4日目も快晴でした.この日の観光スポットは,頤和園と天壇公園です.
頤和園の前身は清漪園である.1884年から1895年(光緒9年から10年)にかけて西太后の隠居後の居所とすべく光緒帝の名により清漪園の再建が命令された。しかし経費の問題より修復は前山建築群に限定されたが、その造営は日本と軍事的緊張が高まり軍備増強の歳出を必要とする清朝には大きな負担となったが、北洋艦隊を整備する海軍予算を再建費に流用していたことで日清戦争敗北の原因の一つとなったと言われる程、国庫を圧迫するものであったが、庭園は再建され頤和園と改称、離宮とされた西太后の避暑地に利用された(Wikipedia)
さて,この頤和園は日本と因縁浅からぬものがあります.それは日清戦争です.朝鮮に対する支配権を巡って,日本と清の間で起こった戦争ですが,結果は皆様ご存知の通り,日本の圧勝です.私は韓国の李明博大統領を誘って,ソウルに「日清戦争勝利記念碑」を建立すべきと思います.
その理由は,@ 日清戦争は朝鮮を中国2000年の冊封体制から開放した A 朝鮮が日本から近代化を受け入れるきっかけとなった B 日本が安全保障を担うことで,朝鮮人民の血が流れ,朝鮮半島が戦場になる悲劇が避けられた(日本が朝鮮から手を引いた途端に,米中ソによる朝鮮戦争が勃発した.いかに日本が朝鮮の平和に重要な役割を演じていたかを雄弁に物語っている)
話がそれました.頤和園と日本の因縁に戻ります.頤和園は1860年の第二次アヘン戦争で英仏連合軍に破壊されてしまいましたが,その後,西太后が海軍の軍費白銀3000万両を流用して,避暑宮として再建,名を現在の頤和園と改めました.ちなみにこの時の海軍費流用は,日清戦争で清国の北洋艦隊が日本の連合艦隊に敗れた原因の一つと言われています.
つまり日清戦争勝利の原因に西太后による軍金流用があったのです.そして流用して整備されたのが頤和園です.西太后は中国三大悪女の1人で,近代中国が欧米列強に蹂躙され,著しい国の衰退を招く原因をつくった張本人です.
日清戦争後に,清朝では日本の明治維新に倣って,近代化の動きが起こります.皇帝の光緒帝は1898年に体制の抜本改革を宣言して,近代化への道を模索します.これを戊戌の変法と言います.西太后は当初は改革の推移を見守っていましたが,改革に好意的と見られていた袁世凱が改革派を裏切り,改革派が進めていた西太后幽閉計画を密告したことにより,西太后はこれに先んじてクーデターを仕掛けることを決意します.
光緒帝は幽閉され,改革派は処刑されたり,日本へ亡命しました.なお,中国の明治維新運動である戊戌の変法の裏に日本の伊藤博文が存在したという説もあります.実際,戊戌変法の間、伊藤博文が中国を訪問していたのです.伊藤はもともと,近隣アジア諸国に明治維新を移植して,アジアが近代化することで,ともに欧米列強に負けない体制を構築しようと考えていたといわれています.
ところが・・・
その伊藤の真意を曲解し,目先の浅知恵で中国および朝鮮を三流国家に貶めたのが,西太后であり安重根なのです.改革の芽を摘まれた清朝は徹底的に落ちぶれ,やがて義和団の乱により北京占領という事態を招きます.このとき,欧米列強の8カ国連合軍の中心となったのが日本です.日本は8か国中で最大の派兵を行い,北京と紫禁城を解放しました.現在の頤和園内には,このときに日本の将兵や列強の兵士が頤和園を散策している写真を展示している部屋があります.
そんなことを考えながら,頤和園を探索するのも乙なものです.しかし,政治の荒波を離れると,この頤和園は本当に気持ちの良いところで,清浄で穏やかな気が満ちています.とても気に入りました.
次は天壇公園です
天壇公園は,明の永楽帝が建立したとされています.明清時代の皇帝が天に対して祭祀を行った宗教的な場所(祭壇)です.さすがに永楽帝が建立しただけあって,風水思想に則った設計を感じます.祈念塔内部には,位牌のようなものを祀ってあります.中国は祖霊信仰が盛んであり,王朝の重要な行事でもあるのでしょう.
皇帝が天に祈る圜丘壇の中心に,天心石という円形の石があり,上に乗って叫ぶと,その声が天に届くといわれているそうです.ここでは中国人観光客が列をなしていたので,登ることができませんでした.もし天に叫ぶことができたなら「フリーチベット!」と叫びたかったです.
これは,北京の地下鉄2号線の車内です.2号線はかつての城壁に沿った路線なので,環状構造であり,駅名も「○○門」というような城門の名前を流用している駅が非常に多いです.北京の地下鉄は,1号線が最初であり,日本のODAが北京地下鉄に多大な貢献をしています.
現在においては,どの路線も最新型の車両が導入され,冷房完備,電光掲示,自動改札システムなど,最先端設備を取り入れています.運賃は,どこまで乗っても一律2元(30円)です.これは安い! しかも改札はICカードタイプで,手かざしでスルーできます(システムを納入したのは日本の電機メーカー).オリンピック前に,北京の地下鉄はどんどん新規路線が開通し,市内は網の目のように地下鉄網が整備され,主要な施設には駅が併設されているので,とても便利です.
地下鉄の次におススメなのが,タクシーです.北京市のタクシーは,かなり厳格に管理されており,車体はツートンカラーで,車内には,顔写真入りで許可証が掲載されています.いわゆる「白タク」も存在しますが,相場は正規の倍の運賃です.今なら正規タクシーはどこでも拾えるので,白タクに用はありません.
市内の観光地までホテルからタクシーで移動した場合,たいてい20元以下(300円)で済みます.かなり安いです.市内から空港までは,高速道路代を含めて100元(1500円)程度で済みます.市内の道路はラッシュ時には渋滞しやすいですが,もともと碁盤の目に沿って整備された町並みであり,道路も日本よりはるかに広いです.名古屋市に通称100m道路と呼ばれる大きな道路がありますが,それに匹敵するような広い道路が多数網羅されています.
建物も,人権無視の中国では,強制立ち退きなどで,大規模に開発したおかげか,巨大なビルが整然と並んでいます.東京のお台場が延々と連なっているような印象です.ところが,以外にも北京の街には公園や緑が多く,東京よりもはるかに土地と緑に恵まれています.
誠に残念ですが,北京の街を見て歩いて,日本は中国に抜かされることを実感しました.モンゴル帝国の古都である大都(北京)は確かに世界帝国の首都の風格を備えています.北京市の人口は1800万人であり,東京23区の倍以上です(23区の人口は880万人,東京都全体で1300万人,首都圏全体で3500万人程度).
実は,中国の人口No1は北京ではありません.1位は重慶市の3200万人,2位は上海市の2500万人です.重慶は行政範囲が広く,市街地の人口は400万強ですので,実質的に都市としての人口No1は上海です.さらに,上海,南京,蘇州などの長江デルタの人口は8000万人であり,日本の首都圏人口の倍以上であり,日本の総人口の6割以上です.
河北の中心である北京と天津の人口は合わせて3000万人弱です.もう少しで日本の首都圏に並びます.人口がすべてではありませんが,中国の発展が無視できないことは本当です.現に来年には,日本はGDPで中国に抜かれることが間違いありません.
しかし・・・・・
そう悲観することもありません.物事は表面だけではなく,裏面と先読みが欠かせません.
次回「総括 今後の中国」をお送りします

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