2010/1/26

デヴィッド・フォスター『ヒットマン デヴィッド・フォスター自伝』  

デヴィッド・フォスター/パブロ・F・フェンジェブス『ヒットマン デヴィッド・フォスター自伝』(四方久美・訳 ブルース・インターアクションズ)読了

 私は80年代を通じて、デヴィッド・フォスター全楽曲のコレクションに、精魂傾けていた。今だにCD化されていない曲もあるし、もうずいぶん散逸してしまったが。
 そのデヴィッド・フォスターの自伝が出版されたと知り、慌てて一気通読してしまう。

オリビア・ニュートン=ジョンの声(と顔)が美しすぎる、いかにもフォスターらしい名曲、“The Best Of Me”

 フォスターといえば、70年代後半からアメリカン・ミュージック・シーンのある部分を完全に独占した、作曲家・プロデューサーで、80年代に耳慣れた曲のかなりの部分は、この人が作ったといっていいはずだ。
 そして彼が見つけ出した、いちばん有名な歌手はセリーヌ・ディオンである。

 映画の人にとっては、『アーバン・カウボーイ』で、ボズ・スキャッグスの歌った“Love, Look What You’ve Done To Me(燃えつきて)”に始まり、知らぬ者のない『セント・エルモス・ファイヤー』の音楽で頂点を極め、続いて『摩天楼はバラ色に』で最高のスコアを書き(最高に幸福な時代だ)、『ベスト・キッド2』でピーター・セテラが“Glory of Love”を歌い上げ、『君がいた夏』の音楽が美しいドラマを色どった。
 それから、個人的には関心が薄いが、売上的にはこの人の頂点である『ボディガード』でのホイットニー・ヒューストン曲の数々、といえばピンときてもらえるだろう。

 400ページ近いこの自伝は、70年代から90年代にかけての、音楽史そのものを追体験させてもらえるが、読んでいて驚いたのは、この人の一般的とは言い難い感覚だ。

 というのは、ナタリー・コール『アンフォゲッタブル』と、それに続く『ボディガード』サントラで、彼の商業的頂点を極めるのが、それぞれ1991年と1992年。
 実はその直前まで、フォスター自身はひどいスランプであると位置づけていて、何をやっても売れない時期であると、ひどく落ち込んでいたのだそうだ。

 しかし私の中では、その頃も絶え間なく良曲を量産していて、全然そんな思いはなかった。けれど、本人の意識ではこの時期は何をやってもうまくいっていなかった。だから、本書の第一章は恐ろしいことに「カム・バック」と題して、『アンフォゲッタブル』と『ボディガード』を手掛けた時期のことから始められているほどだ。

 それもそのはずとわかるのは、本書をかなり読み進めてからだ。何しろ彼はこんなことを言う。
「わたしに言わせれば、売り上げが二百万枚なんて(略)失敗作だった。セリーヌ・ディオンのアルバムは、出すたびに二千五百万枚を売り上げていたし、『ボディガード』のサントラ盤は、四千万枚を超すセールスを記録した。それくらいの枚数を売り上げてこそ、はじめてヒットと呼べるのだ」(P.272〜273)
 このように、この人の水準は一ケタ違う。なるほど、それなら80年代終わりから90年代初めにかけてを、スランプととらえるのも納得だ。

 つまりは、本書はこのように、すべてがケタはずれの感覚でいっぱいだ。
 デヴィッド・フォスターの音楽人生は4歳のとき。母親がたまたまピアノの拭き掃除をしている時にたてた音の、キーを言い当てたことに始まる。絶対音感の発見だった。
 そこからは音楽の才能が炸裂し、まさにとんとん拍子。地元の結婚式の演奏などで、13歳の頃にはすでに父親の収入を超えていたという。
 フォスターのすごいところは、すでに自分で近所の家を回って仕事をとってきて、その演奏の腕で金をとって来ていることだ。成功する人物とはこういうものだ。
 そこから先は、めくるめく成功の連続。もちろんそれなりに下積みはあったようだが、あまりにも成功の絶対量が多すぎて、そんな時代など書く余地がない様子だ。

 デヴィッド・フォスターに口出しできる人間などいないので、この本の面白さのひとつは、これまで共演したミュージシャンへの、率直な言葉にあふれていることだ。
 まだ10代で(それもすごいが)、チャック・ベリーのバックを務めているが、その冷酷さに「あの野郎」呼ばわりだし、ミーティング過剰なシカゴに対して苛立ちを示し、あまりにもテイクを重ねすぎる、マイケル・ジャクソンのやり方にも、異議を呈する。

 そもそも、まだ売り出し中の段階でも、彼の妥協を許さぬ態度は並じゃない。
 『シカゴ16』で、初めてシカゴのプロデュースに就いたとき(この時、有名曲“Hard To Say I’m Sorry(素直になれなくて)”が誕生する)、まずは彼に今度のアルバム曲として13曲を聴かせたシカゴメンバーに対し、「新しい曲をもう13曲作り直さなきゃならない」と言い放つ。
 同じことを、最近のスティービー・ワンダーにさえ言ってのける(その後、スティービーは2度と連絡をとってこなくなったそうだが)。
 その妥協のなさはクインシー・ジョーンズから学んだものだというが、クインシーに対しては彼も尊敬の念を隠さない。

 私自身の好みとしては、皮肉なことに最大ヒットとなった『ボディガード』サントラから、これは違うと思い始めた。
 これ以後、90年代後半から2000年代にかけて、セリーヌ・ディオンをスターの座につけたことは別として、アンドレア・ボチェッリとの作業が増え、ジョシュ・グローバン、マイケル・ブーブレといった、美声の男の子たちとの仕事が集中する。これも違う。
 アンドレ・アガシの巧みな言葉を借りると、「わたしたちの生活のサウンドトラック」というべき、80年代の音楽界を彩った状況からは、ズレたと言わざるを得ない。

 デヴィッド・フォスターが、ポール・マッカートニーに対して感じた「自分の素晴らしさをもう一度思い出して欲しい」(P.182)という気持ちそのものを、私もフォスターに対して感じずにはいられない(フォスターはポールのアルバム“Flowers In The Dirt”にも参加している。確かにかなりよろしくないアルバムだ)。

 もちろん、永遠にすばらしいメロディを産み出し続けることなどできはしない。すでに何十曲もの名曲を編み出してきたのだから、これ以上望むこともない。
 それにバーブラ・ストライサンドと、セリーヌ・ディオンのデュエットを実現できてしまうような人物など、他に誰もいないのだ。


そのバーブラとセリーヌとのデュエット曲。何というか、ものすごい曲でものすごい歌唱。“Tell Me”
 デヴィッド・フォスターの曲は、彼自身がもっともよく形容している。
「わたしは、人々が子どもを作りたくなるような音楽を書く人間だ。」(P.272)
 その通りなのだ。
 本書は、そんなデヴィッド・フォスターの音楽が生まれゆく過程を、じっくり読ませてくれる、待望の書物だ。