県平和センターなどが呼びかけた平和集会に参加。
呼びかけた平和センターの活動には日ごろより敬意を表しておりますが、この中で「おかしい!」と思ったエピソードを2つ。
■「『万景峰号はよくてイージス艦がなぜ悪い』は暴論」か?
ひとつは、県知事選挙に伴っておこなわれた県議補選で当選したばかりの、社民党の若い県議S氏の発言。
彼は「県議会を傍聴してみましたが、右派議員から『万景峰号はよくてイージス艦がなぜ悪いんだ』などというとんでもない暴論がまかり通っていましたた!まったく許せません」とアジテーション。
これを聞いて僕は「へ?」と思った。
僕自身、万景峰号への過度な規制は反対であり、イージス艦入港には反対だが、拉致に関わった工作員が万景峰号を利用していたことなどから、素朴な県民感情として違和感を持っている人は少なくない。事の是非は別として。
一方、自治体の行政として、イージス艦を単に「軍艦だから」という理由だけで入港を拒否するとしたら、それも事の是非は別として、ある意味では「港湾管理権の恣意的な運用」となる危険がある。
したがって、上記の「右派議員」の論理は、残念ながら、これも事の是非は別として、「暴論」などではなく、少なくない県民の素朴な感情でもあると言えると思う。
学生や市民運動や労組の活動家の発言ならわかるが、議会できちんとした議論で勝負しなければならない人間が、相手の論理を、明確な根拠や理由も示さず「暴論」と切って捨てるのはいかがなものか。旧来の伝統的社民党的体質の正すべき点はきちんと反省した上で、合理的な根拠をもって政策を論じていくのが、新しい世代の議員の役割だろ、って他人事ながら思いましたぜ。
■「憲法9条があったから日本は平和だった」か?
また、デモ行進でアピールされていた発言で気にかかったこと。
「戦後50年間、日本は憲法9条があったので平和だった」ということが繰り返しアピールされていた。
これは噴飯物だ。
朝鮮戦争でもベトナム戦争でも日本は戦争を支えた。朝鮮戦争では、民間の船舶なども動員され、公式に確認されているだけで、日本人の民間犠牲者は56名にも及んでいる。
また、朝鮮戦争を支えた日本の役割の重要性は、アメリカの各種資料でも明らかにされている。
例えば
◎「国連軍の前進補給基地としても、国連空軍の攻撃基地としても、日本が戦略的に見てきわめて有用であることを証明した」(Foreign Policy Bulletin, 22 June1966)
◎「日本人は驚くべき速さで、かれらの四つの島を一つの巨大な補給倉庫に変えてしまった。このことがなかったならば、朝鮮戦争は戦うことはできなかったはずである」(マーフィ初代駐日大使『軍人のなかの外交官』)
◎「日本人の船舶と鉄道の専門家たちは、かれら自身の熟練した部下とともに朝鮮へ行って、アメリカならびに国連の司令部のもとで働いた。これは極秘のことだった。しかし、連合国軍隊は、その朝鮮をよく知っている日本人専門家たち数千名の援助がなかったならば、朝鮮に残留するのにとても困難な目にあったことであろう」(同前)
◎「日本におけるPD調達による車輌修理および再生役務の実績なかりせば、朝鮮事変は三ヶ月間も維持できなかったであろう」(リッジウェイ米第八軍司令官の回想『占領軍調達史役務編』)
等々。
このような事実があるにもかかわらず、「9条のおかげで戦争に巻き込まれなかった」「平和だった」などと言えるだろうか?
そのような、事実を検証しない、いわば「情緒的な」認識が平和運動の中で一般的であるとするなら、犠牲者も浮かばれないというものだ。「9条があるから平和」という誤った「護憲」の考え方が、現実にそぐわない平和運動をつくってきたのではないか、結果的に無意識のうちに戦争を支えるシステムをつくりだすことに寄与してしまっている側面もあるのではないか、と考えている。
その認識の上で、9条があることによって守られてきた「平和への歯止め」の現実と限界、そして将来への希望を、まじめに検討していかなければならない、と思う。
もちろん平和センターの運動にはこれからも協力していくつもりですが、以上、問題提起です。