3日目の天候は快晴でした.日本同様にさわやかな秋空です.
この日は現地ツアーに参加して,万里の長城と明の十三陵に行って来ました.私は生来の団体行動嫌いで,ツアー旅行というものが大の苦手です.そのため,海外に行くときは,いつも航空券と宿泊予約だけで完全な単独行動を貫いています(新婚旅行だけはツアーにしました).
しかし,現地の観光で困るのが,郊外の観光スポットへの移動です.日本発のツアーであれば,バスなどでの集団移動がセットになっていますが,私のような個人旅行者は,自分で移動の足を確保しなければいけません.北京は,市内であれば公共交通機関が発達しており,移動に困ることはありませんが,さすがに市内から遠い万里の長城や明の十三陵へ公共交通機関は使えません.
そのような場合は,現地ツアーを利用するのが合理的です.大き目のホテルは,ツアーデスクを設けている場合がほとんどです.しかし,私は日系のツアーで大失敗をしたことがあります.昨年,CanadaのBanffを訪れた際に,JTBの現地ツアーに申し込んだところ,何とそのツアーは,日本からのツアー客のスケジュールにあわせて,大型バスの空席に現地ツアー申込者を潜り込ませるやり方でした.
そのため,日本からのツアー客は,仲良しグループや引退した団塊世代,新婚カップルでイチャついている連中などばかりで,非常に肩身が狭く,不愉快な思いをしました.本当に,日本人は集団行動が好きなんですね・・.
そこで,今回は欧米人向けの英語ツアーに参加しました.もともと私は英語現地ツアーに参加するスタイルを貫いてきました.昨年のCanadaだけが例外でしたが,やはり失敗というか後悔しました.
2004年にFIJIへ祐気とりに行った際も,現地英語ツアーに参加して,総勢5名の少人数で観光しました.欧米からの観光客は,原則として個人行動が基本で,集団で観光地巡りをすることは稀です.そのため,いつも少人数の現地ツアーとなります.イタリア観光では1日券の購入で,何度でも乗り放題の観光地巡回バスを利用しました.
さて今回の北京3日目は,Novotelのツアーデスクで,英語ツアーによる万里の長城と明の十三陵を巡る1日コースに参加しました.参加人数は,総勢8名です.運転手1名ガイド1名(英語をしゃべる中国人),米国人男1名,ドイツ人と思われるカップル2名,国籍不明の白人男1名,国籍不明の白人女1名,国籍不明の高齢白人女性2名,そして日本人の私1名です.
まずは明の十三陵です.その前に明の成立についておさらいしましょう.貧農出身の朱元璋(太祖・洪武帝)は,南京を根拠に長江流域の統一に成功し、1368年に明を建国しました.洪武帝は建国するとただちに北伐を始め、元の順帝(トゴン・テムル・ハーン)は大都(北京)を放棄して北に逃れ、万里の長城以南の中国は明に統一されます.江南から誕生した王朝が中国を統一したのは明が初めて、唯一だそうです.
実は故宮(紫禁城)も十三陵も明の遺構です.北京の街も,元が整備した大都を三代皇帝の永楽帝が改造,造営したものです.後世の歴史家は,これらの遺構を学術的な観点から論考していますが,学者の説を鵜呑みにするのは一面的に過ぎます.
例えば,十三陵はなぜこれほど大規模であり,なぜこのような場所に存在するのか.日本でも仁徳天皇陵のように,歴代の権力者は,墓の造営に著しい労力を割きました.学者は,「権力者が自分の権威を示すため」などともっともらしい説を唱えていますが,これは理由がわからないからこじつけた仮説に過ぎません.
明王朝にしろ,日本の天皇陵にしろ,徳川家康の日光東照宮にしろ,大規模な陵墓造営の理由は,風水にあります.正確には陰宅風水と称します.自分の直系の先祖の陵墓を風水的な法則に遵って造営すると,その子孫は長らく権力を維持し,運気は向上して一族が繁栄するとされています.そのため,明の皇帝や日本の天皇家は,多大な労力をかけて陵墓を造営したのです.
ここで明王朝成立の秘話をご紹介しましょう.明の太祖はご存知,朱元璋です.朱元璋の祖父は,ある富豪の使用人をしていたそうです.その富豪は,財産をはたいて風水師に依頼し,墓を造営する上でまたとない風水スポットを探してもらいました.そのようなスポットのことを龍穴と称します.何年もかけて,風水師は最高の龍穴を探し当てました.富豪は,墓を造営し,自分の先祖の遺骸をその墓に埋葬しようとしましたが,その理由を知った使用人の朱元璋の祖父は,こっそりと自分の父親の遺骸と入れ替えて埋葬してしまいました.やがて,そのことは富豪の知るところとなり,富豪は烈火のごとく怒ったそうです.しかし,すべて後の祭り.仕方なく,富豪は自分の娘と使用人を結婚させ,子供をつくらせます.子供が出来た後に,富豪は使用人を殺してしまおうと考えていたのです.
やがて子供ができて,使用人の朱元璋の祖父は,身の危険を感じて逃亡します.やがて時が流れ,元王朝は衰退し,中国各地で紅巾軍の乱が起こります.その紅巾軍の将の1人が朱元璋だったのです.朱元璋は祖父の影響を多分に受けたのか,徹底的に風水にこだわった行動をとります.
朱元璋は,部下であり風水の名師でもあった周徳興に全国の風水スポットを破壊させました.敵対する勢力が生まれでてくることを防ごうとしたのです.さらに,自分が生きているうちに南京の最上の風水スポットに陵墓を造営します.それが孝陵です.
明孝陵(みんこうりょう)は中国の南京の東にある紫金山の南麓に位置にある明の太祖洪武帝朱元璋と后妃の陵墓。現在は北京の明の十三陵とともに、世界文化遺産である。この陵墓は蒋山寺と呼ばれていた霊谷寺を移転し、その地に造営された。造営には25年の歳月が費やされた。(Wikipedia)
第二代皇帝は朱元璋の孫の建文帝です.しかし,叔父たちと不仲となり,やがて北京を中心に北方の防備を担っていた洪武帝の四男燕王が反乱を起こしました(靖難の変).1402年、燕王は首都南京を占領して建文帝から帝位を簒奪し自ら皇帝に即位しました.これが永楽帝です.永楽帝の即位により、政治の中心は再び北京へと移ったのです.
この永楽帝は,父の朱元璋を見習って,徹底的に風水にこだわります.永楽帝の陵墓が十三陵の1つである長陵なのです.北京の街つくりも紫禁城も完全な風水理論で造営されています.明の280年の歴史は,このような緻密な風水理論も関係しているのです.
前置きが長くなってしまいました.写真は,十三陵の全体図です.これを見ると,陰宅風水の法に適った配置がなされています.最上のパワースポットは,山の尾根に囲まれる部分に存在します.写真の長陵はまさに,その最上の部分に位置しています.日本で十三陵に匹敵する陰宅風水スポットは,日光東照宮です.徳川250年の歴史も日光にあるのです.
移動途中に翡翠の工場と販売センターに立ち寄りました(ツアーに組み込まれている).翡翠は中国では欠かせない伝統的な石であり,「玉」とは翡翠のことを指します.こんな大規模な工場は初めてみました.いろんな形に加工された翡翠が所狭しと展示してあります.鮮やかな黄色の翡翠は,黄翡翠と呼ばれ,商売繁盛の効果があるそうです.水晶工房さんでも黄翡翠は取り扱っています.
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工場見学の後は昼食です.中華料理のオードブルです.味はそこそこでしたが,私は中華料理があまり好きではなく,腹7分で止めておきました.写真に写っているのはツアーに参加した仲間です.
次は万里の長城です.一番有名な八達嶺は激混みなので,ガイドの判断で居庸関に向かいました.
居庸関(きょようかん)は万里の長城上に設けられた関所兼要塞.「天下第一雄関」とも呼ばれ、難攻不落の九塞に数えられた.明代以前の北京の最終防衛線であったため、この付近の長城は何重にも複雑な建造となっており、居庸関はその最も内側に位置する.(Wikipedia)
この長城は大変な急傾斜であり,ちょっとした登山です.頂上まで1時間くらいかかります.私はツアー客8人の中で唯一の東洋人,日本人であり,日本人の意地を見せるために,頂上に一番乗りしました.その昔,三国時代の呉の甘寧が,魏の城を攻めたときに敵の城に一番乗りで這い上がり,「甘寧,一番乗り」と叫んだそうですが,私も頂上に着いたときは,そんな気分でした.
頂上から俯瞰していると,「泣いて馬謖を斬る」の馬謖を思い出しました.
蜀の諸葛亮は第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭(甘粛省安定県)の守備を命じた(街亭の戦い)。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。
その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫すこととなる。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、馬謖及びその配下の将軍である張休・李盛を軍規に基づいて処刑した.(Wikipedia)
この居庸関は,上から眺めると,なるほど難攻不落の地形です. 戦に地の利は欠かせませんが,ここは狭い峡谷になっていて,何重にも柵を巡らせて迎え撃てば,いかに大軍で押し寄せようとも,そう簡単に突破されないでしょう.馬謖は功を焦ってしまったのでしょうか.
万里の長城の帰り道にオリンピックスタジアムを通り抜けました.とにかく規模が大きいです.近代的なビルや施設が広い敷地に配置されていて,東京のお台場を数倍の規模にしたような印象です.
ホテルへの帰路にお茶屋さんに寄りました.案内嬢がお茶入れの自演をしてくれます.さすがに淹れ立てはおいしく,中国はお茶文化の国であることを実感しました.釣られてお土産用に買ってしまいました.
ホテル到着は18:00です.この日はある場所に行くことを決めていました.それは,北京の温泉です.正式名称を魔力聖匯北京温泉会館といいます.ホテルでタクシーに乗り,運転手さんに住所と名称のメモを渡して,連れて行ってもらいました.日本も中国も漢字文化を共有しているので,こういうときに便利です.
いざ館内に入って入浴しようとしましたが,ここで大問題です.言葉が通じません.日本語も英語もダメです.そこで受付の人が奥から従業員を連れてきました.その人だけは英語が堪能で,ようやく意思疎通できました.
靴を預けてロッカールームへ案内され,そこで全裸になります.腰巻をあてがって,浴室へ行くと,庭園のような浴場が広がっています.お湯はやはり無色無臭です.お湯を上がって,2階の食堂へ行きたいと告げると,浴衣を着せてくれます.2階は食べ放題のビュッフェがあり,中華料理から日本の刺身,蕎麦まで何でも選べます.しかも客席は,結婚式場のホールのように立派です.味はなかなかのものです.
結局,日本のスーパー銭湯の文化を真似たものです.基本料金は158元(2370円)です.客は地元の富裕層がほとんどで,私のような観光客は皆無でした.祐気の吸収に役立ったかどうかは(?)です.
つづく

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