2017/1/18  0:00

あたし、アンジェリュス!やり直せるのよ!  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!
今じゃなきゃダメだ、こうじゃなきゃダメだなんて自分で制限をかけていなければ、何度だってやり直すことができるのよ。
もう無理だ、もう手遅れだ、何度やったって同じことなんて諦めの気持ちを捨て去れば、何度だって状況を変えるためにトライすることができるのよ。
自分はこんなものだから、もともと自分はこうだからなんて、自分のまずい点を自己正当化しなければ、何度だって、失敗しながらだって、自分を変えることができるのよ。

もう無理だと思ったら、休めばいいの。
体力や気力が回復したら、再度やり直せばいいの。
無理だと決め込んで諦めるのは、自分のプライドを傷つけたくないためじゃないの?
何度も失敗する惨めな自分を見たくないだけじゃないの?

あたし、何度も失敗する自分って、惨めだとは思わない。
諦めずに成長しようと頑張る強い自分だと思っちゃう。
生きてる限りチャンスがあるんだと知っている賢い自分だと思っちゃう。

諦めなければ、何度だってやり直せるのよ!
受験だって、仕事だって、恋愛だって、何だってやり直せるのよ!



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2017/1/18  0:00

俺、ウィンウィン二世!他所様って。  

俺、ウィンウィン!
昔の日本人は、他人を他所様と呼ぶことがあったよな。
今ではあまり使われない言葉かもしれないけどな。
よそ様という漢字の読み方さえ分からない人が増えてるかもしれないな。

日本人は昔は、家父長制度の中で、家のトップに従って、自分の意思をなかなか持てずに互いに依存していたと思われがちだが、俺、現代の日本人よりマシな部分もあるんじゃないかと思うんだ。
他人のことを他所様と様付けで呼ぶことで、他人を尊重し、それと同時に自分の家と他人の家の区別をつけていたのではないだろうか。
そして、他所様に迷惑をかけてはいけないなどという恥の概念で、自分のエゴイズムの暴走に歯止めをかけていたのではないだろうか。
皆一緒ではなく、家という単位ではあっても、互いの違いを尊重していたのではないだろうか。

どんなに似たように見えても、ひとりひとりの人間は、各々の個性を備えているんだ。
その個性を尊重し、互いの共存を図るためには、他所様という考えも悪くないのではないかと、俺、思うんだが。



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2017/1/18  0:00

僕、エルミット!これからよろしくね!  

僕、エルミット!
僕、去年の7月17日生まれ。
ウィンウィンと同じ誕生日なんだ。
僕のお母さんは、アメリカン・ショートヘアのオール、僕のお父さんはよくわからないけど、セルカーク・レックスのシュエットとスフィンクスのジャン・ポールの間に生まれた誰かなんだ。

僕、最近まで二階の子猫部屋で暮らしてたんだ。
で、少しずつ他の猫達に慣れるようにと、下の部屋に連れて来られたんだ。
連れて来られたと言うよりも、自分で飛び出たようなものかもしれないけどね。
僕の名前は、フランス語で、隠者という意味だけど、引き込もってばかりはいられないよ。
広い世界を見たいと思うのって、若さの好奇心かもしれないけど、当たり前のことじゃないのかな?
人間の中には他人を避けたがる人がいるみたいだけど、僕、とっても不思議だよ。
他人と接触すると、自分のプライドが守れなくなって不安になるのかな?

僕、どんどん視野を広げていくんだ。
大人の猫達に叱られるようなことがあっても、それは僕にとって成長するための栄養なんだ。
いろんなことを知り、時には孤独になってひとりで考え、僕なりに心も体も思考力も伸ばしていくんだ。
せっかくこの世に生まれてきたんだよ、できるだけのチャンスをものにしなきゃね。

これからよろしくね!



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2017/1/17  1:23

あたし、アンジェリュス!子供を上手に叱りたいなら。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!
子供を上手に叱りたいなら、その場のことだけを叱るの。
過去のことを蒸し返したり、過去のこともついでに叱るなんてことは、しちゃいけないの。
また同じことをしてとか、いつまでたっても変わらないなんて叱ってはいけないの。
くどくどと叱ったら、子供は反発するかもしれないわ。
何度も同じ失策をするなんて自分はダメだと、落ち込んじゃうかもしれないわ。
子供の感情を刺激したら、子供は感情に没入してしまって、何を直せばいいかという理性的な判断から離れてしまうのよ。

子供を叱る時に、大人が感情的になってはいけないわ。
感情的に叱るなら、子供に八つ当たりをしているだけよ。
子供は、大人の感情のはけ口ではないの。
理性的に、論理的に、何が間違いなのかを教えればいいの。
どのように改めたら良いのかを、子供に考えさせなければいけないの。

子供が悪いなと罪悪感を見せても、それは反省にはならないの。
罪悪感で終わるなら、感情で終わらせてしまうことになっちゃうの。
反省って、感情ではないの、考えて改めることなの。

これって、子供を叱る時だけじゃないのよね。
大人同士だって、同様よ。



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2017/1/17  1:22

僕、レナトゥス!意思が強いのかな?頑固なのかな?  

僕、レナトゥス!ルネ!
絶対自分はこうするんだと決めている人を見ると、意思が強い人だなと褒めちゃうことがあるよね。
だけど、意思が強いように見えても頑固な人っているんだよ。
で、頑固なのと意思が強いのは、別物だよ。

意思が強い人は、柔軟性があるよ。
他人の意見に耳を傾けることができるよ。
絶対こうすると決めていながらも、必要に応じては違う道をとることができるんだよ。
そして、何かをしようとする時には、自分自身と戦うんだよ。

でも、頑固な人は、他人の意見を拒絶するよ。
絶対こうすると決めたら、他人の迷惑など顧みないよ。
自分の殻にこもっているわがままな子供みたいなものだよ。
そして、自分の思いを通すために、自分を邪魔する他人と戦うんだよ。

何かをしようと決意したら、自分は排他的なのか、柔軟性があるのか、ちょっと考えてから行動してみたら?



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2017/1/17  1:22

あたくし、テレーズ!苦しみを知ったら。  

あたくし、テレーズ!
自分は苦しんできたと主張する人を見ると、あたくし、考えます。
本当に苦しんで、その苦しみを乗り越えようと努力してきた人か、それとも、自分が苦しいと感情をぶちまけて、自分は苦しみならよく知っていると優越感を取りたい人かどうかを考えます。

本当に自分で苦しみ、その苦しみを乗り越えてきた人は、語り方が穏やかです。
他の人が同じ苦しみに合わないようにという配慮を持っています。
その人なりの苦しみを経た知恵が身についているのです。

一方、苦しい苦しいと自分の感情を撒き散らす人は、語り方が大げさです。
苦しい自分というものに酔っているのではないでしょうか。
こんな苦しみを知っているのは自分だけだと、苦しさ自慢をすることで、優越感を抱きたいのではないでしょうか。

あたくし、苦しみは、人様々だと思います。
苦しみを知ることによって、その人の人間的な厚みが増すのではないかと考えております。
しかし、苦しみを自慢したり、苦しみの感情を撒き散らすだけでは、せっかくの成長の糧が失われるのではないかと思うのですが。



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2017/1/16  0:00

あたし、アンジェリュス!ユーモアって。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!
あたし、何でも「そう」、「そう」、なんて頷いている人を見ると、この人は「そうそう行進曲」を奏でているのかななんて思っちゃう。
同意するふりをしながら、自分にとって都合の悪いことを葬り去っているんじゃないかしら。

あたし、黙り込んでいる人を見ると、「沈黙は菌」なんて思っちゃう。
黙り込むことによって、自分の責任を他人にばい菌のようにばらまいたり、自分の感情を細菌のようにばらまいているのかなと思っちゃう。

あたし、一人で喋りまくっている人を見ると、この人は、どんな動物かなと想像しちゃう。
ジージーうるさい夏の蝉なのか、蝿なのか、甲高い声で叫ぶような虫なのか、勝手に想像しちゃう。

ストレスが溜まるなら、ユーモアの能力を使えばいいのよね。
ユーモアって、行き詰まった時に、余裕を作り出し、物事を客観視する力を持っているのよね。



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