やはり、最後はこの男だった。キャプテン荻野正二の渾身のスパイク。これが見事に決まり、ファイナルセットは20−18! 6月7日、東京体育館。バレーボールの男子日本代表が16年ぶりにオリンピック出場を決めた瞬間だった。
白状する。筆者は「ミュンヘン世代」である。すなわち、1972年のオリンピックミュンヘン大会において、男子日本代表が見事金メダルを獲得した瞬間を生で見て、熱狂の渦に巻き込まれたクチなのだ。つまり72年の時点で、既にバレーボールという競技を理解し、感動するだけの年齢だったということになる。そこの君、細かい計算はやめるように(笑)なお、従って私は、74年のサッカーW杯@西ドイツで、ベッケンバウアー対クライフの対決をライブ中継で見ている。その意味の「ミュンヘン世代」でもあるのだ。
話をバレーボールに戻そう。72年のミュンヘンは、まだ選手の背番号を言えるくらい正確に覚えている(だから年齢計算はやめなさい)南、猫田、中村、西本、木村、深尾、野口、森田、横田、大古、佐藤、嶋岡。いま考えてもぞくぞくするようなすばらしいメンバーだ。しかも松平監督の8年計画のチーム作りが熟成し、速攻・コンビネーションを主体とした、間違いなく世界一が狙えるチームが出来上がっていた。さればこそ、準決勝で伏兵ブルガリアにセットカウント0−2とされ、第3セットも大量リードされたにもかかわらず自分たちのバレーを貫いて逆転して押し切ることができたのだし、決勝戦ではライバル東ドイツの撹乱戦術にも動じず堂々たる勝利を収めることができたのである。
ところがこの男子日本代表、大会後の松平監督の引退と森田の代表引退、さらに「日本バッシング」としか思えないルール変更が引き金となって、以後は長期低落傾向に陥ってしまった。いつしかコンビバレーすら忘れてしまい、ヨーロッパの大型選手とただ力任せに打ち合うだけでは勝てるはずもない。かくして92年のバルセロナ大会を最後に、オリンピックに出場することすらできなくなってしまったのである。その一方で柳本監督率いる女子日本代表の復活があった。ファンやマスコミの視線も、勢い女子に傾いていく。バレーボールがオリンピック種目に加えられたのは64年の東京大会からだが、その東京で「東洋の魔女」が初代王者に輝いたことは有名だ。だが同時に男子もまた銅メダルを取っていることは、あまり知られていない。そのときと似たような状況に近づきつつあるのかもしれない。人気復活には代表チームの勝利が何よりだ。そしてその使命を託されたのが、現・植田監督である。
その植田監督は、伝統の速攻・コンビネーションのバレーに活路を見出したようだ。それは100%正しかったと思う。さらに体力とスピードを強化し、山本隆弘、“ゴッツ”石島雄介、そして越川優と強力なアタッカーを揃え、若い清水邦広も急成長してきた。しかも205cmの齋藤信治、山村宏太をはじめ、山本201cm、ゴッツ197cmと世界に伍する超大型チームである。勘の鋭い読者の方は、筆者が何を言いたいかもうお分かりだろう。そう、あの72年の金メダル軍団に匹敵するチームができつつあるのだ。しかも今回は、縦横を駆使した世界最先端の3Dの速攻バレーだ!
そもそも今回の世界最終予選は、女子と異なり世界3ヶ所で同時に予選が行われたため、東京で手に入る北京行きのチケットは2枚のみだった。すなわち1位と、それを除くアジア1位である。ところが出場国には強豪のイタリアとアルゼンチンがいるため、日本はアジア1位で出場権を手にするのが現実的なシナリオと言えた。だがそれにしても、宿敵韓国や高さのあるオーストラリアを倒さねばならない。「無理だろう」――そんな声すら聞こえていたのである。
ところがそんな下馬評など、植田辰哉監督の耳には雑音でしかなかったらしい。いやそれすらも、ホームの大歓声がかき消してくれたというべきか。日本は開幕戦の日伊戦で、何とフルセットの死闘を展開。しかもデュース、デュースの繰り返しでポイントは20−25、30−28、30−28、33−35、7−15! この粘りとしっかりしたディフェンスに、上田監督がいかに本気で勝ちに来たかが現れている。だが、途中までは粘れるものの、セットをとっても波に乗れず、取られれば集中が途切れ、最終セットはずるずると取られてしまうという課題は相変わらずだ。善戦と言えば善戦。しかし今まではここ止まりだった。ここからが、日本が超えるべき壁なのだ。とりあえずは切り替え。翌日はアジア枠のライバル・イランだだった。
だが今回は、この切り替えが見事だった。強打はあるがミスの多いイランを3−1で一蹴。続く韓国・タイも撃破し、アジア枠最大の強敵と目されたオーストラリアにも3−0で勝利! 日本は7日の対アルゼンチン戦を前に、アジア枠の「マジック1」を点燈させたのである。強敵アルゼンチンに負けても非力なアルジェリアに勝てばいいわけだが、そんな甘い気持ちでは世界では戦えない。アルゼンチンを倒して決める!
アルゼンチン――世界ランキング6位は今予選参加国中最高。昨年のW杯7位。サッカーだけでなく、バレーボールのスタイルも「ラテンヨーロピアン」。高さあり、速攻あり、技術ありのテクニシャンだ。一方日本は世界ランキング12位、W杯9位。不利と思われても仕方がない。
しかも日本は、残念ながら地に足がついていなかったようだ。第1セット開始早々、レシーブが不安定でミスが目立つ。7−9と2点差をつけられたのだが、ここから粘る。やはりDFの地力は日本が一枚上だ。16−14と逆転したが、さらに20−22と再逆転を許す。最後は24−24から強打で突き放され26−28。絶対に欲しかったファーストセットを奪われてしまった。
しかし、ここが「植田マジック」の見せ所だ。第1セット後のインターミッションで、監督は何らかの方法で日本選手を落ち着かせることに成功したらしい。第2セット、日本は驚くほど冷静さを取り戻していた。9−6と3点差、13−9と4点差。ゴッツのフェイク、山本の1枚ブロックポイント……いずれも状況を瞬時にみきわめないとできないプレイだ。もちろん、クイックA・B・C・Dにバックアタックを加えたコンビネーションも発揮。スコアは25−13だった。セットカウント1−1!
波に乗る日本、相変わらずミスの多いアルゼンチン。第3セットも11−6と楽勝ムードが漂う。だが、一発のプレイがきっかけに流れが変わるのがバレーボールというスポーツだ。この時は、サーブレシーブのミスがきっかけだった。あれよあれよという間に11−11。だが、ここでまた植田マジックが炸裂する。越川に代えて起用されたのは、他でもないキャプテンの荻野だった。
筆者は再び72年を想起する。あの準決勝の対ブルガリア戦、1,2セットを連取され、第3セットも大きくリードされた日本を救ったのは、キャプテンの中村祐造とベテランの南将之だった。この2人のことを松平康隆監督(当時)は「中村は練習のまとめ役、南はおとりのジャンパー」と言っていたが、それは正に世界を欺く虚言だったのである。大会後、松平監督は「本当は南は消防車、中村は救急車」と言っていた。いつもしっかり整備しておいて、ここ一番では確実に火消しを務める役割だというのである。事実、この2人は準決勝の逆転勝ちの立役者となり、決勝でも活躍している。
話を21世紀に戻そう。荻野は正に、36年前の中村と同じ役割を果たした。ウィングスパイカーの荻野だが、レシーブにも貢献。何より精神的支柱を得た日本は、4連続得点! これで日本はペースを取り戻した。Bクイックをおとりにさらに大外からマーカーギリギリに叩き込む山本の大技。サービスエースを決めたゴッツならではのガッツポーズ。場内は大興奮だ。25−19! 日本は第3セットも奪い、いよいよ北京に大手をかけたのである。
第4セット、日本は越川に代え、引き続き荻野をスタメンで起用した。立ち上がりアルゼンチンの強打とフェイントを織り交ぜた攻撃に苦戦を強いられた日本は、6−8とリードを奪われた。10−11、競った場面でセッターを朝長から宇佐美大輔に代え逆転のチャンスを狙った日本。しかし、後を追う展開の日本はどこか空気が重くミスが目立ち始め、14−19と大きく点差を引き離された。そこで再びセッターを宇佐美から朝長に戻し、建て直しを図ったが、集中力の糸が切れたような日本は終盤までミスが目立ち、17−25で第4セットを奪われた。
勝負の第5セット、立ち上がりから石島のフェイント、山本の強打が決まり流れに乗った日本。しかし対するアルゼンチンも一歩も引かず前半から激闘となった。強気に攻め続けた日本は山本のサービスエースが決まり7−3、リードを奪った。しかし、8−5からエルナンデス,マルティンのサービスエースが決まり8−6、日本は徐々に点差を詰められた。だがその後、松本がポルポラトのスパイクを連続して止め、11−7、流れは日本に傾きかけた。しかしアルゼンチンも必死の反撃で再び点差を詰め、13−12。苦しいこの場面で松本に痛恨のスパイクミスが出て、13−13と並ばれた。試合は再びデュースにもつれこみ、14−14から山村がブロックを決め、15−14。しかし、ここからが一点を争う展開。18−18からアルゼンチンが痛恨のサーブミスを犯し、19−18。最後は荻野がスパイクを決め、20−18、セットカウント3−2で日本はアルゼンチンに勝利し、見事北京オリンピックの出場権を獲得した。
スタジアムDJは「しばらくここを動きたくない気分です」と言っていたが「ミュンヘン世代」の記者もまったく同感だった。この現場に立ち会えたことを本当にうれしく、誇りに思う。何より、あの時はTVで見るしかなかったバレーボールだが、今回はブースターとして選手と共に戦いに参加できたのだから。
さて本大会、植田監督は「メダルを狙います」と言ったが、はっきり言ってかなり難しいだろう。だが、あきらめる必要はどこにもない。繰り返すが、今回の日本代表はあの72年のチームと比べても見劣りはしないと思われるのだ。そして奇跡は、神様ではなく、鍛え抜かれた人間が起こすものなのである。
