暇つぶしにでも読んでみてください。
ただし、忙しいときは読まないでください。
たとえば暇を持て余している一人の青年がいたとする。
彼はその途方もない退屈な時間をどのように消費しようか考える。
つまりその時間は「暇を潰す方法を考える」わけで、決して何もしていないわけではない。
だが恐らく傍から見れば……世間一般の視点から見れば「暇そうにしている」と解釈されるのが世の常であり、青年は無駄な時間を過ごしていると断定される。
しかし彼は「暇を潰す方法を考えている」のである。これは彼の孤独と退屈という地獄から抜け出すための防衛本能である。
だが、暇つぶしの方法を彼の脳内でいくら模索しようが暇なものは暇なのである。
そして青年はふと思う。
ぼけーっとしたまま何も考えずに時間の流れだけが干渉する存在への羨望を。
青年と前記の存在には大きな違いがある。
青年は思考回路が働くせいで退屈を認識し、それを苦痛と感じ、そして思考したあげく暇つぶしを模索するという過程が生まれる。
だが、ぼーっとしたまま何も考えないことは退屈を認識することもなく、それを苦痛と感じることもなく、それゆえに暇つぶしを模索することもない。
その為ストレスや疲労を感じることんなく、時間の流れの身に蝕まれた体を癒すために眠りへと落ちていく。
これを平凡といえばそれまでだし、幸せといえば多少の映えもでてこないだろうか?
思考能力は時としてその効用に常日頃助力を得るのと同様に辟易する諸刃の剣……何も考えずただぼーっと生きて、眠って、生きて、眠って……を繰り返せたら、それを幸せと万人が認めるかという疑問を除外すれば本当の自分に出会うことができるのではなかろうか?
長々と書き綴ってみたが、これを書いている青年は今、ものすごく暇なのである。
ただこれを読んでいる時間のあなたは少なくとも暇ではなかったのではなかろうか?それならばなんとなく嬉しかったりする。

0