被爆から62年、戦後政府はこの重みをどれほど感じてきたのか。
そして、私たちの多くは
「平和ボケ」と言われてきたが、基地を抱えた沖縄、米軍・自衛隊戦闘機が飛び交う地域、米海軍の寄港地そして今も戦争状態にあるイラクにさえ他人事として見てきた。
この二度による原爆投下の6日と9日は未だに学び切れていない私たちに自覚し直さす夏であることを教える。そして、心から多くの被災者への哀悼の意を伝えたい。
この私たちの無関心さは現政府に「改憲」意欲を持たせ、そして平然と「平和」や「悲劇」を口にできる政府に仕立ててきた。
その張本人である安倍首相は欠席を表明していたが急遽出席をし、5日、被爆者七団体代表を前に「原爆症基準」の見直しを口にした。参院選の惨敗の後始末と久間・前防衛相の「しょうがない」発言にわびる意味で口にした。チョットした口先のアメとならないことを期待する。
秋葉市長は
「広島市長平和宣言」を6日の広島平和式典で読み上げた。
「運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く『落下傘』。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。
落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの『地獄』でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。『こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ』と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
・・
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、
国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』と言うべきです。また、『黒い雨降雨地域』や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。」
これに対して、この式典での
安倍首相は次の
挨拶概要であった。
「・・原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。広島は焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。
・・広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。わが国は、人類史上唯一の被爆国として、悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、・・悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層堅固なものとしました。
今後とも憲法の規定を順守し、国際平和を誠実に希求し、非核3原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。
また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に全力で取り組んでまいります。
政府は被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。・・今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯(しんし)に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。・・」
何度も「平和宣言」(秋葉市長)と平和式典での安倍首相の挨拶を読み比べて見た。
一国の首相が、それも被爆体験のある国の首相で、これだけ軽々しい実態のない挨拶ができてしまう。安倍首相は
「平和ボケ」の頂点に立っていることを最も気付いていないからである。いやむしろ気付く必要もない階層に属し、戦争による加害だろうが被爆という被害であろうが、ただ上から眺めて遊んでいるに過ぎないのだ。「改憲」を平然と口にでき、防衛「省」化をし、自衛隊の海外派兵を強めている権力者が「憲法の規定を順守し、国際平和を誠実に希求し、非核3原則を堅持していく」と言える思考論理は、ただただ呆れるばかりである。
このような権力を許している私たちこそ、安倍首相と同じ
「平和ボケ」から覚めて、「平和宣言」を読み直し、「平和憲法」の堅持への行動を積み重ねなければならない。
「ノー・ウォー美術家の集い横浜」が8月6日(月)〜12日(日)まで、神奈川県民ホールで開催されている。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kanazuch/tsudoi_index.htm
それぞれの立場からそれぞれの「反戦・平和」の運動が起こされている。
私も少しづつではあるが、「九条」との
関係性を強めている。そんな暑い夏である。
今回のエントリーでは同じ厳粛な“場”に立つ異なった二つの言葉の違いを再確認するために、ほぼその全文をブログに残そうと掲載しました。読者の皆様も是非家族の中で、仲間内で読み合わせると色々な世界が見えるかも知れません。おそらく、凄い首相を抱えているクニに暮らしていることが確認できます。