連日の株暴落によって「世界同時株安」が新聞紙上をにぎわし、毎日が落ち込むニュースの連発である。
くだらない株投資や外貨預金や投資信託などしている奴の顔が浮かび、ザマー見ろと言いたいのだが、こちらの商売の雰囲気もとても悪い。まさに“嫌な感じ”を漂わせている。この投資屋たちと私とでは係わりもつながりもないのに、同じような“嫌な感じ”を受ける。
そんな都会の仕事から離れて、田舎で農業でもと思えるほど安易な日本農業ではない。老後の遊び半分や観光気分での参加ならできるが、そんなものが農業であるわけがない。
「非合理な農業 農村は消滅か」(朝日新聞1月20日付け朝刊「声」)で、梶岡さん(82歳 岡山県津山市)は次のように述べている。
「農村が消滅寸前です。今すぐに対策を立てないと、日本から農村はなくなると思います。
当地の農業は水稲栽培が主ですが、営農面積は狭く、効率は上がらないうえ、農業機械はとても高価です。現在の低い米価では毎年赤字です。
・・我々高齢者の労働力なら無償のようなもので、何とかもっています。
高齢の営農者が働けなくなった時が、農村が消滅する時だと思います・・」と。
20代〜40代で、農業に興味があり色々な取り組みをしている人たちが大分増えている。ネットを通じてそのつながりや議論もされている。そして、全面的に農業という生活には入りきれない人たちは「半農半X」を言い、このXという何かを加えた農業を夢見ている。この夢が日本中に広がれば、新しい日本の農業も見えてくる。それも「個」としての農業ではなく、「つながり」としての農業であり、都会の人たちとも連携した勇気を与え合う農業である。
昨年来、
「デカップリング(decoupling)」という用語が新聞でよく見られる。
分離や
非連続という意味で使われる。米国が減速しても、グローバル企業の業績は連動せずに、アジアや中南米など新興国の成長を追い風に拡大するという世界経済についての新しい見方である(日本経済新聞07年11月28日付け朝刊「米景気減速に連動警戒」)。
ところが、中国でさえドル買いや対米証券投資によって米国の過剰消費を持続させ、自国の輸出増を支えている(朝日新聞07年12月13日付け朝刊「デカップリング説への疑問」)。
「世界同時株安」は「デカップリング」を否定した。
日本の農業の弱体化も限界集落の増加も世界経済と密に連動させた「市場」が起こしたものである。世界経済との間に入った政府が「新自由主義」を難なく導入させ、いっそう農業や農家の疲弊を作り出した。何の歯止めもない政府、無駄な政府がそこにある。
都会の雇用条件にもファストな生活にもおさらばして、ユッタリと農業に入り込み、経済的に豊かではないが心にゆとりのある農業に進もうとする意欲を台無しにする「新自由主義」を持ち込んだ。
都会の「貧困化」は「豊かでない」というレベルではない。そして、岡山県津山市の梶岡さんは「無償の労働力」を前提にしている。都会の「貧困化」の比ではない「貧困化」がそこに横たわっている。
農業の生活と都会の生活は決して「デカップリング」していない。
都会の「貧困化」はより安い食品を求め、それだけ農家を圧迫する。
農家の老齢化が進み、若者は農家に入りたがっている。それなのに、それを拒絶する経済構造の中に私たちは組み込まれている。
農業への夢を語る若者を大事にしたい。そして、彼らの農業によってより安心できる食材を提供してもらいたい。そのためにも、都会の「貧困化」を失くすことを忘れてはならない。切り離せない農業と都会がある。どこか一部分でも夢に係わりながら、反「貧困化」運動との
関係性も深めたい。

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