千宗易の茶の師ともいわれる武野紹鷗(1501-1555)は、
南宗寺の大林宗套
(そうとう)禅師が紹鷗居士の肖像に
「宗門更に転ず活機輪。
料知す、茶味と禅味の同じきを。
松風を吸尽して意
(こころ)未だ塵ならず。」
と賛を与えられほど「茶禅一味」をとなえた茶人であります。
その武野紹鷗は当時、堺衆の誰よりも多い60もの名物といわれる茶道具を所持していたと言われています。
そして、その名物を茶席で生かすために、青竹の蓋置や木地曲建水を工夫いたしました。
一見、高価な名物茶器と禅とは少々アンバランスな気持ちもいたしますが、
茶会でも道具の取り合わせの参考にはなりそうです。
さて、先日 茶席を始めては体験するという男性に茶の湯の魅力を見いだしていただく意図で「お茶の飲める坐禅のようなものです」と説明をいたしました。
茶の湯にはいろいろな魅力が存在しているようで、
日本文化のポータルサイトといわれたり
おもてなしの心や礼儀作法の習得、
もっとも日本的個性をもつ、癒しの世界などといわれたりもしておりますが、
私は禅をその基幹に据えた”心の世界”と”美意識”に魅力を感じております。
茶席のしつらえや所作、閑話の中にその意識を取り入れ、私の茶のアイデンティティとして表現出来るようにいろいろ勉強し考えていきたいとおもいます。
「そんなこと意識するからダメなのよ! だから、不自然であなたの茶は固くて、不味いのよ。」
「いろいろ考えすぎなのよ!」と言われてしまいそうですが、
まあ、考えないよりか考えてコツコツ積み重ねるのも一つの方法かなぁと思いまして

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