きっと出てくるだろうと予測していた。
カルト集団の創価学会が大手を振って政治に関与し、公明党が与党にへばり付き、自公政権を演出してきた。創価学会膨張の上げ止まりに対して、学会員を票集めへと駆り立てることにより結束力を高めて集票マシン・集金マシンとしてきた。そして、世論までも味方にする広告宣伝費を賄う仕組みまで出来上がった。
このお金に負けたほとんどの大手新聞・テレビは「学会批判」ができない状況に陥っている。
「宗教法人・幸福の科学が『幸福実現党』設立、衆院選へ」(asahi.com5月25日)は、次のように伝えた。
「宗教法人・幸福の科学(大川隆法総裁)による政治団体『幸福実現党』が25日設立され、次期衆院選に候補者を擁立する方針を発表した。
党首には幸福の科学の元常務執行理事の饗庭直道(あえば・じきどう)氏が、党首代行には大川隆法氏夫人の大川きょう子氏が就いた。憲法9条改正など、隆法氏の理念に基づく政策実現を目指すとしており、隆法氏自身は立候補しないという。
この日の記者会見では、300の小選挙区、11の比例区のすべてに擁立する意向を表明。候補者や選挙区については調整中といい、一般公募も呼びかけていくとした」と。
創価学会には、私の中学・高校時代の嫌な思い出がよみがえる。
母親が私の病気に悩み、ついに入信してしまい、わが家への信者出入りが頻繁になり、家族の言い争いの種が撒かれた。
特に、高校時代には大学生信者が私を折伏しようと連日訪れ、言い合いの中で“私たち創価学会は決して政治に関与することはない”を言い続けていた。
結局、その後、母親は子どもの気持ちを察して創価学会から離れた。
また、幸福の科学には親戚の嫁さんが入り、わが息子が重病で入院したときに、入信を誘いにやってきた。
宗教信者なのに、集団としての優しさを全く感じないカルト集団が増えていて、社会化しようとしている。
ここで、浅見定雄氏(元東北学院大学教授)の文章を読み、勉強しておきたい。
「『カルト宗教』創価学会批判」(2001年2月10日発行「宗教と平和」389号より)をネットで見つけた。
「
創価学会の実際:1993年の春、統一教会の合同結婚に参加した有名タレントが私たちの仲間の努力で脱会して話題なったちょうどその頃、拙訳のS・ハッサン『マインド・コントロール の恐怖』が出版された。 その時の読者からいただいた手紙のうち、『匿名』希望がいちばん多かったのは、『幸福の科学』と、創価学会の元・現信者からのものだった。そして創価学会関係のものは、およそ次の二つに大別できた。
一つは、同書の中に『アメリカ日蓮正宗』が『カルト』として挙げられていることに対する抗議。他方もう一つは、同書第5章の『カルトの心理』に書かれていることがあまりにも創価学会での体験に似ている、というものである。
元信者だけでなく、現信者がこれを読んで迷いだしたとか、すでに迷っていたがこれでやめる決心がついたと告白してきたものも何通かあった。
地下鉄サリン事件の年に、私はある地方都市でカルト問題について語った。講演が終わったあと、是非相談をと希望して来られた人々のうち、時間の制約のため、これだけはと直観した3人のお話だけ聞いた。
1人は、赤ちゃんを抱っこし、幼稚園くらいの子どもさんを連れた30代の主婦だった。彼女は次のように語り、途中から涙ぐんだ。 “私は創価学会二世で、高校も創価高校。友達といえば、恋愛、結婚のことから子育てまで、なんでも話せたのはその人だけでした。しかし、結婚後、転勤して当地にきた夫が、まず創価学会に疑問を持ち、私も真剣に考えた結果、学会をやめることにしました。ところが、そのことを友達に告白したとたん、あんなに親しかった友達が一人残らず、私と一切の関係を絶ってきました。電話も年賀状も、あちらからは一通も来なくなりました。” これは『いじめ』であり精神的制裁であると私は思う。
もう一例だけ挙げよう。あまりに身近な事例なので、いつの総選挙の時とは言わない。投票日も迫ったある夜、私の親族の親友(女性)のところに妹さんから次のような電話があったというのである。“お姉ちゃんは公明党になんか投票しない人だとよく知っているけれど、今度だけ、お願い!”あまりにも切実な感じなので“なぜ?”と聞くと、妹さんはこう言ったという。“5票集めないと仏罰があるの。”『5票』が『あと5票』の意味だったか、また『仏罰』というのが正確に本人が使った言葉だったか、問い合わせれば確かめられるが、実際には変わりのないことである。
他の『ふつうの』伝統的宗教や新宗教にくらべて、創価学会にはこの種の問題が多すぎる。このことは、過去のおびただしい創価学会批判書をさかのぼるまでもなく、最近の、例えば佐高信・テリー伊藤共著の『お笑い創価学会』(光文社)や赤旗特別取材班編の『政教一体 公明党・創価学会』T〜W(新日本出版社)を読めば−いや、本誌のシリーズC(田賀一成氏『内部から見た創価学会・政教一致と公明党の今昔』)を読んだだけでも−納得せせざるをない。
創価学会は「カルト」か:『カルト』は今や学術用語ではなく、世間のだれもが使う(使ってよい)通俗用語である。そしてその意味はよくない。オウム真理教や法の華三法行がいちばんわかりやすいのだが、要するに宗教の中でも個人や社会に対して破壊的あるいは非人道的な行為をしていると思うものを、人々は『カルト』と呼んでいる。(ただし、ライフスペースやヤマギシ会のように『宗教』を名乗らないカルトもあることに注意。)このように『カルト』は、厳密な学術用語でも何でもないので、この言葉を責任を持って使うには注意と覚悟が必要である。世間でもなんとなく奇異に思われている宗教団体でも、破壊的行為など全然していないという例も少なくない。従って、ある団体が『カルト』であるかどうか、あるいはどの程度まで『カルト的』であるかを責任をもって論じるには、まず事実の把握が大切である。
そして、次に、その事実の『ひどさ』の程度が問題となる。『あの寺の戒名代は少々高すぎる』という程度の話とオウムや法の華とは、同列に論じられない。
このうち『事実』に関しては、どのような行為を『破壊的』とか『非人道的』とか言うべきであろうか。この点で参考になるのは、古くは1984年にヨーロッパ議会が採択した13の基準である。例えばその5番目にはこうある。『個人が妨げられることなく、ある運動から離れる権利・・・が尊重されなくてはならない』この基準に照らして読者は私が先ほど紹介した若い主婦の例をどのように思われるであろうか。『しんぶん赤旗』の昨年10月17日号(東北版)に報じられていた。元学会信者・増田宏久さん宅への嫌がらせ電話事件も同様である。 1995年にフランス議会が満場一致で受理したセクト(カルト)調査委員会報告書の10の基準も参考になる。
その第2項は『法外な金銭的要求』、第8項は『多くの裁判沙汰』、そして第10項は『行政当局への浸透の企て』であるが、前記シリーズCで田賀正氏が挙げておられる創価学会の『三つの力』のうち『権力の力』で述べておられることは第10の基準に、『財力』のところで述べておられることは第2の基準に当てはまると私は思う。また創価学会には、例えば、『ふつう』伝統的仏教諸宗派に比べて『裁判沙汰』が目立つのも事実であろう。フランス議会のこの報告書は、10の基準の1つにでも該当すると判断した172の団体を実名で挙げているが、『フランス創価学会インターナショナル』もその中に含まれている。
信教の自由と政治活動の自由:最後に、本当はこの点だけ書けば、私のスペースは十数行でよかったと思っていた点を三点書く。
@ 人がどんな宗教を選ぶかは、全く自由である
A 個々の宗教者がどんな政党を選ぶかも、全く自由である。
B しかし、ある宗教のメンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない−創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように−もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず政教分離の原則を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である!
もし欧米の全キリスト教徒が一つの政党しか選ばないとしたら、米国の民主・共和両党はもちろん、ヨーロッパ諸国の主要な複数政党も一切存在しないであろう。ついでながら、私の属する日本基督教団でも、信者の政党支持はまったくばらばらである」と。
この不況下で、僅かな稼ぎからまでお布施をする人たち、寝る間も惜しんで信者獲得に動き回る人たち。自分たちが置かれている政治・経済状況に不満を抱かせない仕組みが動いている。
そして、「幸福の科学」というカルト集団は憲法九条改正を堂々と謳い、現政権の社会構造に寄り添って地盤を堅固にしようとしている。
私はどんな宗教も否定しない。
しかし、このような宗教団体がアチコチではびこり、庶民の眼を隠して言いなりになる人たちが増えることを恐れる。特に、若い世代でスピリチュアルを受け入れている人たちには特に入り易いカルトである。
血液型、占星術、手かざし、背後霊・・。これを信じる人たちが増えれば増えるほど、カルトは強くなる。
しっかりと若者たちと議論し、現実世界と対峙する能力を養うために、
関係性を深めよう。

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