2018/9/21  0:00

あたし、アンジェリュス!娼婦って。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!

あたし、時々思うんだけど、娼婦って、どうして蔑まれるのかしら。
ルネサンス期には、教養を身につけた高級娼婦達がヴェネチアで一つの特権階級のような扱いを受け、尊敬され憧れていたという例もあるけど、娼婦って、軽蔑の対象になることがあまりにも多いのよね。

男に体を売って金を稼ぐって事は、清らかに普通の人生を生きていると自負している女性から見ると、ありえないことなのかもしれないわね。
だけど、それだけじゃ、娼婦を憎んだり蔑んだりする理由には足りないんじゃないかしら。
自分の人生に不満を持った女性や金を稼ぐ術を持たない女性が、体を得ることで金を稼いで自立しているように見える女性を嫉妬し、その嫉妬心を隠すために侮蔑しているんじゃないかしら。
娼婦と比べて自分の清らかさを確認し、相手を下げることで自信を持とうとしているんじゃないかしら。
モーパッサンの『脂肪の塊』の主人公のように、娼婦は一つのスケープゴートとされているんじゃないかしら。

乙女マリアを信仰するキリスト教徒は、光と闇のコントラストをはっきりさせるために娼婦の存在を必要としたのかもしれないわ。
だけど、聖書に登場する重要な女性の一人であるマグダラのマリアは、娼婦であったと言われているの。
娼婦の中に神々しさ、仏の姿が存在することをどこかで認めざる得ないのかもしれないわね。

水商売の女性を軽んじて扱おうとする人は、いちど本当に彼女達は侮蔑に値する存在かどうか考えてみたらどうかしら。

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2018/9/21  0:00

僕、ジャン・ポール!褒めてもらうなら。  

僕、ジャン・ポール!

誰かに評価されたいと思っていたら、その人を越えることは、なかなかできないんじゃないかな。
評価してもらいたい相手をどこかで上に見ているんじゃないのかな。
だって、自分より下の人に評価されたって、あまり嬉しくないんじゃない?
評価されたい相手って、どこかで自分が目標にしている相手じゃないのかな。

子供は親に評価されたいと思うよね。
子供にとって、親は絶対的な存在だからね。
子供にとって、親は越えられない存在だからね。
子供にとって、親は目標なんだよね。
子供が親に評価されて喜ぶのって、自分の目標とする上の相手から認められたから嬉しいんじゃないのかな。

いつまでたっても親に褒められたいと思っている人っているよね。
子供の頃親に十分に褒めてもらえなかった人って、どうしても心に隙間を抱えているからね。
だけど、大人になっても親に褒められたいって願い続けるのって、いつまでたっても親を越えられないと思う気持ちがあるからだよ。
もっと大きな目標を抱いて、もっと上のものを目指したらどうかな?

僕、人間の能力を超えた神様に褒められたいと願ったら、人間ってもっと成長できるんじゃないかと思ったりするんだよね。

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2018/9/21  0:00

俺、ウィンウィン二世!不可知なものへの畏敬の念こそ。  

俺、ウィンウィン!

俺、神とはこういうものだ、仏とはこういうものだと、あまりにも明確に説明する奴を見ると、不審感を抱いてしまう。
確かに宗教には、何らかの論理性、何らかの定義は必要だろう。
しかし、人間を超える存在なのに、人間がすっかり神仏を把握した気になっているのはおかしいのではないだろうか。

人間を超えたものに対して、人間は全てを把握し理解することは難しい。
神仏は人間にとって不可知な存在であり、それを知ろうとする試みが、宗教学では無いだろうか。
そして、文化の進歩とともに、宗教学も進んでいくのではないだろうか。
例えばキリスト教徒には、イスラム教徒を敵とみなし十字軍を正当化していた時代もあったが、今では互いの宗教の平和的共存を求めるエキュメニズムということが唱えられ、互いの対話を大切にするようになってきたのではないだろうか。

だが、どれだけ文化が進歩しようとも、人間にとって不可知なものは存在するのだ。
その不可知なものへの畏敬の念こそ、宗教の本質ではないかと、今の俺は考えているんだが。

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2018/9/20  0:00

あたし、アンジェリュス!外の箱とその中身の両方を。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!

うちのお母さん、今年実家の母親が死んで、すでに父親も死んでいるので、ついでに一人っ子なので、家と僅かな土地だけはあるけど、実家というものを失ったの。
家って、建物だけじゃ意味がないの。
そこに住んでいる人がいなければ、意味がないの。

キリスト教の教会って、2つの側面があるの。
教会の建物って、信者の集まる場所だけじゃなく、もともとは巡礼者を泊める場所だったの。
また、教会って、建物という意味だけじゃないの。
信者の集まり、人々の集いという意味も持っているの。

ところで、人間って、体という肉体的な側面だけじゃないわよね。
そこに宿る魂というようなもの、そこに宿る人間の思考、心がなければ、人間にはなれないんじゃないかしら。

いくら健全な体を持っても、そこに宿る心がなければ、人間とは言えないのかもしれないわよね。
たとえわずかな反応でも、まばたきをするだけでも、外部に何かを示していなければ、また外部に示すことができなくとも自分の中に何かがなければ、形だけの存在になるかもしれないのよね。

ところで、紋切り型の言葉、丁寧な挨拶などをしていても、そこに宿る何かがなければ、言葉は形骸化しまい、冷たいものになってしまうんじゃないかしら。

外の箱とその中身を常に両方考慮に入れておかなければいけないんじゃないかしら。


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2018/9/20  0:00

あたし、シュエット! 劣化なんて、何よ!  

あたし、シュエット!

歳をとった人を劣化したなんて馬鹿にする風潮があるみたいね。
私、劣化という言葉を聞くたびにアホらしくなるわ。
だって、年齢を重ねると容姿が変わるって、当たり前のことでしょう?
で、普通なら、肌にシワが刻まれていくのと同様に、脳にもシワが刻まれていくんじゃないのかしら。

外見の劣化にばかりとらわれて、頭の劣化を考えない人って多いみたいね。
外見ばかりにとらわれていると、中身を磨くことを忘れがちなのよね。
どんな化粧をしたらいいか、どんな服を着たらいいか、どんなアクセサリーを身につけたらいいか、どんな車に乗ったらかっこいいか、どんなふうに話したら威厳のあるものと認められるかなんて、外見にばっかり気を回していたら、他人に褒められることばっかり狙ってしまうわよ。
他人からは見えにくい人間の内部というものを成熟させることを怠ってしまいがちになるわよ。

あたし、外見の劣化こそが、人間の成熟の一過程だと思うのよ。
劣化しようがどうであろうが、外見なんてあの世に持っていくことはできないのよね。

劣化なんて、何よ!
どすこい!


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2018/9/20  0:00

僕、エサウ!自分の感情や感覚を信じろって言ったって。  

僕、エサウ!

自分の感情や感覚を信じろって言ったって、それだけじゃ足りないんだよ。
感情や感覚を統御し、分析できる左脳の力を伸ばさなきゃ、いくら五感で情報を取り入れてもあまり役に立たないんだよ。
赤ん坊の時から五感を持っているけど、それを有効に使えるようになるのは、経験を積んで、五感を統御し分析する能力を持つようになってからなんだよ。

自分の感覚を信じろって言ったって、自分の中に思い込みや決めつけなんかがあったら、感覚から入ってくる情報は純粋なものではなく、濁ったものになってしまうんだよ。

自分の好き嫌いで物事を判断するなんて、余計タチが悪いよ。
主観的な判断が真実だと言うことになってしまうよ。
そして、自分の感情的な判断を他人に押し付けることになってしまうよ。

自分の感情や感覚が全てと言うなら、それはわがままな子供と同じだよ。
自分のエゴイズムを乗り越え、客観性を求めるために人間は左脳の力が他の動物よりも強いんじゃないのかな。


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2018/9/19  0:00

あたし、アンジェリュス!宗教と啓蒙。  

あたし、アンジェリュス!アンジュ!

昔、日本には寺子屋というものがあったのよね。
子供達は寺子屋で、読み書きそろばんなどを学んだのよね。
寺院は、子供達を啓蒙する場所だったのよね。

ヨーロッパの修道院は、文化を民衆に伝承する役割を担っていたの。
ドイツのライン河沿いの白ワインは、修道院が農民に広めた文化の一つなの。
日本ではトラピスト・バターとかトラピスト・クッキーが有名だけど、これもフランス系の修道院が広めた文化なの。
宗教と啓蒙活動って、ヨーロッパでも一致していたの。

ところで、今、宗教のような名を借りて、そんなことは知らなくてもいい、勉強なんてしなくてもいいなんてことを声高に唱えている人達がいるようだけど、これって、本当の宗教なのかしら。
自分の書いた本だけを読めばいい、他の事なんて知らない方がいいなんて視野を狭める宗教って、本物なのかしら。

あたし、宗教は人間を解放するもの、知識は人間を啓蒙し解放するものと考えているんだけどな。
その宗教がどのような文化の伝達を担っているかで、カルトかどうか分かるんじゃないかと考えているんだけどな。


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