキルが花開いた。必ず読書感想文を書かせて習慣化させて

くれた神主さんでもあったH先生、理科の授業で、子供たちに推論させおっかな

びっくりの仮説をださせ、「地球はそのものが磁石である」という事実に導いて

見せたM先生。


思い出せば、あの頃に習った学習習慣などが、半世紀もの間、自分の人生を

切り開く大切な道具として活躍してくれた。まさに教育者であった先生方に感謝の

気持ちでウルウルして来るのを禁じ得ない。

写真は、郷里山形の田園風景。正面はお寺の大ケヤキと杉の木立、その右は

秀峰・月山、その左には朝日連峰が続く。


*「仰げば尊し」の原曲は長い間不明とされてきましたが、米国の1871年のある
楽譜に原曲があったことがわかってきたようです。が、卒業式で歌われる歌は「贈る言葉」「さくら」などに変わってきたといいます。

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