通勤電車の中でたまたま拾った産経新聞に興味が湧いた。普段、購読していない新聞だけに、ワクワク感さえ与えられた。
産経新聞の4月18日付け「産経抄」を一読して、ビックリした。
政治記事に弱い私でもこの怪しげな論理にビックリした。
米バージニア工科大学の乱射事件に、「銃根絶に取り組んでほしい」と。
この結論に何の疑問もないし、むしろ賛同したい。
ところが、この結論に至る前に、
二つの論理が染み込ませてある。
その部分を紹介しよう。
@米バージニア工科大学の乱射事件へのブッシュ大統領の言は「きょう苦しんでいる人々を慰めてくれるよう慈悲深い神にお願いします」であった。
これに対して、産経記者は「神に祈りをささげるのはなんの不自然もない。・・無宗教が良しとされるのは共産主義国家だけだ」と。
A「国民が武器を所有し携帯する権利は損なうことができない」(米憲法修正第2条)に対して、憲法を修正するのは難事業であることを述べ、「米下院も慰安婦決議などにうつつを抜かさず、憲法修正に取り組むべき」と解説している。
@の論理のくだらなさには呆れる。一般的に、乱射事件の背景を整理する。私ならアメリカ社会の出口のなさや戦争経済が社会の隅々まで浸透していること、もしくは、全米ライフル協会による資金的政治介入が腐って無法な銃社会の基盤を作っていることを解説する。それに、米政権が全米ライフル協会と結び付いていることを自覚しているブッシュはこの銃撃事件を神に委ねるしかないことを告白している。このことさえ気が付かない産経新聞記者の批判能力のない論理である。
Aで、嘘八百の慰安婦問題を扱っているような米議会には憲法修正に取り組めるはずはない、と言いたいようだ。それに比べ、日本の議会は「憲法改正」に向って正々堂々と突き進んでいるとも言いたいのだろう。
この二つの論理の幼稚さは、全て本題からそれていて、大変な事件をまともに扱っていない。
そして続けて、「長崎市長の銃撃されたとの急報が入った。銃が厳しく規制されているはずの日本で起きてはならぬことが起きた。どんな理由があっても許されぬ政治テロだ。警察もまなじりを決して銃根絶に取り組んでほしい」と結んだ。
米乱射事件への二つの幼稚な論理を読まされて、そのついでに「長崎市長の銃撃」をこのようにまとめられると、この記者の本当の心は大変な事件とやはり感じていないのであろう。新聞記者として格好を付けただけであり、「憲法改正」後であれば反戦の伊藤一長・長崎市長そのものが国家の名の下で存在していない、位のものの見方である。この記者が言う「どんな理由があっても許されぬ政治テロ」は、国家権力のテロなど考えにも及ばない。まさに弱い立場の人たちを「慰安婦」として利用し尽くし、なおそれを認めようとしない国家権力のテロを無視できる品性の表れである。
この記者の口からでる「政治テロ」は権力者のいいぐさであり、客観的に自らを見られない独断的で幼稚な権力者のいいぐさである。
こんな不真面目な記事を書いて、それが採用される産経新聞にビックリするし、思想的に右か左かではなく、真面目な知性を一切持っていないことが伺える。今の安部政権にシッカリ合致しているとも言える。
産経新聞と安部政権の軽薄さが同列だとしたら、今日中に国会を通過しそうな「国民投票法案」の中身が愚劣さと幼稚さに満たされていることが十分推測される。
たぶん二度と、産経新聞と
関係性を持つことはないだろうし、「国民投票法案」国会の中での各政党の動きを見て
産経新聞と同列な政党を炙り出さなければならない。