「作法など気にせず、どうぞ、ご自由に召し上がってください。」
私が月釜や出前茶屋でよく使う言葉です。
月釜には、表千家、裏千家、宗遍流、速水流、石州流、我流などなど
いろいろな茶道の流派の方がいらっしゃり、席を共にする。
もちろん、初めての方もいらっしゃいます。
楽茶碗で濃茶をお出ししても、
・帛紗を使わなかったり、使わなかったり、
・茶碗を手渡しで渡したり、一度、置いたり、
・挨拶をしたり、しなかったり・・・・
流派によってマチマチです。
まあ、当たり前のことで、作法等がまったく同じだったら、
流派を名乗った意味がないのかもしれません。
「我流でどうぞ、」
ところが、こういった席では“お客様の戸惑い”が生まれます。
老人ホームでは、抹茶茶碗での飲み方をご紹介しても、
紹介通り出来る方、出来ない方がいらっしゃるので、あまり、キチンとは飲み方について口出しをしないことにしていました。
ところが、先日の老人ホームへの出前茶屋でスタッフの方からこうアドバイスをしていただけたのです。
「ご老人方は、どう頂いていいかわからなくて不安なんです。
昔、茶道を嗜んでいらしてご存じの方でも、これで正しいのか不安に感じられるのです。
こういった席では、“不安”があると、楽しめないものです。」
ところが、こんな事をおっしゃる方もいます。
「月釜などでは、お客ぶりに上手くゆかない方がよい。
今日は上手くゆかなかったから、今度こそは!と。
そこに、茶席の緊張感と自己啓発が生まれます。」
お客様、時と場所によって、変えてゆかなければならないのでしょうが、
「どうぞ、ご自由に、」という言葉は、意外と厄介なものです。


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