駅頭で「九条の会」の署名をしたら、「日本の青空」上映のチケットが送られてきた。そういえば、どこかのブログに載っていたことを思い出し、女房と出かけた。
インディーズ・ホームページでストーリーを次のように書いている。
「沙也可(田丸麻紀)は『月刊アトラス』編集部の派遣社員。部数復活をかけた企画『特集・日本国憲法の原点を問う!』で、先輩達が白洲次郎(宍戸 開)、ベアテ・シロタ・ゴードン、など著名人の取材を検討する中、沙也可も企画を出すようチャンスを与えられる。そんな折、母(岩本多代)の助言により、沙也可は全く名も知らなかった在野の憲法学者・鈴木安蔵(高橋和也)の取材を進めることになる。安蔵の二人の娘(水野久美)と(左 時枝)への取材に成功した沙也可は二人の証言から、戦時下での在野の憲法学者としての安蔵の苦労と崇高さを知る。そして沙也可は長女から託された古びた安蔵本人の日記帳を手がかりに、安蔵を支えた聡明な妻・俊子(藤谷美紀)の存在や、日本国憲法誕生を巡るドラマの核心を明らかにしてゆく―。
戦後まもなくの日本では民主主義国家の形成に向けて知識人たちがいち早く行動を開始する。大日本帝国憲法にかわる、真に民主的な新憲法は民間人から生まれてしかるべきだという気運が彼らを取り巻いていた。安蔵はそんな時代の流れの中で高野岩三郎(加藤 剛)、森戸辰男(鹿島信哉)、室伏高信(真実一路)、岩淵辰雄(山下洵一郎)、杉森孝次郎(坂部文昭)らと民間の『憲法研究会』を結成する。メンバー唯一の憲法学者である安蔵を中心に、彼らは新しい時代に求められるべき憲法を探るため草案完成に向け論議を重ねて力を尽くす。
日本政府によって作成された憲法草案は大日本帝国憲法と基本的には代わり映えしないものでGHQ側にあっさりとはね返された。対して、『憲法研究会』が熟考を重ね、GHQに提出した草案は、真に民主的なものであると高く評価され、GHQ案に多大な影響を与えることに・・・・」と。
結局、
この映画によって、鈴木安蔵を中心とする「憲法研究会」が示した草案を基に、GHQ案ができあがり、多大な影響を「憲法研究会」が与えたことを立証している。
それにもかかわらず、改憲論者は“占領軍に押付けられた憲法”であり、新たに作り変える必要がある、と主張している。
この映画について、私の友人(経営者)の改憲論支持者に語ったところ、彼はこの事実を知っていた。しかし、彼は“一から十まで日本人の手で作らなければ、私たちのための憲法とは言えない”と言い、地下鉄サリン事件、北朝鮮の拉致事件そして9.11テロを考えれば、しっかりとした軍備を持つ普通の国にすべきであると主張した。
これに対して、自衛は周りに対して敏感になり、先制攻撃というラジカルささえ容認することになり、自ら戦争を作り出すことも、戦争を拡大することも積極的に推し進める国家となることを私は説明した。ついでに、軍という権力を握った者たちは、対内的にも敏感になり、今の自衛隊ですら市民を探るスパイ行動をしたように、常に庶民を監視する体制が生まれると語ったが、平行線であった。
私はこの議論をした帰り道に、フッと頭を過ぎった。地下鉄サリン事件、北朝鮮の拉致事件そして9.11テロを起こした張本人が軍隊だとしたら、と身震いした。
「国家と国民は一体なのか」(朝日新聞6月9日付け朝刊)は萱野稔人(かやのとしひと)氏(津田塾大准教授)の主張である。
沖縄戦での「集団自決」の記述に文部科学省による修正が要求された。「そこには安部首相の国家観と通底するものがある」。「国家と国民は一体である、という国家観だ。国家の運営に直接かかわったり、役人や軍人として一定の権限をあたえられたりする人間と、それ以外の国民とを区別してはならないという発想に、そうした国家観が具現している。これが沖縄戦での『集団自決』にかんして表明されると、軍の命令という要素をなんとか無化していこうとする文部科学省の態度になるのである」。
とはいえ、「国家だけが合法的に暴力をもちいることができる・・たとえば逮捕というかたちで人びとの身柄を強制的に拘束したり、戦争というかたちで武力行使をしたりすることが法的に認められているのは国家だけである。「国家権力」といわれるものはまさに、国家がこのように合法的に暴力を行使できる、というところから生じてくる。暴力の行使という点からいえば、国家と国民のあいだには明らかな非対称性があるのだ」と。
「集団自決に見る軍の非情」(朝日新聞6月23日付け朝刊)は、この日に沖縄戦が終わった「慰霊の日」の社説である。
教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」を文部科学省が「日本軍は無関係」としたことに、沖縄市町村議会や県議会は検定の撤回を全会一致で可決した。
「迫りくる『鬼畜』の敵軍。背後には投降を許さない日本軍。そうした異常な状態が集団自決をもたらした」と。
「今できることは書くこと―小田実(75)」(朝日新聞6月25日付け夕刊)で、憲法改正が当たり前に議論されていることについて「非情に恐ろしいと思うね。平和憲法は単に理想を説いたものではないんだよ。第2次世界大戦で日本は大義名分を掲げて中国を焼き、殺し、その結果、正義を掲げるアメリカに焼かれ、殺された。私は今でも大空襲のあとの強烈な臭いを思い出しますね。放置され、腐った死体の臭い。戦争は殺し合いだよ。正義の戦争なんてないんだよ。その痛切な反省に基づいて日本は平和憲法を持った。その大事さ加減が、今の人には分かっていない」と、末期がんと戦いながら語っている。
軍隊は敵を殺し、内なる仲間さえ戦いの防波堤にする。そして、その指揮官は常にその権力ゆえに疑心暗鬼になり、敵も見方も全てを敵にする行動を取ってきた。そして、戦後に政権が変わることにより、その反省をするはずが、未だにそれを認めようとしない。
戦前・戦中の日本軍は今の政権内部で不気味に生き続けている証拠であろう。そんなことを上記の朝日新聞の三記事から感じさせる。
安部政権の「戦後レジームからの脱却」というスローガンは、自らの戦前への回帰を我々にも押付けようとする狙いがある。我々に自ら自決するように促すつもりである。
「岡崎で映画『日本の青空』を自主上映」(ブログ「消費税を戦争に使わせない九条の会」5月11日付け)を改めて再確認した。
http://ivory.ap.teacup.com/yoshyomi/
この記事を読んでいなければ、この映画に行かなかったかもしれない。ブログ間の
関係性はとても大事である。
多くのブログとトラックバックやコメントのやり取りを続けることによって、単なるメディアの情報の積み重ねではないその奥に潜むモノに触れることができる。この関係性は学生時代のゼミを遥かに越えた多様なつながりを実現している。

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