北京第2日目の天候は曇り.大気汚染のせいか,空気も淀んでいる気がしました.北京は1年を通して寒暖の差が激しく,夏は蒸し暑く,冬はマイナス15度に達するくらい寒いそうです.春には強い風が吹き,黄砂が街を覆います.Bestシーズンは秋で,カラリと晴れて清々しい日が比較的多いとされているようです.
まず観光地の紹介の前に,宿泊したホテルをご紹介しましょう.今回宿泊したのはNovotel新僑飯店という外資系ホテルです.
楽天トラベルでホテルを予約しました.楽天のプランでは,3段階の部屋のグレードが選べたのですが,どうしてもバスタブ付きにしたかったので,中グレードのプランにしました.1泊9700円くらいです.
私が,このホテルとバスタブにこだわった理由は1つ.それは客室に天然温泉が供給されているからです.吉方位で温泉に入ると,吉効果が倍増します(凶方位だともちろん凶効果が倍増する).北京は火山が存在しないので,地下から動力ポンプで汲み上げるタイプの温泉が多いです.
このノボテル新僑ホテルも地下から温泉を汲み上げて客室に供給したり,地下のサウナ施設の浴室に利用しています.
お湯は無色無臭で,温泉なのか湧水なのかわかりません.これまでの経験上,温泉は草津のように強く濁っているほど効果が強い気がします.2006年にイタリア中部の温泉に入浴した時は,劇的な効果を体感しました.その温泉はローマ法王も入浴したという歴史ある温泉で,泉質は草津と似ていました.
参考 「祐気とり旅行記 その11」
http://green.ap.teacup.com/kyusiro/194.html
このノボテル新僑ホテルは,地下鉄2号線崇文門前駅の正面に存在し,大変アクセスの良い立地です.もともとこのあたりは,清朝末期に欧米列強が土地を支配して大使館を置いた場所です.その名残で,今でも外資系の大きなホテルが多い場所なんだそうです.これから逐一解説しますが,現在の北京を語る上で,清朝の影響は非常に強いです.北京は「共産党の首都」ではなく,清王朝300年の都なのです.
さて,2日目は,かの有名な天安門広場,故宮博物院,北海公園を見て回りました.何と天安門では,中華人民共和国成立60周年記念のイベント真っ最中でした.
おかげで中国全土から観光客が押し寄せ,天安門広場は大混雑です.今,北京では外国人観光客よりも,中国人観光客の方が多いそうです.考えてみれば,13億人の人口のうち,その1%が訪問しただけでも1300万人となります.中国の地方都市から来たツアー客は,同じ色の帽子をかぶり,ガイドに引率されて観光します.しかし,彼らは本当にうるさいです.常にガナリ声で叫んでいます.彼らは「ささやく」という言葉を知らないのでしょうか
広場では各省の山車のような飾り付きの乗り物が展示され,中心には巨大なスクリーンが配置されて,共産党の偉大さをPRするプロパガンダ映像を延々と流していました.
写真の左がチベットの山車,右が雲南省の山車です.人民解放軍の兵士が警備しています.北京の街中には,非常に多くの武装警察や公安警察,解放軍兵士が警戒の目を光らせていました.よほど治安対策に神経質になっているのでしょう.大きな交差点には必ず交通監視員がいて,公安のパトカーも配置されていました.
この手のプロパガンダは街中のいたるところで見受けられました.地下鉄の中のテレビ,駅のポスターなど,共産党の正当性を示す宣伝に溢れていました.そもそも中華人民共和国は,国共内戦に勝利した共産党が,1949年に共産主義の理想を掲げて建国したのですが,その後の大躍進政策,文化大革命などで何千万人及ぶ犠牲者を出し,70年代後半にトウ小平が改革開放を打ち出した頃から発展の兆しを見せ始めました.80年代は天安門事件で躓きましたが,90年代から2000年代にかけて爆発的な経済成長を遂げました.
実は文革の時点から,共産党は中国を支配する大義も理念も正当性も失っている状況だったといえましょう.何千万人もの犠牲者を出して,中国全土を混乱に陥れた共産党は,国内においては人民の支持を失い,外交においてはソ連と決定的に決別し,行き詰っていたのです.
そこで周恩来は米中接近を演出し,日本とも国交を結んで,外交の大転換を図ります.この作戦は成功し.その後の改革開放路線ともうまくリンクして,中国はようやく発展段階に入ります.
しかし,考えてみればおかしな話です.経済発展によってどんどん貧富の格差が進み,一部の大都市住民は世界の富豪に肩を並べるまでになったのに,内陸の農村では,人民はいまだに貧しく,搾取の対象となっています.これでは共産主義の理想と正反対です.一体誰のための,何のための「共産党」なのか?
そして大躍進と文革の総括および反省はないのでしょうか? 結局,現在の共産党政権は,一部の特権階級が,既得権を守るために存在しているようなものです.理念など全く無関係です.
天安門事件の処理に困っていた江沢民は,共産党の既得権を失わずに,13億の人民に政権の正当性を示すために,「反日」をスローガンに掲げて乗り切ります.つまり,共産党は抗日戦線で勝利し,中国人民を統治する正当性を有するのだいう論理です.反日教育は徹底され,中国人民の目は一時的に共産党政権から日本へとそらされます.
しかし,そんなインチキな仕掛けは長続きしません.2005年の上海反日暴動は,反日に名を借りた共産党北京閥に対するデモへと変質し,そらされていた人民の目は再び政権へ向くようになりました.折しも,貧富の格差,地域間格差,少数民族問題など,共産党政権の存立を危うくする問題が噴出し,現政権は有効な手を打てず,行き詰りを見せています.
そのような現状を打開し,人民の目をそらす仕掛けとして,2008年の北京オリンピック,今年の60周年記念式典が利用されたわけです.これらのイベントにおける中国政府の異常な熱の入れ方や,厳重な警備,徹底したプロパガンダは,このような長年にわたる複雑な背景が関係しているのです.
そんなことを考えながら,私は故宮博物院を見学しました.
故宮は元がつくったものを明の成祖永楽帝が1406年から改築し、1421年に南京から北京へ都を遷してから清朝滅亡まで宮殿として使われた。
1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失したが、李自成の立てた順朝を滅ぼし北京に入城した清朝により再建され、清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住するとともに政治の舞台となった(Wikipedia)
これは太和殿です.紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝の即位式や万寿節(皇帝の誕生日)、結婚、それに元旦や冬至などを祝う時と重要な朝会、筵宴、出征、そして皇帝の葬儀など宮廷の重大な式典を行った最も重要な建物だそうです.
乾清宮の玉座です.清朝の威光が随所に感じられます.もともと北京は蒙古のフビライハーンが元朝の都として造営したことで,世界帝国の中心都市となった歴史を有します.その後,明の永楽帝,清朝と都は引き継がれ,現在は中国の首都となっています.
つまり,北京は「モンゴル人」や「満州人」の都であり,彼らが支配したからこそ,中国は世界に冠たる強大な国家となったのです.現在の漢民族を中心とする共産党政権は永遠の都である北京を治めるには役不足です.
つづく

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