2011/12/17

『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』  映画

 ブラッド・バード『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』
 すでに傑作すぎるほどの傑作が3本もあるのに、これ以上、何を作れるのかという4作目。
 とても高ペースで作られている印象があるが、「3」からすでに5年も経っている。そしてこの5年は、トム・クルーズにとって、決して順風満帆とは行かぬ歳月だった。
少し整理しておこう。
 まず、主演作品の興行力が保障されなくなった。「トム・クルーズ」の名だけでは人が来なくなり、時代は彼を置き去りにしつつあった。そして、長年パートナーとして、クルーズ/ワーグナー・プロダクションを経営してきた、ポーラ・ワグナーとも決別する。彼女が2006年から就任したユナイテッド・アーティスツのCEOの座を、2008年に辞したためである。相前後して、私生活における信教を理由にパラマウント社との関係もこじれた。
 挙句、自身の企画であるにもかかわらず、MIシリーズ主演交代の噂まで飛び交った。

 きっかけはいろいろ求められようが、『M:i:3』の興行が振るわなかったのは大きかった。全米興収約1.3億ドルは普通なら及第点だろうが、しかしこれはトム・クルーズ主演の人気パッケージなのだ。
 彼にとって、万一「4」でしくじることがあれば、最悪の場合キャリアが終わる。シリーズ企画自体もとりあげられるだろう。だから背水の陣のはずだが、ここで私は、クルーズが「3」の監督として大抜擢した(当時の位置づけでいえば“大”のはずだ)、J・J・エイブラムスと手を切らなかったことに、その勇気を見る。
 ただし監督としてでなく、失ったパートナー、ポーラ・ワグナーの代わりとなる、共同プロデューサーとしてとなるが。

 オープニング・クレジットに見慣れたCruise/Wagner Productionsでなく、Cruise Productionsと、単独名での表記を見たとき、今の彼の孤独な闘いぶりを思う。
 それがどこか「ゴースト・プロトコル」の内容にもかぶるように感じるからだ。今回、クルーズ演じるイーサン・ハントは、クレムリン爆破の実行犯とされ、IMFから切り離されて(ゴースト・プロトコル発令)、わずか3人のパートナーと共に、孤立無援に濡れ衣をはらすと同時に、核によるテロを阻止しなければならない。
 この状況はまるで映画「ゴースト・プロトコル」の製作布陣のようだ。「3」からの持ち上がりとなるサイモン・ペッグは、さしずめ前作監督のJ・J・エイブラムスの位置づけだろう。
新規の相棒となるジェレミー・レナーはもちろん、今回の監督として“大”抜擢となるブラッド・バードだ。
 そして、ただ1人の女性メンバーとなるポーラ・パットンは・・・、トム・クルーズ自身が失った共同製作パートナー、ポーラ・ワグナーの代理となるだろう。あろうことか、ポーラとポーラ。名前まで一緒のこの2人は、まさに互いのゴーストのようだ。
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写真:『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』より。トム・クルーズ/イーサン・ハントは、まるでこの4人の疑似家族を作ろうとしているようだ。 画像元:allinema.com

 この製作体制で臨むトム・クルーズと、この不可能使命遂行メンバーで臨むイーサン・ハントは、どちらもこのミッションに“失敗できない”状況にある。
 演じる人物と本人とが分かち難く結びついた、トム・クルーズ/イーサン・ハントが、こうして完全に一つに重なり合い、あらゆる意味で緊迫感あふれる、超傑作が生まれることになった。

 この映画全編にみなぎる雰囲気というのは、実はシンプルの上にもシンプルだ。それは何がどうあっても、決して決して絶対にあきらめないという、行動原理だ。『ミッション・インポッシブル』の「1」〜「3」においては、気分高揚の焦点、すなわちテーマ曲を鳴り響かせるポイントというのは、基本的に敵を出し抜く瞬間においてであり、まんまと相手を欺き倒したことの成功に対する快感だった。

 「ゴースト・プロトコル」では、作戦はいつもどこかで破綻する。まんまとしてやることができず、先へ先へと送られてしまう。だからその意味での爽快感は欠く。けれど、それを補って余りあるような、石にかじりついても、決して立ち止まらない=絶対に走り続ける意思が漲っている。
 インタビューでの談話によると、今回監督を務めたブラッド・バードは、トム・クルーズと面接を行ったとき、「スパイ映画の条件とは何か」という質問を受けたのだという。
 それに対して彼がどのように答えたかは、語られていないのだが、私自身が想像(妄想)するに、彼は決して「何がなんでもあきらめない人物を描くこと」と答えたのではないか。
 そしてそれは、『アイアン・ジャイアント』から始まり、『Mr.インクレディブル』、『レミーのおいしいレストラン』といった、彼の旧作からも濃厚に感じられることのはずだ。

 核発射コードを奪還する。できなければ発射を阻止する。阻止できなければ起動を無効にする。どんどん解決が遠のいていく中、それがダメならこれ、これがダメならあれ、と無尽蔵に作戦を追加変更していく。
 それは、次々と作戦が失敗していくことの焦燥とは無縁の、「まだ大丈夫」「まだ勝てる」という積極果敢な闘争心に裏付けられている。だからこちらの魂をも動かしてくる。
 このようにリーダーとしての、トム・クルーズ/イーサン・ハントの真骨頂は、「ゴースト・プロトコル」にまざまざと顕現しているのだが、ここでのアクションは、そのためいつも二段構えになっており、その二段目は必然的に体当たりアクションとなるので、この映画のスーパー・アクションはクレッシェンドする。
 たとえば今回、もっとも有名になったドバイの高層ビルのスタント。ミッション遂行のための当初は、作戦通り壁面吸着手袋で慎重を期した行動をとってみせるが、後半からは軌道修正する必要に迫られ、窓ガラスは叩き割り、慎重どころか一気に地上に向けて全力疾走さえやってのける、
 緻密に計画された作戦成功の快感より、破綻した作戦のリカバリに賭ける意思の力へと気持ちを瞬時に切り替える。これが「ゴースト・プロトコル」が狙ったエモーションなのだ。
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写真:『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』より。今回のヒロイン、ポーラ・パットン(左)のアクションのキレは素晴らしい。女と女の殴り合いもある。 画像元:eiga.com

 もちろん、トム・クルーズ/イーサン・ハントの瞬時の決断の力強さは健在だ。
たとえば、私が好きなイーサン・ハントの行動の1つに、通信装置を投げ捨てる瞬間というのがある。
 たとえば「2」のクライマックスで、バイクでのチェイスが始まったとき、味方のヘリとコンタクトをとりながら、ヒロインの位置と安全確認に関するやりとりをしつつ、敵を撃ち、逃れ、追う、という一度にいくつもの行動を行う場面。
 ヒロインは仲間に任せられると確信するや、耳に装着した通信機を投げ捨て、目前のチェイスにぐっと集中する。
 「3」でも上海のどこかに幽閉された妻の位置確認を、携帯電話で探りながら走り、ナビゲーションなしでも位置確認できる見込みが立った瞬間、携帯電話を打ち捨てて突っ走っていくのだった。
 その瞬間、イーサン・ハントは確かに「これでよし」という空気を全身から発散する。そのトム・クルーズの演技の確かさは、間違いなくこのシリーズの魅力を支えている。

 「ゴースト・プロトコル」では、それと同種のシーンこそないが、迷っている時間のないときは、即、体が反応する。その反応にムダがまったくないトム・クルーズの演技は、ほとんどすべてのスタントを自らやっていること以上に、無二のものだ。
 車が動かなくなれば、直ちに車を飛び出て全力疾走すればいい。行動から行動への切り替えの早さにおける、彼の反射のよさは、もはや「活劇」などという手垢にまみれきった鈍重な言葉を「死語」とせしめるはずだ。
 代わりに言うなら、これは「アクション」の一言なのだ。
 もちろん、そうした目に見えるアクションだけではない。1つだけ例をあげると、「この局面でだけは敵をだましてはいけない。万が一にもだましていることを悟られると、もはや取り返しがつかなくなる」、とイーサン・ハントは決断する。
 その瞬時の決断において、目には見えないオーラがほとばしる。しかしそれをジェレミー・レナーが謀反する。反論されたから今度は説得する。
 ここの丁々発止は、いくつもの忘れ難いシーンの中でも、特に見ごたえある熱いシーンになっている。

 ここまできて、映画/ミッションを絶対に成功させなければならないという、トム・クルーズ/イーサン・ハントのインポッシブル・ミッションは成功したと言えるのだろうか、と改めて問うべきだろうか。
 映画そのものの成否は、全米公開もこれから始まったところなので、まだわからない。映画の出来栄えと収益は誰もが知る通り、比例の関係にはないから。
 けれど収益の問題以上に、これだけ力と心を込めて作られた映画なんか、そうそう体験できるものではない。

 そして、前述したように、まるで映画製作者としてのトム・クルーズが、エージェントとしてのイーサン・ハントにだぶるかのような人物構成を行った本作では、4人がいつも頭を並べて議論し、やがて束の間のくつろぎの時間へと移行する。
 それはまるで、トム・クルーズ/イーサン・ハントが、彼を中心とする、擬似家族を作ろうとしているかのようだ。
 スパイに家庭はあり得ないから、架空の家族をでっちあげる。ブラッド・バードは監督就任のための、トム・クルーズ面接で、スパイ映画の条件を尋ねられたとき、家族の扱いについてはどのような見解を語ったろうか。
 旧作でもやはり、特に『Mr.イングレディブル』において顕著だった「家族」というものの表象を、「ゴースト・プロトコル」はこの上なく叙情味たっぷりに、描き切ったと思う。
 おそらく「ミッション・インポッシブル」には「5」があるだろう。そのとき、「4」までにはない、いったいどんな要素がこの上なお残されているのだろうか。
 もはやこのシリーズには、期待以外の何もない。 




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