関係性

 取引関係、企業間関係には関係性の重視がある。この関係性によって多くの市場情報を獲得でき、次の一歩も取引企業との係わりを通じて決定することができる。
 取引の連続性によって、企業間関係に信頼関係が結びつき、相互依存関係にまで達する場合もある。
 信頼・依存関係に入った取引にはリスクはないのか?

 

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投稿者:morichan
 pfaelzerweinさん
 最も大事なことは、企業は「資本の論理」で動きますが、政府はそれを押さえ再分配を行う機能が発達してなければなりません。
 同様に、環境に対しても、そこに住む人たちや将来生まれ出る人たちのことを考えて、「資本の論理」を抑える仕組みになっていないといけないと思います。
 その意味で、行官財の癒着や利権は、「目先の利潤と名目経済しか計算出来ない経団連などのヒモツキ」になると思います。
 愚樵さんにも書きましたが、雨水を貯めるドラム缶を二つ道路に面した場所に設置しました。近所の人たちは“これは何かね”と聞いてきますので、“皆さんも自由にお使いください”と伝えています。誰でも使える蛇口がここにあります。
 これを真似する人が現れることを願っています。小さなことですが、ここから始めています。

http://green.ap.teacup.com/passionnante
投稿者:morichan
 愚樵さん
 まさに同感です。
 間違いなく「資本の論理」で社会が動き、動かされている事実を見れば、その責任に私たちも入る訳です。
 今現在、わが家のリフォームをしていますが、この環境を考えて、実行しています。
 雨水を集める機材を設置し花遣りや洗車に利用し、床板は国内産の無垢材を採用し、ベランダの直しはペンキ塗りの回数が少なくて済む比重の高い外材を使いました。
 工務店と一緒になって議論しながら見本を見比べながら少しずつ作業を進めています。
 大事なのは、この作業を通じて、東電の「エコキュート」の宣伝に訳も分からず乗らないことと、消費者としての知識と業者の知識向上に共に役立てることで、環境全般を議論できる場面を多くすること、だと思います。できたら、私的行動に終わらないで、その成果を身近な人たちに公表したいです。
 来年の春にはソーラーシステムも考えています。
 この春から、家中の待機電力を減らすために家族全員でコンセント抜きを続けてきました。例年に比べて、10%以上は節電できています。
 このような行動を公共事業にも活用し一般化させたら、もしくはこのレベルではどうにもならなくそれ以上の生活スタイルの変更を求めなければならないのかを知りたいです。

http://green.ap.teacup.com/passionnante
投稿者:pfaelzerwein
「10%電気量が減りました」は驚きです。愚樵さんのコメントにも関連しまして、「環境やエネルギー政策」を考える場合、実は我々の生活を不便にしたり我慢したり、時計の針を戻して昔に帰る事は不可能なのですね。それならば何が出来るかです。例えばです、東京の冷房を全てヒートポンプ等で循環させ熱排出を極力抑えたり、集中冷暖房機構を整備して、家屋の熱遮断を進めるだけで、都市型の更に悪化するであろう灼熱地獄は防げる筈です。しかし、こうした殆ど安全保障上必要な国の大プロジェクトを進めるべき政治が、ここ二十年ほど激しく痴呆化の進む、目先の利潤と名目経済しか計算出来ない経団連などのヒモツキになっていることが問題なのです。

遅れてお粗末な社会資本の充実と整備を進めるためには、公平な市場競争を最大限に活かす自由化と「政策」が重要です。日本の場合は、米国資本の参加という圧力の中でしか自由化が進まなかったことが、競争を促す参入の容易な自由主義国民経済に至っていないことが最大の問題ですね。

本記事の内容とは外れてしまいましたが、全ての「政策」において避けては通れない、自由主義経済社会での公平な競争と国民経済の運営の問題と考えます。

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein
投稿者:愚樵
TBありがとうございます。

>“お前達のために危険な原発を推進しているのが分からないのか”と主張する原発推進者の責任転嫁

前エントリーでこれを「資本の論理」と仰っていましたが、これに賛同すると同時に少し違和感も感じていました。というのも消費者としての私たちの側も、まるで無責任とは思えないからです。

現在の日本では電力需要のピークは夏場の昼間、要は冷房のための電力需要が大きくなるところにあります。もし、今直ちに原発を止めるとなると、夏場の電力需要に対応できず、都会で生活する者はコンクリートジャングルと化した都会の酷暑に直面するでしょう。多数の死人もでることになろうかと思います。

こんな社会に誰がしてしまったのか? それは私たちでしょう。資本は私たちのそうした欲求の上に乗っかり、また時には扇動して肥え太っていき、さらに貪欲に利益をむさぼろうとしています。
この資本の底知れない欲深さはどうにかしなければなりません。しかし、これは私たちの欲深さと切り離してはどうしようもないことです「資本の倫理」とは私たちの論理でもあるわけです。

>先ず、原発を止めよう。そして私たちの生活スタイルに自然を取り入れよう。

原発を止めるためには私たちの生活スタイルを改めるしかありません。では、自然を取り入れた生活スタイルで私たちはどのように生活していけばよいのか? また、そもそも生活していけるのか? 
ここが明らかにならなければ、いつまでたっても「資本の論理」は切り崩せないように思います。

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