沖縄での見学はもりだくさんだったので報告少しづつ掲載を追加しています。
ここでは、初日の石垣でのエピソードを。少しプライベートな話しになりますが、是非お付き合いください。
11日付けの石垣での記事
(→こちら)にも報告したとおり、新垣重雄さん(沖縄社会大衆党前書記長)のお店でお世話になりましたが、そこで意外な事実を知らされました。
■若き友人の死
98年、参院選沖縄選挙区の島袋宗康さん(社大党委員長、その選挙も見事当選)の応援で2週間ほど現地に行って選対メンバーのひとりとして重要な任務も任されながらお手伝いをしたことがありました。
その時、社大党本部で、盛山達也君という、物静かな感じの、真面目でかしこうそうな青年が選挙戦の手伝いをしていました。コンピュータ関係など、僕と彼は実務的な面でも協力して選挙をサポートし、そんな経験から、期間は短かったものの、彼のことは良く覚えていました。
彼は新垣さんの親友の息子でもあったのですが、新垣さんから「達也が亡くなってしまった」と告げられ、驚きました。骨髄の病気だそうです。亡くなったのは2001年、享年32歳。
■もうひとつの「涙そうそう」
それだけではありません。実は、彼は沖縄石垣出身のミュージックグループ「ビギン」のメンバーと幼馴染だったそうです。
そして沖縄では、エフエム沖縄が「もうひとつの『涙そううそう』」というタイトルで、ヒット曲「涙そうそう」の生まれるエピソードや作詞・歌の森山良子さんの想いなどとともに、ビギンのメンバーの盛山君への温かい想いを描いた番組がつくられ、この番組が、優れた放送を表彰する第42回ギャラクシー賞(2004年)ラジオ部門の大賞を受賞したとのこと。
そして受賞後、昨年夏にこれが再編集されて全国のラジオ局でも放送され、その録音CDをいただいてきたのでした。
新潟へ帰り、早速聴いてみました。感動して、文字通り「涙そうそう(なみだがあふれ出る」でした。
盛山君はジャズをやっていたのでビギンには直接加わらなかったものの、ビギンからドラマーとしてメンバー参加を要請されたほどの腕前で、実際、アルバムレコーディングにはドラム担当で参加するなどしていたそうです。また、同じ石垣出身で中学時代からの彼らの仲間でもあるユニット「彩風(あやかじ)」のレコーディングやライブにも参加。
ラジオでは、やがてメジャーデビューする石垣の少年たちの様子から、ビギンのメンバーと盛山君との友情、盛山君の後輩たちへの温かい想いなども描かれ、本当に涙がぼろぼろ流れました。こんなすごい奴と、一瞬でも俺は一緒に仕事をしたんだなあ。
放送の中で紹介されていたのですが、ビギンのメンバーがデビュー曲「恋しくて」のテープを事前に盛山君に車の中で聴かせたところ、「達也は『この曲がよくないという人がいたら、この国の音楽はおかしい!』と言っていきなり泣き始めたんですよ」というエピソードにも、思わずもらい泣きです。
この番組は放送当時のオリジナルから再編集され、放送を聴いた達也君のお母さん・妹さんのコメントも付加えられています。こんな番組を作ってもらって、自分たちの知らない達也の様子も知ることができて本当に幸せに思う、という言葉は、亡くなってから4年を経て、ゆったりとして、本当に幸せそうなコメントで、なお涙を誘います。同じく当時の放送を聴いた森山良子さんのコメントも素敵でした。
僕は面識があるので感激もいっそうとも思ったのですが、この番組が大賞を取り、全国で放送されたことは、他の多くの人たちにも感動を与える内容だったことを示しています。
インターネットで検索してひっかかった以下の「エフエム栃木放送番組審議会」でのこの放送に関する議事録を見ても、相当にすごい作品だったことが客観的にもわかります。
http://www.berry.co.jp/company/record-112.php
放送を聴いて、本当に心が洗われるような気がしました。著作権もあるからいろいろ難しいかもしれませんが、このCDを多くの人にも聴いてもらいたいと思っています。エフエム沖縄さん、なんとかなりませんか?
とりあえず、僕は録音CDを持っているので、聞いてみたい方は御連絡下さい。