2018/8/16

(無題)  

H氏、 ご母堂、 絢子さんクリックすると元のサイズで表示します
 (もう一月以上も毎日大きな花をつけるタイタンビカス)

 絢子先生!
 ボストン日本語学校の会議室。4月に新採用する新しい先生の採用試験が実施されていました。4人の試験官の前に一人ずつ入室、履歴書をもとに 口頭試問を受けます。 何人も終わった時、私は被験者の名前が目に留まりました。『原川』という名前。『原田や原口という名前はよくお聞きしますが、 原川とは珍しいですね。』と校長の私。『神奈川県秦野市とありますが、お父さんはずっと秦野市で生まれ育ったのですか?』と私は続けて訊ねてみました。というのも、幼馴染で 小学校から大学まで ずっといっしょだった一年後輩の男がいたからです。 『父は 兵庫県出身です。』と彼女。そこで 私は冗談半分に『もしや淡路島だったりして・・・』と水を向けると、何と『父の故郷は淡路島です』と言うではありませんか。『ひょっとしてお父様のお名前は竹氏ではありませんか?・・・』 こんなことがあるんですね!

夫妻でボストンまで来られて
 面接を受けられた絢子さんは、国際キリスト教大学を卒業、2年間アメリカの大学の修士課程で学び、帰国する前の1年間、労働ビザが与えられ、本校に面接に来たという訳。
 原川氏は大学卒業後 日立製作所に入社、卒業後初めて夫妻でボストンに来られた時は 肩書は部長職でしたが、明るい快活な雰囲気は変わっておらず、『ゆうちゃん、 ゆうちゃん』と子ども時分の呼び名で親しく呼んでくれたのは じつに嬉しかったです。

 私たちが日本に帰ってから 原川氏は度々淡路島へ来られました。 お母さんが介護施設に入所していたからです。 お母さんのもとを訪れると 必ず我が家にも立ち寄ってくれました。 絢子さんもいっしょに。

 実は、彼には福良に従兄弟がいて、奥さんが退職前議会の事務局長をされていて、原川家の話をしたことがありましたが、 そういえば、この数年彼の家族のことが私の記憶から飛んでいました。ところが、今日、体育館のジムで彼の従兄弟のAさんに久しぶりにお会いしました。『原川さんのお母さん、お元気ですよね?』『数年前に 亡くなったんですよ。』とのこと。
 最近は 喪主がこちらにいない場合『家族葬』をすることが多いですが、多分彼の場合もそうだったのでしょう。

 絢子さんは もう5、6年にもなるでしょうか、イギリス人と結婚されて ロンドン在住です。

 
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2018/8/15

(無題)  

日本の教師として
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終戦の日が来るたびに、日本の教師として 決意を新たにしなければならないことがある。 いかなる理由があろうと 絶対戦争を認めてはいけないということである。そして『教え子を再び戦場に送らない』ことが、 戦後の日本の教師に課せられた使命でもある。
 今年も終戦の日の前後、NHK、民放挙げて、反戦をテーマにした意欲的な番組が いくつも作られている。私が観たものだけでも『戦時下の球児たち』、『船乗りたちの戦争〜海に消えた民間船』、『「駅の子」の闘い〜語り始めた戦争孤児』、『祖父が見た戦場〜ルソン島の戦い 20万人の最期』、『歴史秘話ヒストリア 「8月15日のプレイボール」』。

 今年の作品群の特徴は、NHKの人気アナウンサー小野文恵さんが、 戦死された祖父の足跡を求めてルソン島まで自ら取材に赴いたことをはじめ、 これまで口を閉ざしてきた厳しい戦争体験をした方々が 重い口を開き始めたことにある。

 番組で取材に協力した人たちの思いに応えるべく、 視聴者として、 何よりも日本人として これからの盆明けの日々、これらの番組を反芻し、反戦の理論武装を勉強し直していきたいと思っている。

 明日からのブログの所々で 録画を観た感想も書きこんでいきたいと思っています。
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2018/8/14

(無題)  

ひいちゃんと
     豆太は帰っていった

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 四日間の里帰りでしたが、 ひいちゃんと豆太は神戸に帰っていきました。 私たち夫婦は また二人の静かな生活にもどります。

ミニホームコンサート
 8時から花火大会がありましたが、 毎年観ていると新鮮味がなくなるのか、 ひいちゃんとパパ(息子のひかる君)が ミニ『ホームコンサート』をしてくれました。 パパは子どもの頃、姉に連れられて、福良の野口先生に何年もピアノを指導していただきました。 彼は男の子にしては珍しく、中学3年まで福良に通い、最後の発表会は モーツアルトの『トルコ行進曲』を弾いたのを覚えています。 野球部のキャッチャーをやりながら最後まで続けられたのは、指導していただいた野口先生の教え方が上手かったからでしょうし、本人も音楽が好きだったのでしょう。

『旅立ちの日に』
 ひいちゃんは、私も聴き覚えのある曲を弾いています。小学校や中学校で最近生徒たちがよく歌う『旅立ちの日に』という曲。 パパが弾くのを聴いて覚えたんだそうで、音感がいいんでしょうね。

 とてもいい曲で 私は二人の演奏を聴きながら、ひかる君に聞いてみました。『この曲、演奏するの 難しいのかい?』『そうでもないよ。』と息子。『それなら 私もこれから練習してみようかな?』『親父がすぐ弾けるようになるほど 簡単じゃないよ。』

来年のシーズンには!

 会話はこれで終わったのでしたが、 私は ピアノ練習で一つ新しい課題を密かに作ったんです。『来年の卒業式のシーズンの頃まで この曲をマスターしよう。』と。

 当面、簡易伴奏の楽譜を探すことから始めなければなりません。 今日は、 また一つ、生活のいい目標ができました。

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2018/8/13

(無題)  

ひいちゃんと豆太が来て
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 昨日、神戸にいる孫のひーちゃん(陽咲:ひさき 中学2年生 女の子)と愛犬豆太(まめた:柴犬 1歳7か月)がお盆のお墓詣りで里帰りした。普段は二人だけの我が家も急に賑わしくなり、 嬉しい。

 さすが女の子だけあってきっちりしている。 昨日の夕食時『近くの平治池という大きな池にハスの花が咲いているので、 観てみるかい?』と水を向けると、『観てみたい』という返事。今朝6時半に私のベッドまで起こしにきてくれた。『おじいちゃん、6時に起きれたよ!』
 ママは仕事の関係で今回は来れなかったし、パパは朝早く起きられるはずもなし・・・。自分で目覚ましをかけて起きてきたのだった。

 10時から阿万海岸の海水浴場へ。こんな時間でも もう駐車場は満パイ。パパとひいちゃんはいっしょに水泳を楽しみ、カミさんは豆太の散歩を仰せつかった。私はというと、大きなパラソルの下で 約1時間 珍しく心地よい浜風を肌に感じながら 過ごした。

 家に帰って昼食後、気持ちのいい午睡を起こされると「かのん」で3時のおやつにミルクのかき氷を買ってきてくれていた。 これがまた美味だった。 昨日は これも3時のおやつに榎列の『末広』へ行った。 この二つの店とも、 よそから客が来た時、 お茶に案内できる店だと思う。

 夕刻、我が家のお墓詣り。初めて豆太を連れていったのだが、 ご先祖さんも驚いたかも・・・。
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2018/8/13

(無題)  

 ひいちゃんと豆太来て 海へ

 

 孫のひいちゃん(陽咲:ひさき)と愛犬の豆太(まめた:柴犬1歳7か月)がお盆の墓参りに昨日から帰省、二人の家族が賑わしくなった。 ひいちゃんは 今朝は 6時半起床、平治池のハスの花を観にいった。 そして 朝食後、 阿万海岸の海水浴場へ家族で出かける。 10時過ぎなのに、駐車場は島外の方々の車で混雑している。

 家に動物がいると それだけで活気付くな、とつくづく思う。 我が家にも『かんちゃん(勘九郎:アメリカンショートヘア』という猫がいたのだが、 他界してもう1年半になる。15歳位生きた。 私としては また飼いたいのだが、 カミさんの方は自分たちの年も考慮して消極的になっている。

 ひいちゃんとパパ(私たちの息子ひかる君)は海に入って泳ぎ、 カミさんは豆太の散歩を任された。私は 大きな日傘の下で約1時間留守番と相成った。 風もあり、陽射しも若干弱くなっている感じで、 真夏が過ぎ去っていく準備を始めているようだ。 だいたいが お盆が来れば夏も終わりというのが淡路で育った私たちの定説だったはずだ。

 昨日は榎列の「末広」で3時のおやつを食べ、 今日は水泳後の我が家での昼食後、私が午睡していたら、「かのん」でかき氷をかってきてくれていた。これがとてもおいしかった。

 夕方、一分のお墓に『仏さんを迎えに』家族で坂道を上った。初めて犬を連れていったので、 ご先祖さんたち 驚いたかも・・・。

 ひいちゃんとパパ(ひかる君)はピアノが弾けるので、 私の出番はなくなっている。 私のレベルでは 少し恥ずかしいのだ。明後日まで滞在する。ひーちゃんは中学2年生。 最近の子は この年になると親の実家に寄り付かなくなる子が多くなっていくと よく聞く。 気立てのいいひいちゃんは今の所その心配はなさそうだ。

 
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