2009/11/30

和田町の遊休地  議員活動
彦根のビバリーヒルズ。

本当に、この丘からの眺望は最高です。

議会の質問でも取り上げ、公有財産化でも売却の方向付けはされたのですが、未だに売却の目処は立たず、このような状態です。

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木々は色づく季節を迎えましたが、売却の機は熟してないようです。

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平田学区には7つの句がありますが、ここ和田町は100戸に満たない小さな区です。

高齢化率も高く、これから、益々高齢者の方、特に一人暮らしや高齢者だけのご夫婦が増えていきそうだとのこと。

この遊休地が、住宅用地として売却され、多くの若い方が住んでくだされば、和田町の活気は蘇ります。

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不法投棄のごみが散乱しています。
その回収にも費用がかかります。

夏には草が伸びます。
その刈り取りにも費用がかかります。

遊休地に費用をかけるのではなく、行政目的のなくなった土地は、可能な限り売却することの努力が必要です。

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彦根市を一つの会社と考えたら、入りを増やして出を減ずる。
それが、健全経営の基本です。

議会での質問以降、担当課を訪ねては、そのような話をして来ましたが、もうワンプッシュ、ツープッシュしてみます。

そんな決意も新たに、見上げた夕空に「月の影」

このように明るい空に、月が見える、そんな月のことを「大根の月」と呼んだ作家がいましたね。

薄く切った大根が、ぽっかり浮かんでいるようだからと。

2009/11/30

彦根神社の紅葉  徒然草
後三条の奥に、ひっそりと佇む彦根神社。

源頼朝公お手植えの樹齢800年の紅梅のある長久寺さんの前の路地を奥に入っったとこりにある神社です。

普段は、迷ってしまいそうな細い路地が連なっていますが、この季節には、紅葉の鮮やかな色で、直ぐに判ります。

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境内にたった一本植えられているだけのもみじの木。

秋になるとその存在感を120パーセント発揮する朱、橙、赤です。

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緑と赤と青。
素敵なコントラストでしょ。

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喪中の私は、鳥居をくぐらず外からだけ。

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知る人ぞ知る彦根神社。

その神社にも、秋が溢れています。
もう、しばらくすると、落葉し、冬木立になるのですね。

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2009/11/30

懐かしいね、中央公園  徒然草
城東小学校に通っていた私は、よくこの公園に来ました。
小学校時代の遊び場の一つでした。

丸太で作った長いブランコがあったのを覚えています。

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公園の真ん中辺りに、小さな池があったように記憶しているのですが・・・

そう言えば、この公園でサーカスの興行があったのでは?

遠い、遠い昔の記憶の断片を繋ぎ合わせています。

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こんなに高い銀杏の木はなかったはず。

そぬですよね。
考えてみれば、この公園で日の暮れまで遊んだ幼い日から、幾星霜が過ぎたことでしょう。

木だって、その分成長しますよね。

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「おおーい。
はぐれ雲ひとひら。
今日は、どこまで行くんだーい」

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公園の向かいのお宅の紅葉。

昔は、遊びに夢中で、こんなに素敵な秋に気付かなかったようです。

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燃え立つ秋。

年年歳歳、この木は、こんなに素敵な秋を届けてくれていたんですね。

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2009/11/30

金亀会館をご存知ですか  議員活動
中央町にある彦根藩の藩校だった「金亀会館」は、市の指定文化財です。

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彦根藩では、11代藩主の直中公が寛永11年(1799年)、現在の西中運動場に藩校「稽古館」を開校しました。
後に、12代藩主の直亮公により「弘道館」と改名されました。

その後、明治4年の廃藩置県により廃止されるまでの間、剣術、槍術、弓術、馬術を学ぶ施設として藩校として存続しました。

幕末の大老、彦根藩13代藩主である直弼公の開国論に大きな影響を与えた中川録郎や、直弼の腹心として激動の時代を暗躍した長野主膳、また明治の三筆と言われている日下部鳴鶴(きさかべめいかく)などを輩出しました。

明治維新後は、西本願寺系列の師弟教育の中学校となり、学校は京都へ移転。

大将2年に講堂が現在地へ移築され、その後は「金亀教会」(彦根の方は「金亀会館」と呼んでいますよね)と呼ばれ、宗教法人本願寺金亀会館が所有してきました。

平成19年1月25日に、市指定文化財になりましたが、老朽化が進み、本年1月に「歴史まちづくり法」に基づく整備補助の認定を受け、彦根市として金亀会館の保存修理を行うことを決めたという経緯があります。

6月22日に、所有者である宗教法人本願寺金亀会館から彦根市へ寄付され、内部整理の終了したのを機に、今月25日に正式に引き渡されました。

彦根市の意向としては、平成26年(予定)保存整備後、「現代の藩校」として、地域の学習の場などに役立つよう開放されるとのことです。

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構えは、当時を彷彿させる立派なものです。

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長らく戸閉め状態だったせいもあるのでしょうが、各所に老朽化の状態が顕著に見受けられます。

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池田屋敷長屋門の保存整備の手法のように、一旦、解体し、調査し、再利用可能な材料に、プラスアルファの材料を足して、再構築と言う手法になるのでしょうか。

市内の真ん中、周辺には児童公園などもあります。

子ども達の寺子屋的な学習の場に、生まれ変わることを楽しみにしたいと思います。

2009/11/30

営林組合議会の臨時議会でした  議会
午前中からの会派総会に引き続いての彦根市犬上郡営林組合の臨時議会のため、庁舎に到着は午前11時。

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一階ロビーでは、子ども達の描いた可愛い絵が展示されていました。

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一度、ご観覧くださいね。

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明日から師走とは、とても思えないほどの穏やかな陽射し。
空も冬の色ではありません。

こんな晴天の日には、すっきり綺麗に撮れるんです。

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佐和山は、随分と色づきましたよね。

ドングリやカシの木が多いせいでしょうか、紅葉と言うより黄葉かな。

午後2時、
定刻に営林組合議会が開議しました。

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先日、逝去された久木議員が議長を務められていましたので、冒頭で議長選出が珍しく指名推薦方式ではなく、出席議員22人による投票方式で行われ、同じ会派の佐野議員が、前任の久木議員の後任議長として選出されました。

その後に上程された3議案は、平成22年1月1日に合併する長浜市と周辺6町に関わるもの、また、平成22年3月20日に近江八幡市との合併に伴い安土町が脱退することに関わる案件と、明日、12月1日から適用される人事院勧告による手当ての引き下げについての内容でしたが、いずれも可決承認し、2時45分閉議となり散会しました。

2009/11/29

近江八幡を歩く  徒然草
近江尚商会の集いのエクスカーションとして、近江八幡まち歩きが企画され、近いからとしょっちゅう訪ねているまちですが、今回は観光ボランティアガイドさんが同行してくださるとのことなので、これまで知らなかった近江八幡の魅力を教えていただけるのではないかと、期待、期待で参加させていただきました。

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ガイドさん、それぞれが手作りのマイガイド帳で、基本知識は共通なのですが、それぞれに、それぞれのやり方のオリジナルなガイドをしてくださいました。

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黄昏迫る時刻でしたので、あっちも、こっちもと言う訳には行きませんでしたが、近江八幡観光のエキスと言うべき、ポイントを絞ったまち歩きとなりました。

ガイドさんから教えていただいたことも、含めて、その一端を画像と共にお伝えしますね。

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近江商人屋敷が軒を並べる新町通りです。

正面には、豊臣秀次の居城のあった八幡山が見通せます。

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旧施設を改装して、上手く活用されています。

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野洲の行畑から、彦根の鳥居本まで続いている朝鮮人街道の道しるべ。

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この時間帯でも、観光客の方がぽつぽつ歩いておられます。

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犬矢来。
「壁に耳あり、障子に目あり」の諺がありますが、この犬矢来のお陰で、壁に耳あり状態を防ぐことができるのだそうですよ。

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西川家の内部です。
暖簾の奥は内向き。
だから、内向きを取り仕切る人を「奥さん」と言うのだそうです。

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日本に7棟しか残っていないと言う三階建ての蔵。

しかし、品物を山積みにするのは商人としては危険で命取りになることを文字で示す例として、こんなことを教えていただきました。

「病だれに、品の山と書いたら、何と言う字かな?」
「・・・」
「あっ、そうだ。それは癌と言う字だ。」
「そうです。癌も命取りになります。商家の命取りは、商品を山積みにすることなんですよ。」と。

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八幡堀の紅葉です。

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時代劇の撮影スポットの一つなのです。

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八幡宮の参道を通り、ロープウェイ乗り場へ。

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女性の駆け込み寺とも言われている村雲隋雲寺。

まだ、訪ねたことがありませんが、機会があれば次の機会に訪ねてみたいと思っています。

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限られた時間での近江八幡観光でしたが、さすが、物知りのガイドさんに同行していただいたおかげで、今まで知らなかったこともたくさん教えていただき喜んでいます。

ありがとうございました。

2009/11/29

さすが、ヴォーリズ  徒然草
どこか、旧の豊郷小学校に似ていますよね。

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それも、そのはず。
八幡商業高等学校の校舎もヴォーリズ設計の学校なのですから。

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中もすごいですよ。

階段などは大理石。
贅を尽くしたものですが、流石は「近江商人の士官学校」と全国に名を轟かせた学校だと、その風格に圧倒されます。

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最上階の天井には、このような絵画が。

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近江八幡には、ヴォーリズ建築が数多く残っています。

また、それらの貴重な建物を、市民に身近な施設として活用されているのには感心します。

この八幡商業高等学校も、ヴォーリズ建築に興味のある方には、一見の価値のある建物だと思います。

2009/11/29

近江尚商会の集い  徒然草
会場のホテルに到着したのは、午前9時50分。

彦根から約50分を要したことになりますが、道中であっちへ寄り、こっちへ寄りの結果かな。

手帳には「近江尚商会の集い」午前10時と記入していたので、ギリギリセーフかと、息を弾ませて会場入りしたのですが、午前10時は受付の開始時刻で、結局は、約一時間余りをロビーで待つことになってしまったのです。

この一時間に、彦根市民体育センターで開催されたスーパーカロム大会の開会式に寄せてもらえばよかったなーと、思っても、後の祭りなのでした。

これからは、受付時刻ではなく、始まりの時刻を記入することにしなくっちゃと、一つ勉強させてもらいましたー。

と、言う訳で、午前11時に始まった近江尚商会の集い。

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全国の会員さんに呼びかけられたとのことで、今回は全国津々浦々から240余名の方が参集されました。

娘たちと同じ年の頃の後輩たちとの一葉。

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「若いって、いいなー」としみじみ。

片や、人生の大先輩。
今回、参集された方の中には、私の二倍もの人生を重ねておられる方もいらっしゃったとのことですが、皆さん、大変にお元気で、頼もしい限りです。

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セピア色の写真。
今から、約50年前に撮影されたものなのですが、面影から偲ぶことが出来るのですからすごいものです。

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写真と言えば、今回すごいなと思ったことは、会場内で撮影したものを持ち込んだパソコンで即時にプリントアウトして皆さんに配られていたこと。

これなら、後日、郵送しなくてもいいですし、何より、その日にいただくことで、とてもいい記念になりますよね。

いろんな発見と、出会いのあった今日にありがとうなのです。

集いがお開きになったのは午後3時。
その後、エクスカーションとしての近江八幡観光に参加し、ホテル前で解散になったのは、黄昏も遥かに過ぎ、イルミネーションがキラキラ輝く時間になっていました。

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朝と同じ道を急ぎ足で彦根へ。

帰路は25分間で彦根の灯りの見えるところまで帰り着き、長い一日を締めくくります。

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2009/11/29

近江八幡へと向かう  徒然草
午前9時。
近江八幡での集いのため、自宅を出発し、一路、朝鮮人街道を南下。

秋色が濃くなっている様子を、画像でお届けします。

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車中からの撮影ばかりでしたが、ここ、安土城址では余りの紅葉黄葉の美しさに思わず車を停めて撮影です。

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昨日から、始まってる熱気球による琵琶湖横断イベント。
対岸の高島市安曇川町からの熱気球かな?

気球で琵琶湖を渡る?
この山頂に豪華絢爛な城を築いた信長公が、この様子を見たとしたら、きっと、
「天晴れ、天晴れ!!」と、言ったのではないだろうかと、取り留めないことを考えたりもしてしまいました。

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南下の目的地である近江八幡はもうすぐそこです。

2009/11/28

井伊直弼と開国150年祭の市民創造事業の一つである「近江上布、伝統の技と美の結晶」が、「近江上布つむぐ会」の主催で、開催されました。

午後1時からの第1部「渡邊守順先生の近江上布のルーツを探る」は、残念ながら拝聴させていただけませんでしたが、第2部の「現代の名工と近江の名工、匠の技の実演・実技」には、辛うじて間に合いました。

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新商品の発表、お披露目にはひこにゃんも駆けつけて盛り上げてくれましたよ。

現代の名工の一人である大西實先生の手ほどきを受けて、麻の織物に挑戦。

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とんとんからり・・・と、調子よくは行きませんでしたが、先生の直々のご指導をいただき、両足、両手を駆使し、不器用な私が全身に冷や汗をかきかき、1cmほど、織ることが出来、ちょっと、感激。

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近江上布とは
琵琶湖の恩恵を受け、肥沃で多湿な風土で生まれ、育まれてきた麻の織物で、室町時代から生産され、幕府への献上品として古くから利用されてきました。

近郷で良質の原料が手軽に入手でき、強靭な撚り糸が得られ、江戸時代になると彦根藩の手厚い保護のもと、農家の副業として麻布業は飛躍的に発展しました。

時代は流れ、近江上布は、時代時代のニーズに合わせ、自由な発想で次々と姿を変え、滋賀伝統の朝織物として今もなお、輝き続けています。

私にとっては、麻も麻織物も直に触れるのは初体験。
様々な発見がありました。

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今、一人の現在の名工はフラワーデザイナーの河合透先生。

麻織物で名工:因幡稔先生が制作されたバッグを花器に見立てて河合先生がフラワーアレンジメントの実演を。

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クリスマスをイメージした素敵な作品の出来上がりです。

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逸品物の貴重なバッグの色に合わせて、魔術師の手さばきで素敵な作品が、出来上がっていきます。

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トルコ桔梗の淡い紫が綺麗な作品。
私のお気に入りの作品です。

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名工。
まさしく、地域の宝ですよね。


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