昨年の4月21日に初めてのエントリーをした。
ワクワクとドキドキの出発であった。
自分でブログを立ち上げられるとは思っていなかった。
それをさせるエネルギーが何処かにあった。
ビジネスを30歳で始めて立ち上げ、親戚に頭を下げてカネを集めた。
それを軌道に乗せたと感じる瞬間はないまま拡大再生産に追われ、次の資金投入の必要性が出てくる。親戚からの借入は返済したものの、代わりに金融機関からの借入は膨らんでいく。
組織もそれなりに大きくなるが、社員の家族も含めて責任が一層大きくなってきていたはずであるが、そんなことを気付きもしないで、若さ故に押しまくり売上も組織も大きくなることだけを望んだ。
40歳で二つ目の会社を立ち上げ、海外とのつながりも増え、一つ目の会社に責任を持てなくなった。そこで、一つ目の会社を社員に渡し、一部の社員は二つ目の会社で働くこととなった。
そして、二つ目の会社も順調に伸び、銀行借入も急激に増えていった。仕入も製造も販売も若手に一定程度任せ、もっぱら私の仕事は金融機関との金利交渉と24時間の外貨トレードに集中していった。まさに毎日が立ち止まることがなく、走りまくっていた。
3年前に海外出張中に大きな事故に遭い、歩行不能と言われたの腰椎2本の圧迫骨折をしたが、長期入院の末歩けるようにはなった。入院中もパソコンを見ながら外貨トレードは続けていたが、私の人生はこれで良いのかという疑問が湧き出てきた。
生まれて初めて
「心の空洞」を覚えた。
しかし、これを相談できる仲間は今のビジネスの中にはいない。大袈裟に言えば、企業文化が確立され、これを口にすることは中小企業のオヤジには許されないのだ。
特に、取引先と金融機関には感付かれる訳にはいかない。
社内から外部に流れる場合もある。
「心の空洞」は沈黙の世界を多くした。
そして昨年、ついに新たな行動に出た。
「心の空洞」は新たなエネルギーを与えた。
私を知られない世界に門出した。
こんなに心を自由にさせてくれる“場”はビジネスの世界にはなかった。
私はここで本音で語ってきた。
多くのブロガーは本音で応えてくれた。
立ち上げて1ヵ月後の10回目(5月26日)のエントリーで初めてコメントを受けた。余りに嬉しくて涙が出た。多くのブログに立ち寄り、そことの
関係性も深まってきた。多くの影響も受けて、ある時は過激になり、ある時はダルマのように丸くなった。アクセス数も5万回を超えた。
しかし、実社会でこの喜びを伝える仲間はいなかった。唯一、女房だけだった。
それに、実業の世界で社会システムに怒り、政治に怒り、業界に怒ってきたが、ブログを通じて一層その怒りが止まることはなかった。
「心の空洞」は大きくなる一方であった。
お金を語る時以外に仲間の存在がないという
「心の空洞」であり、ビジネスには心も身体も休ませる“場”がないというものであった。結果として、多様な特色を持っていたはずのビジネス仲間をまっしぐらに収益と結び付ける単一行動に走らせ、持続可能な社会を壊してきたことを殆ど感じない強者に仕立てた責任が
「心の空洞」を作ってきた。
間接的には、傷付いた多くの若者たちそして子どもたちに返す行為・行動が私の
「心の空洞」を埋め戻すことができるのではないか、直接的には、世代を超えた
関係性を重視した
「何か」に自らを加える努力が必要ではないか、と考えるようになってきた。
ブログには時間制限がない。それだけに、怒りを精査する時間が持てる。そして、それを「学びほぐす」ためのブロガー
関係性を重視し、他方で実生活の
「何か」で
「心の空洞」を癒すことしかないと知った。
この
「何か」は平和主義をモットーとし、反環境破壊と反人間破壊を基軸に、反戦争、反原発、反権力、反権威、反格差、反利権から始まる。
この1年はとても大きなモノを獲得しました。
ここまで付き合ってくれた皆様のお陰です。
次の1年にはこの成果を表現できたらと思います。
みなさん、これからも宜しくお願い致します。

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