先週の土曜日(26日)から全国ロードショウとなった。

昭和15年の出来事を平成20年に観る意味について、主演女優の吉永小百合さんは次のように語っている。

「どんどん日本が、というより日本のえらい方たちが、戦争をする国にしようとしているという怖さを感じたんです。戦争は人殺しだから、私は、それは何としてもやってはいけないことだと思うんですよね。正義の戦争なんてないと思うし、テロに対してだって、テロに対する戦争なんてないと思うし。絶対、武力ではテロは収まらないと思うから」(『COMCOM』08年2月号より)と。
松竹映画「母べえ」公式サイトから。
【物語】
昭和15年の東京。父と母、娘の初子と照美の野上家は、お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と愛称で呼び合う仲睦まじい家族だ。小さな家庭の穏やかな日常は、文学者である父・滋が治安維持法で検挙された朝から一変する。戦争に反対することが、国を批判するとして罪になる時代だった。
不安を募らせる母と娘たちのもとに、温かい思いやりを持った人々が次々に訪れる。父の教え子で出版社に勤める山崎は、父との面会申請のために奔走し、やがて一家から「山ちゃん」と呼ばれる大切な存在になる。父の妹で美しく快活な久子は、思春期を迎えた初子とおてんばな照美の良きお姉さん役で、いつしか山ちゃんにほのかな想いを寄せるようになる。そして、変わり者の仙吉叔父さんは、あけっぴろげで遠慮のない性格のため、いくつもの騒動を巻き起こすのだった。離ればなれになった家族をつなぐのは手紙だった。まるで日記を書くかのように毎日の出来事を父に綴る初子と照美。そんな娘たちの成長を見守ることが母べえの心の支えだった。そんなある日、野上家に思いがけない便りが届く・・・。
【解説】
「家族」というテーマは、山田洋次監督が折々の時代に大切に描いてきたテーマである。1970年には『家族』で、高度経済成長期の真っ只中、長崎から北海道へ移動する道中、幾多の困難に出会いながらも生きる希望を捨てない家族を描いた。1991年の『息子』では、バブル崩壊後、田舎と都会に離れ離れに暮らす父と息子が、一度は切れかけた絆を取り戻していく姿を描いた。いずれも、時代の空気を反映しながら、普遍的な家族愛を描き、多くの観客から深い共感を呼び、その年の主な映画賞を総なめにした傑作である。そして今、時代の求めに応じるかのように、山田監督が再び「家族」を描いた。物語の中で主に描かれる昭和15(1940)年から昭和16(1941)年は、日本が太平洋戦争へと歩みを進めていく不穏の時代。国際情勢の変化や不安定な政情の中、人々が先行きの見えない不安を抱えているという点で、現代とも重なる時代だといわれている。しかし、そこには、人と人の絆があった。ちゃぶ台を囲む家族の団欒は、信頼と愛情に満ちた空間であり、隣家に向かって開け放たれた風通しの良い縁側は、他人同士でも気軽に入り込み、助け合える交流の場でもあった。そんな今日の日本が失いつつある心を描き、困難な時にこそ何を信じ、守るべきかを問いかける感動作――それが、『母べえ』である。
2008年、混迷する現代を生き抜くための真の希望を、日本に生きるすべての人に贈ります。
この映画を通じて、「母べえ」家族とそれを取り囲む人たちのしぐさや優しさと国家権力の一角を担う警察権力等の強権から物言えぬ時代の恐ろしさが感じ取れる。同時に、その国家主義状況を庶民が受け入れ、同じ方向に向かわされて、喜んで兵隊を旗振って送り出す庶民の哀れさや権力に否応なく尻尾を振って彼らの代弁をする御用学者を生み出している。軍国主義の社会構造をこの「家族」の優しさや抵抗から読み取れる。
決して話し合って理解し合える権力機構ではない。些細な抵抗しかできない時代を描いている。
「夕陽妄語」(朝日新聞1月24日付け朝刊)で、加藤周一氏が「『今は昔』とは言っても、その『今』は21世紀末で、『昔』とは21世紀の初めである」から話をはじめる。そして、『今』から『昔』の六者(北朝鮮、米国、韓国、日本、中国、ロシア)協議を読み解いている。

その中で「北朝鮮の軍事的脅威なるものが、おとぎ話だったのさ。脅威があったから軍備ではなく、軍備を望むから脅威が生まれた。当時大国の核弾頭は少なく見積もって5000、小国の秘密の蓄えは大きく見積もっても5個でしょう。5個を以て5000を討つことを誰が考えるだろうか」と。
また、「日米に不都合な人物ないし国家はならず者として征伐するということになる。そうして世も中を平和にする。平和にするためには戦争をしなければならない。平和とは戦争であり、戦争とは平和である。その戦争がすべて集団的自衛権の発動となる。必要な武器は日米の軍需品製造会社から調達する。武器はしばしば途方もなく高価だから会社のもうけも大きく、もうけが大きければ、会社の幹部はそういうもうけ口を紹介してくれた役人への感謝の気持ちに溢れてくる」と。
「非情と強欲」(朝日新聞1月29日付け朝刊「経済気象台」)で、「この国の行政機構は、戦後60年をかけて巧妙極まりない酷薄な仕組みを作りあげてきた。この結果、経済活力は失われ、社会は疲弊している」として、その仕組みに8つ上げている。
「
1.下克上
国民は政治家を代理人(エージェント)とし、政治家は官僚を代理人として、行政を委ねる。代理人が依頼人を裏切る例は古今に満ちあふれている。
2.傀儡大臣
組織力を誇る官僚に対し、政治家は落選の恐怖におびえる個人事業主に過ぎない。多くが大臣を目指し、運良くなれば官僚の傀儡と化して利潤追求を図る。
3.インセンティブ
人はアメとムチで動くが、憲法の定める納税義務によって、行政は自動的にアメを得る一方、虚構の無謬性神話で役人へのムチは失われている。
4.利益相反
行政府の多くが業界規制と業界育成という利益相反的機能を有する。官僚は、これを巧みに使い分け、業界との癒着と利権拡大を図ってきた。
5.局所最適
自己肥大化という組織の目的が共通なため、誰も全体快適を目指さず、省益・局益の最大化を目的とし、ムダと非効率が蔓延する。
6.年功型終身雇用
行政機構では、年功型終身雇用の維持が目的化し、独法など様々な官製法人を乱造し、業界への天下りもやまず、国民経済の効率性を阻害する。
7.ガバナンス
この国の行政機構には、会計検査院といった機能不全の監督機能しかなく、組織の暴走を防ぐ仕組みとしてのガバナンスは無力に等しい。
8.非情と強欲
組織と目的合理的なため、非情なものであるが、この国の行政機構の目的が官僚の互助繁栄と化しているため、自らに強欲、民に酷薄なものとなっている。
冷静な行政機構の桎梏から国民を救済する政治家が登場すれば、救国の英雄となる」と。
『母べえ』に涙し、この時代から解き放たれた時代に生きていると錯覚していた。しかし、国家の仕組みはすべて企業の「資本の論理」と結びつき、加藤氏が言う平和=戦争を構造に組み込んでいる。
政官財の癒着を基本とする国家の仕組みが強固となり、否応なくその中に私たちも組み込まれている。言論の自由があるようで全くない。工業の利益のために農林水産業は軽視され、時々、補助金名目で道路建設や護岸整備に政府が動くことによって、不満は消される。そして、集票マシン化させられて抵抗力もなくなっている。日本中の土木関連企業やその配下にいる労働者まで同様なお金のために管理されている。
「青森県、職員に署名用紙」(朝日新聞1月30日朝刊)は、国会で今焦点となっている道路特定財源の税率維持を求める署名用紙が県の各部局に回されていることに触れている。ある職員は、「誰が署名していないか、すぐに分かる。まるで『踏み絵』」と語っている。中央官僚は地方官僚に押付け、県職員に強制する姿は、陰湿な『母べえ』そのものである。政官財の癒着構造がここにも見られる。
都会では、貧乏人同士が競らされワーキングプアを増大させられ、政治に眼を向けるどころか今日の食いぶちに追われている。日本経済新聞社の消費調査で、平日の昼食予算を22%の人が「減らした」と答えた。東京では250円弁当が出始め、京都や愛知にも広がっている(1月29日付け朝刊)。
吉永小百合さんの「日本のえらい方たちが、戦争をする国にしようとしている」はこの日本の全体構造を言い当てている。
息苦しい今の社会は、『母べえ』の世界のような表立った物理的暴力ではないにしても、金銭的抑圧の表れそのものである。
この抑圧された人たちは互いに
関係性を強め、日本を世界を変える方策を探さなければならない。それだけに、報道関係に政治、官僚、財界、宗教から独立した自由な言論を期待したい。