
馬車道駅を出てすぐにある旧横浜生糸検査所、立派な建物です。埼玉県児玉出身の生糸商人・原善三郎が創設しました。本牧にある三渓園は彼の邸宅でした。輸出生糸の品質がバラバラでクレームが絶えなかったことから、この検査場を通したもののみ輸出するようにしました。大正15年築。戦前の横浜の公共建築で最大で遠藤於菟の晩年の作。繭や蛾・桑の葉のレリーフがあちこちに見られます。生糸輸出に国運をかけていた当時がしのばれます。

上の建物の生垣には繭玉の形のデザインが。戦前の公共建築にはこんな余裕があったのですね。

赤レンガ倉庫の「S・SHOBEY椎野正兵衛商店」で横浜シルク商品の由来、歴史を解説していただきました。初代正兵衛は安政の開国とともに絹の輸出にかかわっていましたが、素材としての生糸輸出のみではなく、日本の捺染技術や日本画のデザインを利用した絹製品を開発し、欧米で人気を博し、横浜のシルク製品産業の基礎を築きました。世界で初めて絹のハンカチを売り出したのです。当時は「色絵手巾」と呼ばれていました。
話はとびますが、フジイが英国人と一緒に働いてはじめに驚いたのは、あちらの方はハンカチで鼻をかむこと。乾燥しているのですぐ乾いてまたかみます(笑)。ポケットティッシュなどは普及していません。道を歩いていてティッシュを無料でもらえるのは日本ぐらいでしょう。(デパートでも包装紙や紙袋はないし、欧州では紙を使い捨てにすることは殆どありません)
明治時代の柄を復刻したショール。ドレスにも着物にもぴったり。当時盛んに作られた外国人お土産用の横浜陶器の絵付師が柄を手がけていたこともあるそうです。欧州でのジャポニズムブームはアールデコにも影響を与えました。
これらは2002年に椎野商店の4代目が15年をかけて復刻(大震災や戦災で昔のデザイン帳などは消失。その一部分が最近発見された)。「今復元しないと、もう、日本の蚕糸、生糸、手染め捺染の技術がなくなる」という危機感のもと横浜伝統の品を再び作り始めました。昨年の洞爺湖サミットで各国首脳へのお土産としてこちらの風呂敷が使われたそうです。いつの時代も作り出す意義をもち「ものづくり」に挑戦してきた先人がいます。西洋の真似ではなく、和魂洋才でオリジナルのものを作る、そんな姿勢に強く惹かれます。
横浜っ子は身近に身につけられる、こんなおしゃれな地元ブランドがあって幸せですね。特に男性は欧米ブランドのネクタイをするより、国産生糸、横浜の技術を駆使したこちらのネクタイをするほうが格好いい。購入することで地場産業の復興に貢献できるということは、ものがあふれているなかで大切にしたいものに出会える貴重なチャンスではないでしょうか。
私たちが手がけている、埼玉ブランド繭いろどりの無地紬に、ここのスカーフ地で帯や小物ができたら素敵ですね。羽裏でもすてき。(エルメスのスカーフ2枚でつけ帯ができるので)
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