オータのおも・たび

今はほとんど乗りませんが、鉄道が大好き! また他の乗り物や時刻表、古い鉄道本からいろいろな旅の魅力を、北海道の田舎から伝えたいです…

 

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「ご挨拶」

 はじめまして。いくつかブログを書いてきましたが、今度は昔から好きだった 鉄道など乗り物の旅について書いてみたいと思います。「おも・たび」というのは略称でして、「思い出の旅」だったり「面白い旅」でも「重苦しい旅」の場合もあるかもしれません。まあ、いろいろです。

 今は北海道の田舎に住んでいて移動手段が自家用車なので、ほとんど鉄道もバスも利用していません。しかし、子供の頃はどこへ行くにも鉄道やバス、その他の公共交通機関を使っていましたし、今も車に乗っていて列車の姿を見るだけで、胸がときめくのは変わりません。
 ちょうど国鉄のSLが全廃された頃から鉄道に強い憧れを抱き、学生時代は全国を貧乏旅行?しております。その頃の思い出・体験を語ったり、また読書好きでもあるので時刻表をはじめ、鉄道や乗り物について書かれた書籍についてや、自分で調べたこと。その他、乗り物旅行にまつわる様々な情報を寄せたいと思います。ただ、繰り返しますが、現在走っている鉄道についてはそれほど詳しくありません。過去の歴史的なお話が多くなるでしょう。
 決して上手くはないですが、主に80年代の鉄道写真や切符、旅行先の風景なども載せていきます。なお、山登りや野球応援、クラシック音楽、戦争の歴史などなど多方面の趣味がありますので、時にはそれらを取り入れるかもしれません。どうか、お付き合いのほどお願いいたします。

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 【国鉄胆振線(昭和61年廃止)壮瞥駅の入場券】

 最初からつまらぬことを申し上げますが、人間の記憶などアテにならないという話しです。日付に一週間の間のある同じ駅の入場券が二枚! ハテ…新入社員の頃で札幌から僅かの間に二回も行けるわけがなかったのに…よーく考えてみたら、後のは「廃止の日」で打刻してもらったのでした…あの頃、廃止間近のローカル線では最後の日に来れない人のために、そんなサービスもしていたのです。それも忘れていました…
 ちなみに、この駅のあった 壮瞥町に、現在住んでいます。でも、約20年前この駅を訪れた時の記憶が全くありません。ともかく、フィクションを書くのではありませんが、記憶違いなどお許し下さいませ。      管理人  石崎 黄太(オータ)


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タグ: 旅行 鉄道 思い出
投稿者:ohtaishizaki

「客車列車が好きでした…」

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 マニアの皆さんの間ではそれほど珍しい切符ではないでしょうか、私には思い出が詰まった一枚だったりします。日付は「61.10.24」…このブログの巻頭に書いた、廃止前の胆振線へ乗りに行った日なのですが…

 当時札幌に住んでいた私には、胆振線訪問だけでなくもう一つの目的が有りました。胆振線廃止の翌日は国鉄最後のダイヤ改正!…いわゆる61.11.1改正が行われることになっていたのです。これにて、札幌発着、いや道内の旧型客車列車が全廃の運命に有りました。すでに、小樽−岩見沢間は「レッドトレイン」と呼ばれた50系客車に置きかえられ、これまた赤いED76が牽引しており、すっかり新しい顔になっていたのです。それでもこの時まで、道内には、函館−札幌(倶知安経由)と旭川−網走間のみに長い距離を走る鈍行列車が残っていたのです。すでに根室本線や宗谷本線では消えていましたが。
 私が狙いを定めたのは、札幌−函館を走る 46列車 です。残念ながら写真も記念の切符も残っていませんか、いくつかのエピソードは記憶に有ります。実は函館まで完乗せず、 森で引き返しました。なので冒頭の切符を購入して旅を続けたのです。 (未完)
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投稿者:ohtaishizaki

「車内補充券」

 今年もよろしくお願いいたします。多忙だったため、更新が遅れてしまいました。悩みのタネは手元にある写真やグッズが揃っていないことです。資料をきちんとせずに、中途半端なままこのブログを始めてしまいました。春には全部揃えられると思います。同じテーマでも後から新しいネタを追加するかもしれませんが…

 さて今日はプロフィール画像に関連して、昭和61年10月31日に廃止された、北海道の、というより一番の地元を走っていた 国鉄胆振線の切符です。

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 しかも駅の窓口ではなく、車内で車掌さんに発行してもらった 車内補充券 です。通称シホサツですか…
 中途半端なコレクションですが、持っている切符は、窓口発行の硬券・軟券の他、車内発行の記念切符やら乗車証、そして補充券といろいろあります。今後少しずつテーマにそってお見せするつもりです。でも、世の中にはものすごくこだわった 切符マニア氏もいらっしゃるようですね。私はそこまで意識はしていません。ただ、廃線になったところの切符ですから、記念品としての意味は大きいですし、眺めているだけで当時の感慨が甦って来たりもします。

 車内補充券も今は、端末のキーを操作してプリント印字が当たり前ですね。昭和60年頃は窓口だとマルスなどコンピュータを使ってその場で印字して発行したものが出まわり始めていました。が、車内ではこのような印刷されたものに、お客を前にして金属のパンチで穴を開けてくれたものです。今の補充券と違うのは、このように 駅名がズラリと印刷されていたところでしょう。これは 胆振線内でのみ発行されていたので、横に有る着駅欄には全駅が出ています。縦の発駅欄で、始点の倶知安や終点の伊達紋別の他に、新大滝と京極が抜けているのは、全ての発列車に対して窓口で切符を販売していたからと思われます。もっとも、昭和58年発行の「北海道690駅」(小学館)によると、新大滝、京極を含めて壮瞥、喜茂別も「委託駅」になっていたために、切符の発行はあったのです。ただし、営業時間が決まっていたりすると、朝早くや夜遅くは他の駅と同様に無人駅になるため、乗客は車内で補充券を切ってもらう…はめになったのでしょう。でも、私は廃止間際に乗りに行った時、無人駅のはずの御園で何枚も切符を買いました。そのカラクリは恐らく、営業関係の職員がいなくても技術系の職員が乗客サービスにあたっていたのでは? と思われます。おかげで幻となった切符をいろいろ買うことができたのです。
 車掌さんはパンチで、右端の 月と 日に穴を開けてから発駅と着駅にもパンチを入れるのですが、縦なら駅名の上、横なら駅名の右にある「・」の部分に必ず穴を開けて、駅名が間違いなく読めるようにしていました。また着駅名欄の下のほうには、小樽、札幌、東室蘭、室蘭…と比較的乗客の目的地の頻度が高い駅も印字されているのです。
 右下のほうに「手荷物託送証」「有効2日」「手回り品料金」などの欄がありますが、これらについても詳しく書いてみたいと思います。ちなみに、この横の欄に無い駅へ行く場合、これとは別の車掌記入式のシホサツがあって、こちらは駅名欄が空白になっており、その場で書きこむのです。ソレは今度UPします。

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文中に出てきた本です。現在ではまったく利用価値はありませんが、分割民営化直前の、国鉄の駅がどんな状況だったのか?よく知ることができます。駅の情報、特に構内配線図は面白いですよ…あの宮脇先生が監修。
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投稿者:ohtaishizaki

「北の大地への切符」

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 先回のコメントの返答に書きましたが、私がはじめて北海道を訪れたのは、1982年の9月、大学のサークルの合宿のためでした。サークルといっても、鉄道研究会ではありません。その頃も今もそうですが、私はけっこう多趣味でして、まだリンクさせていませんが、野球のブログも持っています。
 自然保護や観察をメインにしたサークルで、二年に一度は北海道で夏合宿を行なっていたので、それを知って入会したかどうかは忘れました。が、大学1年生の夏は、北海道へ行ける!喜びを楽しみに過ごしたのです。

 しかし、初めて手にした北海道行きの切符は、上記の通りで東京からでなく大阪発でした。なぜ? これは「青春18のびのび切符」との併用だったからです。今も絶大な人気を誇る「18切符」…発売当初は「のびのび」と入っていたのを、皆さんご存じですか? 今度、その画像もお見せしましょう…
 実は初めての北海道行きにして、直前に大阪へプロ野球のひいきのチームを応援に行き、帰りもまた東京へ戻ってから再び大阪へ赴いたのです。で、最終的に東京へ戻ったのが、18切符の有効期限ギリギリの9月20日でした。我ながら、お金を節約した使い方をしたなぁと思っているのですが、待てよ! 東京−大阪は確か「大垣夜行(快速ムーンライトながらの前身で、153系〜165系の湘南色)」か、日中の鈍行乗り継ぎで往復していたのです。周遊券ならタダで乗れた昼行急行なんか、とっくに無かったですからね。すると、そんなにトクしていないどころか、損したような気がしてきました。
 気になったので、交通公社の時刻表1982年11月号で調べてみたところ、学生割引価格だと、大阪発と東京発でわずか3,000円ほどの差額しか無かったのです。やはり、トクしていたのです! 東京と大阪の往復を二日分とみて、当時の18切符二枚分(2,000×2=4,000円)より安かったので、恐らくそうしたのでしょう。

 前置きが長くなりましたが、「北海道ワイド周遊券」これは、貧乏学生にとっては、とてもありがたい切符でした。これ1枚で、本州から急行の自由席に乗り、青函連絡船で函館まで行けば、道内の国鉄線は特急・急行の自由席に乗り放題、また国鉄バスも乗り放題なのです。で、有効期限の20日目の夜までに北海道を出れば、途中下車こそできませんが発地まで戻れると言うルールもあり、最大で22日も旅行したツワモノもいたとのこと。
 今は周遊券自体は廃止され、周遊きっぷになり方式が変わりました。当時もあった、「一般周遊券」のような感じになっているようです。周遊券についてもいつか書こうと思っていますが、1980年代は、「ワイド」「立体」「ミニ」「ルート」「一般」と様々な種類がありました。これらは周遊きっぷと共に、様々な企画で発売されている「トクトクきっぷ」に、その中身が受け継がれていると思います。
 ちなみに「ワイド周遊券」の旧称、「均一周遊券」なんて言葉を知っている方、いらっしゃいますか? 画像をよく見てみると…右上端に「道均」と縦に記されています。これは「北海道均一周遊券」の名残りなのでしょう。実はタイトルも、「北海道周遊券」となっており、「ワイド」とはどこにも書いていなかったりします。でも、時刻表では「北海道ワイド…」とあったのです。
 そして「立体周遊券」というのは、ワイド周遊券の一種で、往復どちらかに飛行機を利用するので、「立体」!というスゴいネーミングがついています。主に北海道や九州向けにありましたが、私は使ったことがありません。
 また、「一般周遊券」の中には「ことぶき周遊券」というのがあって、新婚旅行向けの中身で、オマケに発駅の入場券10枚が付くなんて洒落たサービスがありました(つまり、出発時のお見送り用)。

 さて、切符の画像をさらに見てみましょうか…右下のほう、価格のところに「運賃変更」の丸印が押されています。国鉄の赤字が顕著になり、ローカル線の廃止が決まった頃で、以前から運賃・料金の値上げが頻繁に行なわれていました。もちろん、今のようなPCの発券はまだまだ珍しい頃ですから、在庫の切符にハンコを押して使っていたわけです。今ではこのような印刷された切符(常備券)のほうが、すっかり珍しくなってしまいました。
 その下の発行所は駅ではなく、旅行代理店の近畿日本ツーリストで購入したため、○に囲まれた「近」とあります。左側の北海道の地図の下にも、有効開始日のゴム印にも使われていますね。

 そして、中央上の「北海道周遊券」というタイトルの横に「縦のカッコと B」の文字。実はこの種の切符は、AとBの二枚組が基本でした。発地から周遊指定地の最初の下車駅まではA券で行き、その駅でA券は切り離されて回収されてしまい、残ったB券で指定地内を周遊して帰路の旅にも用いたのです。キセルではありませんが、私は当時定期券を持っていたので、このB券を手元に残すことができました。ちなみに、左端中ほどに「C券片番号」とあります。これは北海道への行きか帰りに、青森の十和田湖周辺を見物するオプションが設定されていたためで、その場合「C券」と呼ばれるもう1枚の切符が付いたのです。一番下の黄色い地図の画像の左上に、その範囲が描かれています。
 で、なぜこの切符を残したかったかというと…

 切符の至るところに、黒・紺・赤で押された大きさも形もバラバラのハンコがありますね。いわゆる「途中下車印」です。道内だけでなく、行き帰りに通った本州の駅のもあります。東海道本線「米原」駅は四角形ですね。道内の駅のは無くなってしまったローカル線のも多く、いずれにしても途中下車印は、今では使われなくなったものの一つです。当時の規則では、途中下車の際は必ず押すことになっていたのですが、面倒くさがられて押してくれない駅員もいました。もっとも、周遊券であちこち乗りまくられては、増収にもなりませんしね…鉄道ファンもけっこういたでしょうしね。だから、こちらから「押してください!」と頼むこともあったような。これもコレクションとして集めていたファンがいました。やはり、何よりもこうして残すと、北海道旅行の勲章?というか、思いでが甦って来る記念の品の一つなのです。以上                    オータ

 下は裏面になります
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 東京発には付いてないのですが、本文で触れた地図のカバー紙
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 ファンの間では功罪いろいろ評価のある方ですが、当時の複雑な経路や運計算の質問によく答えていたと思います。
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投稿者:ohtaishizaki

幻の国鉄富内線と国鉄バス

 ボヤけた画像で恐縮ですが、北海道の国鉄富内線の終点、日高町駅です。左に写っているタラコ色の気動車は、キハ21と思われます。そして、右に写っているのが、標高約900mの日勝峠を越えて帯広と結んでいた国鉄バス日勝高原線の車両です。撮影時期は1986年7月とプリントの裏にありました…

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 残念なことに、この画像を撮影した旅の記憶が非常に断片的なのです。確か札幌から日帰りのはずでした。千歳線で苫小牧へ出て、日高本線に乗り換えて起点の鵡川から富内線に乗って…と思うのですが、そこらへんが時刻表や資料を見返しても、全く思い出せません。たとえば駅弁にも当然興味を持っていたので、苫小牧駅とか、特に鵡川駅など立ち売りの駅弁屋さんがいたはずなのに、何も記憶が無いのです。また、富内線の駅舎とか沿線風景も…どうしてでしょうか?
 ただ、この日高町から先の旅については覚えていたりします。はるか帯広まで国鉄バスで2時間40分の日勝(にっしょう)峠越えを堪能しました。夕方に着いた帯広からは、根室本線を「快速 十勝」で函館本線の滝川まで行くと、さらに札幌方面への最終電車(711系)に乗り継いで戻って来たのです。多分、「青春18きっぷ」を使ったと思います。
 日勝峠は学生時代に周遊券で旅していた時から、一度行って見たいと願っていた所でしたが、ローカル線の乗りつぶしを優先していたので、なかなかかないませんでした。この時は、第二次廃止対象線だった富内線とセットで訪れることができたのです。その後は車に乗って何十回と越えましたが、最初にして最後になった「国鉄バス」利用の旅も、あまり記憶にはありません。ただ、峠を越えて広大な十勝平野を見た感動や、十勝清水から帯広までノンストップでぶっ飛ばしたことなどは覚えています。
 後に十勝バスで同区間を行ったら、山のような数のバス停がアナウンスされるので、その国鉄バスと比較して驚いてしまったのです。ちなみに十勝地方では郊外へ出ると、「○○何号」「○○何線」というバス停が延々と続きます。それも、「1号」から始まって「50号」くらいまで、一つ置きだったり続いたり…アナウンスを聴いているとだんだんウンザリしてくるほどですが、これが北海道、十勝の広大さを表わす何よりの事例でしょう。
 そして、当時の国鉄バスもその後の十勝バスも、悲しいほど空いていました。ほとんど人の乗っていない車内に、繰り返し流れるテープの女声…
 この国鉄バスの日勝高原線は、1990年前後まで走っていたようです。かつては十勝バスとの共同運行で1日四往復していた時期もありました。元々降雪の無い季節運行でしたが、末期は7月から8月末の夏休み期間に限定されていたのです。それでも車内はガラガラ。それは一方のターミナルの帯広は良しとして、もう一方の日高町があまりにもアプローチが悪すぎたことによると思います。日高町まで来ていた富内線は、私が乗った後わずか四ヶ月で廃止され、国鉄バスではなく道南バスに代替転換されたのです。が、驚くことに線路は無くなっても国鉄バスは夏の短い間だけ数年走り続け日高町まで来ていました。バスの盲腸線と化したわけです。国鉄バスだったので、周遊券での利用も可能でしたが、連絡していた富内線が廃止ではそのメリットはゼロに近くなったでしょう。
 その日勝高原線が廃止された後に、札幌−帯広間を結ぶ「ポテトライナー」の運行が始まりました。JR北海道バスの他、札幌方の北斗交通、中央バス、十勝方の十勝バス、北海道拓殖バスと、五社による華々しい共同運行により、今でも路線バスで日勝峠を越えることは可能です。もちろん都市間バスなので、ゆったりとしたシートでAV付だし、途中で乗り降りもありません。私も何回か乗りましたが、リクライニングシートに身を沈めながらも、街中を走るのと同じ路線タイプの国鉄バスが走っていた頃を懐かしく思いだしてしまうのでした。
 また、この日高町駅の周辺ですが、車に乗るようになった10年後に訪れた時には、跡形も分からないほどになっていました。路線跡もほとんど姿を消しているようです。が、振内駅が鉄道記念館になっており展示物がけっこうイイですね。行ったことはないのですが富内駅も駅舎などが保存され、ここは松本零士氏の肝いりもあって、「銀河鉄道999」のイメージで、線路を空へ向かって曲げてあるとか…

 最後に写真がなぜボヤけていたか? 撮影したカメラが当時出ていたインスタントのオモチャのようなシロモノだったからです。カートリッジ式のフィルムを入れて、ただファインダー代わりのワクの中を覗いてシャッターをカチッ!と押すだけ。フラッシュもピント合わせも何もありません。写したらジージー…と手巻きでフィルムを巻いて次に備えます。まだ、「写るんデス」が発売される前のことです。よく撮れたなァと、今でも思いつつ、せっかくの富内線や国鉄バスを、なぜちゃんとしたカメラで撮らなかったのか、悔いたりもしています。 では…       オータ

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 北海道の廃線跡を訪ねる方は数あれど、この本が古典的名著と言わざるをえないと思います。著者の本職は北大理学部物理学の教授なので、物象の観察眼はなかなかです。地形図をもとにした、ルポエッセイから出た方で、臨検よろしく何人ものお仲間と楽しく歩いています。が、「鉄分」の濃い方には物足りないかもしれません。
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投稿者:ohtaishizaki
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