友人が逝って
1月も早27日。 『一月は「いぬ」』とはよく言ったもので、 もう月末だ。
この1月の間に、 二人の友人の死に遭遇した。 一人は北川圭右教頭。 もう一人は榎本辰雄さん。 私の同級生。
情熱的な教育者
北川教頭が新任教員だった頃を私は記憶している。 兵教組三原支部の専従書記長だった私は、 大学を卒業してふるさとの教壇に立った北川先生と、 青年部の会だったかイベントだったか、 彼と言葉を交わした。 明るく、 歯切れのいい物言いで、 青年教師らしい好印象を受けたものだ。
私がその頃の彼の印象が強く残っているのは、 その事ではない。 ふるさとで新任教員としてスタートしたり、 都市部からもどってきた教職員は、 まず間違いなく自宅から学校に通っていたが、 なぜか彼は親戚のおばさん宅に下宿していた。 アメリカなど欧米諸国では、 社会人になると親から独立するのが普通だが、 当時の日本では考えられなかった。
そのおばさんは、 確か山口百合子先生とおっしゃったと思う。 その山口先生から教育の何たるかを学びたく下宿させてもらったんだと、 彼の周辺の先生から聞いた。
彼の葬式に私は参列できず、 カミさんに焼香してもらったんだが、 彼の突飛とも言える新任時代の行動の意味が、 彼女の話を聴いて理解できた。
島外から学生時代のクラスメイトや友人たちが何人も駆けつけ、 弔辞を読んでくれたという。 学生の頃から並外れた読書家で、 教育に対する情熱の塊りだったんだという。 教え子や保護者も大勢参列していたのに驚いた、 とカミさんは北川先生の人柄を偲んだ。
沼島小へ教頭として着任する前は、 阿万小に勤務されていた。 学校の近くに住む私は、 年に1、2度パソコンが不調になるたびに北川先生に電話し、 帰宅途中に我が家へ立ち寄っていただき、 教えを乞うたものだ。
教頭として2年目。 教育管理職としてこれからだった。 確固とした自前の教育哲学の持ち主で、 立派な校長になっていかれるだろうと、 私は期待していた。
昨年夏には徳島で闘病生活を送っていると風の便りに聞いていたが、 『そのうち帰ってくるだろう』と、 私はお見舞いにも行かなかった。
北川教頭先生。 あなたとじっくりと教育論議がしたかったです。
辰ちゃんの『自己変革』
榎本辰雄君とは小学校2年から6年までずっと同じクラスで過ごした。 私たちの学年は3クラスあって、 それぞれ48人ずついたんだが、 当時の先生方は邪魔くさかったのかどうか知らないが、 2年生になる時クラス編成替えがあっただけで、 後の5年間はずっと同じだった。 お陰で、 その48名は兄弟のような親密な関係になれた。 男子はもちろん女の子の家も全部知っていたし、 親の顔も多くは今も脳裏に残っている。
辰ちゃんの家は、 西村の浜の近くにあった。 県道を下っていって、 浜に着く直前に左に折れる。 まず岡本美八子ちゃんの家があって、 その少し奥が辰ちゃんの家だった。
3つ上にやさしそうな感じの兄さんがいた。 多分葬儀で親族代表謝辞をされた方だろう。 しっくりと、 実にいい挨拶をされた。
辰ちゃんは、 おとなしい少年だった。 休み時間はまったく他のクラスメイトと変わらず快活に遊ぶのだが、 授業となると、 その『おとなしさ』が桁外れの『おとなしさ』になった。 いつの時代でもそうだが、 クラスの雰囲気がいいと、 『ハイ』『ハイ』『ハイ』と挙手をして子どもたちは発表するのを競う。 中には分からないのに手を挙げて、 『忘れました』と恥をかくやつもいる。 私たちのクラスはそんな和気藹々のクラスだったが、 辰ちゃんはそんな『発表』を一度もしなかったし、 先生に指名されても絶対に朗読をしなかった。 その事でクラスメイトはとやかく言うことはなかったが・・・。
後年、 小学校の教員になって分かったんだが、 多分辰ちゃんは、 1年生の時に『発表』か『朗読』で、 自分の心を閉じさせてしまう実にいやな経験をしたんだと思う。
そんな辰ちゃんの行動は4年生の中頃まで続いた。 その頃の児童机は二人一組になっていて、 たまたま私と辰ちゃんはペアになっていた。 ある日の国語の時間の前、 私の横で辰ちゃんは、 小さな声で、 ぼそぼそと教科書を読み始めたのだ。 びっくりした私は、 『辰ちゃん、 練習してきたんか』と問いかけると、 黙っている。
次の休み時間だったか昼休みだったか、 私は辰ちゃんを呼び出して、 聞いた。
『わし、 先生にこそっと言うとくから、 辰ちゃん、 今度の国語の時間、 絶対手ぇ挙げえよ!』と勧めた。
そして翌日の国語の時間の始め、 辰ちゃんは手を挙げて、 『それでは、 辰ちゃん!』と、 江本ちゑ子先生が指名された。
辰ちゃんは、 すこし震え声ながらも、 しっかりと朗読した。
クラスのみんなはびっくりしたし、 しばらくして自然に拍手が起こった。 江本先生の目もうるんでいるように私には思えた。
私は教師になったからか、 辰ちゃんのあの時の勇気、 決断、 クラスメイトの驚き、 喜ぶ姿、 拍手の様子をずっと忘れないで来たし、 心の片隅で大切にしてきた。
一人の子どもが大きく自己変革を遂げる、 それを周囲の仲間が自分のことのように喜び、 称える・・・そんなクラスづくりをしていきたいな、 と私はずっと思ってきたとも言える。
辰ちゃんは奥さんを2年前になくしていた。 成人している息子さんと娘さんがいる。 この冬の始め、 最後の家族旅行をしたと、 兄さんが挨拶で紹介されていた。 多分死期を悟っていたんだろうと思う。
辰ちゃん、 あなたは、 本当に誠実で、 やさしい、 いいやつでした。 ありがとう。

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