昨晩のNHK「その時歴史が動いた」で、太平洋戦争末期、米軍が日本各地に投下した原爆の模擬爆弾「パンプキン爆弾」の経緯を特集。
このパンプキン爆弾、原爆と同じ型・質量の通常爆弾で、高高度からの原爆投下を成功させるための投下訓練と、爆発後の放射線から逃げるための急旋回の訓練を目的としておこなわれたものです。
本題とはそれますが、新潟は京都・小倉・広島と共に最後まで投下候補地になっていたことが、番組で紹介された資料であらためてわかりました(この経緯には諸説ありますが)。長崎と新潟と、ほんとにギリギリの運命だったんですね。
また、長岡へのパンプキン爆撃も、「新潟エリア」ということで、原爆投下候補地への投下訓練の一環として、進入ルートなどの確認等のため、新潟周辺の民間市街地として選ばれたこともあらためて判明。富山や柏崎などにも投下されていますが、同様の理由のようです。新潟がやはり重要な候補地だったことがあらためて認識されます。
なお、新潟が候補地に選定される背景や、「Niigata」の名前がはっきりと見える投下命令書、広島・長崎後の新潟の「原爆疎開」などについては、
以前のブログに書いてあるので参照してください。
また、米軍の資料でこれが模擬爆弾と判明したのも比較的最近の1991年になってから。さらに、候補地以外の地方都市にも投下されていますが、これは天候や防空状況により、目的地に投下できない場合にどこでもいいから都市部へ落とせという命令で、そこには米軍関係者の戦意を鼓舞する意味もあったと報道されていました。「無差別」「訓練」「戦意鼓舞」のための爆撃で、多くの人が犠牲になったのでした。
合掌。

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