2017/9/22  0:00

あたし、アンジェリュス!あたしの祈り。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!
アッシジの聖フランシスコは、「神よ、私をあなたの平和の使いにしてください。」と祈ったの。
あたし、そこまでの大きな器にはとうていなれないけど、あたしなりに祈るの。
神よ、あたしを皆のために、皆が自分の価値に気づくように、その道具としてお使いくださいって、祈るの。

あたし、自分のことを無価値だと思っている人を見ると、悲しくなる。
特に、自分の価値に気づかず、世の中から見捨てられたような孤独感の中で死んでいく人を見ると、寂しくて悲しくてたまらなくなる。
これは、あたし自身の不安の投影かもしれないわ。
だけど、あたし、どんな人にも自分の命の尊さを忘れて欲しくないの。

生まれてきたからには、そこには何らかの意味があるの。
どんなに人付き合いの悪い人でも、その人の存在は、必ず誰かに影響を及ぼしているの。
必ず誰か他の人との繋がりがあるの。

どんな人でも自分の価値を知り、もしくは、自分の価値を作り出すために生きている時間を使い、自分の人生には意味があったと気づいてからこの世を去ってほしいと、あたし、心から願っているの。
これが、あたしの祈りなの。



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2017/9/22  0:00

僕、レナトゥス!言葉って。  

僕、レナトゥス!ルネ!
シェークスピアの『ハムレット』に《To be or not to be that is a question.》という有名な台詞があるよね。
これの訳としては、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」というのが定着しているけど、かつては色んな訳が試みられたんだ。
「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ。」なんてのがあったり、「世にある、世にあらぬ、それが疑問じゃ。」なんてのもあったりしたんだ。
逐語訳や直訳のようなものから始まり、話の内容に相応しい訳にだんだん変化していったようだね。

ところで、誰かの話をしっかり理解したかったら、一つ一つの言葉だけにとらわれていたらいけないよ。
一つ一つの言葉にだけ重きを置いたら、揚げ足取りのようなことになってしまいかねないよ。
言葉は、文脈の中で理解しなければいけないんだ。
文、段落、話全体の中での位置付けで、一つ一つの言葉のニュアンスを理解しなければいけないんだ。
気になる言葉だからとか、難しい言葉だからとか言って、一つの言葉にこだわっていたら、話全体の意味がわからなくなっちゃうよ。

誰かが口にした一つ二つの言葉を取り上げて分かった気になっている人を見ると、話を全体として理解しているかどうか疑問になることがしばしばあるんだけどな。
早とちりみたいだと、僕、思っちゃうよ。

相手の話をしっかり聞くって、とても重要なことなんだよね。



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2017/9/22  0:00

私、ディアーヌ!気が強いって。芯が強いって。  

私、ディアーヌ!
私、気が強い猫と言われています。
でも、私、芯が強いのです。
私、気が強いと芯が強いとは違うと考えています。

気が強いとは、一種の防御反応です。
周りを敵と見立て、周りに負けまいと戦おうとする心構えではないでしょうか。

いっぽう、芯が強いとは、自分との戦いです。
気弱になることがあっても、自分の意志を貫くために、自分の弱さと戦うことではないでしょうか。

気が強いと周りから貶されるように言われる人の中には、本当は芯が強いという人が混じっているのではないでしょうか。


私、餌が出されると、周りの猫をぶっ叩いて、追い払って食べます。
これは、気が強いのではありません。
食欲という私の本能行動を守るための芯の強さの表れなのです。
うふっ!



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2017/9/21  0:47

あたし、アンジェリュス!頑張り続けるなら。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!
頑張り続けると、無理や我慢が必ず生じてくるわ。
でも、無理して我慢していると、自分の辛さや寂しさを忘れてしまうわよ。
長く正座をして足がしびれると足の感覚が麻痺してしまうように、我慢し続けていると心の感覚が麻痺してしまうわよ。

どうしても我慢が必要な時でも、時々自分を休めるの。
ゆっくり休息をとって体を休め、自分にとって楽しいことをして心も休めるの。
どうしても我慢しなければいけない時でも、時々休みを取らなければ、しなければいけないことの能率も落ちるし、体も気持ちも続かなくなるの。

砂漠を旅している駱駝や人間も、オアシスを見つけると休むでしょう?
水を飲んでゆっくり休まないと、倒れてしまうの。

無理している、我慢していると気づいたら、自分でオアシスを探すの。
時々休むということが、頑張りを続けるための秘訣なのよ。



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2017/9/21  0:47

僕、リケ!外側だけじゃ。  

僕、リケ!
社会的地位があったって、その人がそれに見合う人間とは限らないんだよ。
その立場から要求される人間性を備えているとは限らないんだよ。
医者だからといって、皆が人間愛に溢れているとは限らないでしょ?
政治家だからといって、皆が政治や経済に詳しいとは限らないでしょ?

難しい言葉使っていたって、その人がその意味をちゃんと理解してるかどうかはよくよく話を聞いてみないとわからないんだよ。
難しい言葉を知ってるからわかってる気になってる人もいるし、難しい言葉で他人をごまかそうとする人もいるんだよ。
皆がちゃんと言葉を理解して使っていたら、本来の英語の意味とひどくニュアンスがかけ離れた和製英語みたいなものはできなかっただろうね。

肩書や外見に騙されないで。
外見に重きをおかないで。

良い学校を出て、良い就職先を探してなんて、外見にこだわってる親って、子供の内面にどこまで興味関心を抱いているのかな?
外側だけを飾るように育てても、中身が伴わないといけないんじゃないのかな。



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2017/9/21  0:46

あたし、ニノン!世の中が嫌になった時に。  

あたし、ニノン!
あたし、周りの人から非難されたり、肉体的に疲れ果てた時に、自分の信念が揺らぐことがあるの。
こんなことをしていて良いのだろうかと、迷いが生じることがあるの。
自分自身の自信がぐらつくことだってあるの。
そして、自分自身や世の中が嫌になることがあるの。

そんな時、あたし、コルベ神父のことを思い出すの。
コルベ神父って、アウシュヴィッツで亡くなったポーランド人の神父なの。
日本で布教していたこともあるけど、祖国ポーランドに戻った時、ナチスに捕まったの。
そして、アウシュヴィッツに送られたの。
そこで、餓死刑を宣告された囚人の身代わりになることを自ら申し出て、亡くなったの。

肉体的な苦痛や外からの脅迫に屈することなく、自分の正しいと思うことを自分の信念を貫いた人がいるんだということが、あたしの希望になるの。
そして、人間の中には秘められた力があるのだから、自分はそれには及ばなくとも、努力すれば何かができるかもしれないという自分への期待を抱くことができるの。
あたしももう少し頑張ろうと、コルベ神父を目標にするのよ。



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2017/9/20  0:11

あたし、アンジェリュス!ひとりじゃないのよ。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!
責任感の強すぎる人って、全て自分ひとりでやらなければいけないと思い込んでいたりするの。
他人に頼ってはいけない、依存してはいけないなんて自分を戒めて、ひとりで我慢して苦しんでいることがあるの。

だけど、自分ひとりで生きてるわけじゃないのよ。
他の人に協力してもらったっていい時があるの。
ひとりでできないことでも、仲間がいれば可能になることってたくさんあるの。

他人にお願いするのはいけないこと、他人に迷惑かけてはいけないなんて思っているなら、自分の心の底に他人への不信感がないかどうかを探ってみて。
また、自分ひとりが我慢をしたり無理をすべきだと、他人の好意を拒絶してはいないかどうかを省みて。

自分から他人を拒絶しなければ、協力者が必ず現れてくるんだから。
協力者を探すこともできるんだから。

悩みだって、仕事だって、病人や年寄りの介護だって、ひとりで無理していたら、必ず限界が来るの。
ひとりで生きてるわけじゃないの。
世の中にはいろんな人がいて、共存しているんだから。
互いに助け合って当然なんだから。
協力を嫌がる人の方に問題があるのではないかと考えてね。



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